第18話 シャンソン

 「国語辞典」には、シャンソンは「フランスの大衆的な歌」とあります。

 ある年代以上の方の中には、シャンソンと聞いて、「枯葉」「パリの空の下」「愛の賛歌」「ラ・メール」「サン・トワ・マミー」といった歌を思い浮かべる方もおられるでしょう。


 そういうフランスの歌謡曲を、日本人歌手が、主に日本語訳の歌詞で歌っているのを、ラジオやテレビでよく聞いたり見たりしました。

 シャンソンを専門に歌う、シャンソン歌手と呼ばれる人たちもいました。


 シャンソンを聞かせる、シャンソン酒場とかシャンソン喫茶というのもあり、その代表格が、東京・銀座にあった「銀巴里ぎんぱり」でしょう。ウィキペディアによれば、営業していたのは1951年から1990年までだそうです。私は行ったことはありません。


 ところで、シャンソンの語源はフランス語のchansonですが、これは「歌」一般を指し、特に歌謡曲に限定した言葉ではないようです。(『クラウン仏和辞典』三省堂)

 もっとも、仏語の「歌」にはほかに、chant(シャン)という単語があります。これに比べると、chansonの方が、大衆的な歌を指しているようです。(同書)


 フランスでは歌一般を指す「シャンソン」が、日本に入ってくると、意味がぐっと限定され、フランスで、しかもある時代に歌われた歌謡曲を指す言葉になりました。

 和訳歌詞のシャンソンを聞いて、しばしフランスやパリに行ったような気分に浸っていたのでしょうか。

 私はそこに、以前日本人が抱いていた、フランス、特にパリに対する強い憧れを感じます。その憧れは、一種の片思いだったのかもしれませんが。


 フランスへの憧れというと、萩原朔太郎の詩の一節が思い出されます。


  ふらんすへ行きたしと思へども

  ふらんすはあまりに遠し

  せめては新しき背広をきて

  きままなる旅にいでてみん。 (後略) 


 詩集『純情小曲集』(1925年)に収められた「旅上」の一節です。

 ※出典:『萩原朔太郎詩集』(角川春樹事務所、1999年)


 それから、フランスへの憧れの極みかどうか分かりませんが、日本人自身が、シャンソン(風の歌曲)まで作り出しました。


 「〽お菓子の好きな巴里娘」で始まる「お菓子と娘」(作詞:西條八十さいじょうやそ、作曲:橋本国彦、1928年)です。私は、この曲が日本人の手によるものだと知るまで、てっきりシャンソンだと思っていました。


 しかし今では、そうしたフランスやパリへの、片思いに似た憧れは、ほとんどなくなったと思います。

 もちろん、観光旅行では、フランスやパリは依然人気の場所でしょうが、ワン・オブ・ゼムに過ぎません。

 以前必ずといっていいほど「パリ」に冠せられていた「芸術の都」という言葉も、めっきり聞かなくなりました。


 昔から、日本人は舶来のものが大好きでしたが、今ではそれが薄れたのでしょうか?

 それとも、好みの対象が、たとえばアメリカやコリアに代わっただけなのでしょうか?

 

 

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