みなかみ村
静岡の山間のローカル電車に乗り旅をしている。
知らない駅で降り、何のあてもなく歩いていると
いつの間にか木々囲まれた、寂し気な登山道の
狭い小道に出ていた。
「迷ったかな?」僕はリュックから地図を取りだして
見てみるが、自分が今どこにいるのか全く分からない。
辺りには霧が立ち込め、ひんやりとした空気が漂う。
歩く度に地面に敷き詰められた枯れ葉が、ザクッザクッ
と音を立てる。すると突然、大きなダンプカーが
轟音を響かせ、僕のすぐ横を通り抜けていった。
「危ない!」僕は叫んだ。ダンプのまき散らしていった
もうもうと煙る黒い排気ガスが辺り一帯に立ち込めた。
暫くして視界が戻ると、僕の目の前には青い空が広がり、
大きな葉が一面に植えられた畑が延々と広がっていた。
畑に近づいてみるとその葉は、人の背丈より大きかった。
僕は一本の葉っぱの茎を折り手に持って田舎道を歩いた。
日差しが強いので日傘代わりになってちょうどよかった。
畑のあぜ道をしばらく歩いていると、女の子がひとりで
遊んでいるのが見えた。僕はその子に道を聞こうと
話しかけた。その子は僕の顔を不思議そうにしばらく
眺めていたが、突然「ついといでん!」と言いって
すたすたと歩き始めた。僕はその子の後を訳も分からず
付いてゆくと、大きく古めかしい民家にたどり着いた。
漆喰の壁の立派な門ていをくぐり、家の中に入ると
中庭の隅に2mほどの巨大なタヌキの置物があった。
その滑稽な姿とはうらはらに、大きな目で僕をじっと
見ているような気がし居心地の悪さを感じた。
子供が家の玄関を開けると、大正時代の貴族のような
風変わりな服を着た母親らしき女が出て来たので
僕は丁重に挨拶し、道に迷った旨を伝えた。
女はにこやかにほほ笑み「それは大変だったでしょう」
と家の中に僕を招き入れてくれた。
赤い豪華な絨毯が敷かれた応接間のような部屋に
案内された僕は、ふかふかの大きな椅子に座ると
家の中を見回した。家具や調度品はどれも一見豪華だが
よく見るとボロボロで手入れがされていない。
部屋のあちこちには物が乱雑に散らばり、天井には
シミがあり、何となくカビのような湿った嫌な
においが部屋のなかに漂っている。
僕は出されたぬるい紅茶を飲みながら、ここが何処なのか
尋ねた。女が言うには、ここは〈みなかみ村〉と言って
静岡の山奥にある由緒ある村で、里芋栽培で代々栄える
裕福な所らしい。さっきの人の背丈ほどもある大きな葉は、
畑で生産している里芋の葉だということだった。
「すいません、葉っぱを一本拝借して日傘代わりにしました」
と僕が言うと「いえかまいません。ここでは日傘や雨傘
代わりに里芋の葉を使っておりますので」と女は言った。
それから女は何処からか大きな漆塗りの重箱を持って来て、
テーブルの上にドンと置くと「お食事をご用意しましたので
召し上がってください。うちの里芋で作った自慢の料理です」
と言いながら女が重箱を開けると、真っ黒でどろどろの
得体のしれない料理がぎっしりと詰まっていた。
僕が当惑してると、「さあさあ、このあたりの名物ですので」
と言って、しきりに進めてくる。僕は食べないと失礼だと思い
おそるおそる箸をつけたが、やはりまずくて食べられたもの
ではなかった。
それでも無理やり、ひとくちふたくち口をつけると今度は
「エゲレスから取り寄せたヨークシャー・プディングです」
といって小さな丸いお菓子のようなものを持ってきた。
エゲレスってイギリスのことか?ずいぶん訛ってるなと
思いながら、そのヨークシャー何とかというお菓子を見てみると
カビだらけで、青緑の粉が吹いた干し柿のような物だった。
「もう、おなかいっぱいですので」とやんわり断わると
女は残念そうに僕を見て、無言でそのお菓子をほおばった。
(なんだここは?変なところに来てしまった。
これは早々に帰った方がいいな・・・)と思った僕は
「この近くにバス停は無いですか?」と聞くと、女は
「バス停ならすぐ近くです。コウモリの絵が描かれた
大きな丸いブリキのアンテナが目印の電気店の横ですよ」
と言いながら紙を出すと地図を描いてくれた。
礼を言って帰ろうとすると、さっきの女の子が部屋に
入ってきて僕の足を掴むと「じきに、おとうちゃんが
帰ってくるもんで、それまで待っといて」と言って
僕を引き留めようとした。
僕は「もう日も暮れるから」と言って無理に部屋から
出ようとすると、女が慌てた様子で「待って!これを
持っていって下さい。うちの全財産です」と言いながら
茶色い油紙の包みを僕のほうにグイと差し出した。
全財産をなぜ見知らぬ僕にくれるのか理解できないが、
とりあえず中を開くと、そこには旧字体で千円と印刷
されたレトロなデザインの札束がぎっしり入っていた。
ははぁ、おもちゃのお金で僕をからかっているなと思い
「ははは。お金はありますから」と軽くたしなめたが、
女は持っていきなさいと真顔で言うばかりだ。
断り切れないと思った僕はしかたなく、その古風な
デザインの札束を受け取った。
すると突然「ただいま!今帰ったぞ」と言いながら
部屋に男が入ってきた。母親が「主人です」と言うと、
その浅黒い顔の男は僕の隣にドカッと座り、ポケットから
くちゃくちゃになった薄緑色の見たことのないデザインの
煙草の箱を取り出すとマッチで火を付けた。そして深々と
吸い込むと、「うまい!」「うまい!」「あーうまい!」と
部屋の窓ガラスがガタガタと揺れるほどの大声で言い放った。
その男はこちらには何故か目もくれず、僕の存在がまるで
見えないかのように、スパスパとタバコを吸い続けた。
たちまち部屋中が煙であふれ辺り一面が煙って
真っ白になり、人の姿もおぼろげに霞んでいった。
(そうだ、この隙に逃げよう・・・)と思った僕は
そっと席を立ち充満する煙の中を手探りで出口を探し、
皆に気づかれないよう部屋を出た。
うす暗い廊下を早足で抜け、玄関で急いで靴を履いていると
背後で突然「おい!」と声がした。振り返ると男が
僕の後ろに立っている。そして今までの無表情から一転して
ニコッと笑うと「これを持っていけ!」と言いながら
さっの煙草の箱を突き出してきた。
よく事情が呑み込めなかったが、僕はそれをリュックに入れ
会釈をすると「失礼します」と言って逃げるように外に出た。
急いで庭を横切ると巨大なタヌキの置物が、相変わらず
監視するような目つきで、こちらをじっと見ていた。
家を出て地図を見ながら歩いていると、黄色いコウモリが
描かれた大きなブリキのパラボラアンテナが見えた。
バスもちょうどそこに止まっていていた。
まるで僕が来るのを待っていたかのような気がした。
僕は急いでその古いめかしいバスに乗り込むと、白い手袋をし
制服を着た車掌らしき男が「発車しまあ~す」言いながら
バタンと手動でドアを閉めた。この村は村おこしでレトロな
バスを走らせているのかもしれないと思った。
僕は席に座りホッとひと息つくと、バスの中を見回した。
5人ほどの客が乗っており、皆地元の人間のようだった。
暫くすると車掌が「切符を拝見しま~す」と言いながら
他の客の乗車券を確認して周りはじめた。僕のそばに来たので
「切符は持っていませんので買います。いくらですか?」
と聞くと、男はしばらく僕の顔をまじまじと見つめ、
「あ~、その必要はありません」と言いながら通り過ぎた。
バスは終点の鉄道駅に着き、僕を降ろすと走り去っていった。
他の客が一人も降りなかったのが不思議に思えたが、ともかく
僕はそのまま鉄道を乗り継ぎ何事もなく東京の自宅まで戻った。
すぐにさっきの村の位置を確認しようと地図を取り出した。
(確か〈みなかみ村〉だったかな・・・)
しかしいくら探してもそれらしい村の名は何処にもなかった。
僕は不思議に思って、その辺りの地域の役所の連絡先を
調べ電話をかけた。村の事を尋ねてみるとすぐに詳細を
調べてくれた。〈みなかみ村〉は漢字で水無神村と書き、
大正の初めまでは確かに静岡の山中に存在したが
今はもう無くなっている、とのことだった。
三日三晩続いた大雨で近くのダムが決壊し、鉄砲水で村は
水没したと電話口で教えてくれた。
「みんさん逃げ遅れたようですな。業者の手抜き工事が
原因でダムが決壊したみたいですな」と役所の人は呟いた。
僕は電話を切るとしばらく考え込んだ。
(村はもうない?どういう事だ?・・・・)
考えながら部屋の中をうろうろしていると、旅で使っていた
リュックが目に留まった。なにやら胸騒ぎがして急いで
開けて見ると男にもらったタバコと、女からもらった
旧字体の札束が入っていた。薄緑色の煙草のパッケージには
英語でゴールデンバットと書いてある。
手に取ると、それは水の中に落としたように、
びしょびしょに濡れていた。(完)
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