第6章 手のひらに太陽を [1/4]
話は、三時間ほど前までさかのぼる。
軽トラックがない。
瞬間的に脳裏へ浮かんだのは、盗難、鍵の抜き忘れ、警察やレンタカー会社への連絡……といった事柄だったが、違う。そうではない。あらためて状況を推察する。
自然に考えれば、軽トラックを運転して走り去ったのは
なぜ、そのようなことをするのか。今更なので、利益目的による窃盗の線は除外する。
ネムリから、ひとりで逃げようと考えた? そういうこともあるかもしれない。
いくら那渡の命を助けたいと火勢が言っても、ほとんど非力な常人だ。足手まといに思われても不思議はない。
……もしくは、中年男性との旅路を苦痛に感じ、ついに我慢できなくなったということも充分にあり得る。それならばまだいい。
那渡はハガネを纏って、ひとりでネムリに立ち向かうつもりではないか。火勢は想像した。
このような行動を、急に起こしたのだ。なにか思いつめた動機があるはずだった。断言はできないが、可能性は高そうに思われた。
もしそうだとすれば、那渡の行き先はネムリの元ということになる。危険だ。
火勢は最悪の事態を想定し、那渡を追うべきと判断した。彼女が目指す地点は不明だが、たった今来た高速道路を、下り方面へ戻ることは確かだろう。
後を追うには、移動手段が不可欠だった。
携帯電話で周辺地域のタクシー会社を検索し、配車を頼もうとした。しかし営業所の電話回線は、呼出音を鳴らすばかりだ。この深夜帯は営業時間外のようだった。
周辺を見渡しても交通量は少ない。都合よく空車のタクシーが通りかかるのも望み薄だ。
すると、残る方法は――。
火勢は携帯の地図ソフトを操作し道順を確認してから、自らの足で駆け出した。
自前のセダンが、市街地のコインパーキングに停めてある。ネムリとナバリの攻撃を受けてぼろぼろだが、廃車ではない。
現在地から市街地までは、近隣の高速道路料金所ひとつ分、約八キロメートルの道のりがある。正直、長いこと習慣的な運動をしていない身には少々こたえる距離だ。
だが行かなくては。少しでも早く。
時間を無駄に使うことはできない。ためらうことなく、火勢は足を動かし続けた。冷たい外気を切って進む。地面を蹴る振動が、翼竜に跳ねられて負った、腕と背中の打撲傷を痛ませた。
走りながら火勢は、自身の心境の変化に気がついていた。
ハガネに促されて東京を訪れた三日前には、憎い化け物を始末することばかり考えていた。真っ向から戦う手段がある那渡を、羨ましいとすら思っていた。
しかし、那渡やハガネと共に戦いを経て――そう、漸をナバリから助けた後からだ――火勢の心には、まったく違う気概が立ち上がりつつあった。
必ず那渡を、ネムリの危機から逃してやりたい。理不尽に死なせることはしない。
そう考えるようになった。
情が移っただけかもしれない。
本当に守りたかった息子の昴のことを、漸と同じように、若年者である那渡に投影しているだけかもしれない。
だが既に、火勢は心を決めたのだった。
息切れを起こすには、十五分もかからなかった。上着を脱いでも、汗が滝のように流れてくる。
荷物の旅行鞄を捨てていこうかと、よっぽど考えたときだった。
携帯電話に着信があった。ポケットから取り出した電話の画面には、未登録の番号が表示されている。
無視しようかと迷う余裕もなく反射的に、火勢は通話をつなげていた。
『――カセですね。こちらハガネです』
携帯のスピーカーから出力されているせいか聴こえ方が微妙に異なるが、ハガネの合成音声に違いなかった。
『サカナの携帯端末にハッキングをかけて発信しています。ユーザーインターフェースは破壊されていますが、通信モジュールの損傷は軽微であったため、無線給電を試みて起動に成功しました』
それくらいのことができても意外ではない。火勢は驚かなかった。
「サカナと、一緒にいるか……?! 俺の、レンタカーで……?!」
驚きこそしないが息は上がり、声が裏返ってしまっていた。
『はい。彼女は単独でネムリと再戦し、今度こそ完全な無力化に挑むつもりです』
「……だと思ったよ」
うらみごとを口に出す気も起きない。
『会敵するならば、おそらく京都府北側の沿岸もしくは山間部でしょう。勝算はありますが、リスクも依然として存在します。ですので――』
ハガネが言わんとすることは、火勢には明らかだった。
「だから、行くって、言ってるだろ……」
『言っていません』
「ああ……まだだったか」
歩道のコンクリート塀にもたれかかって息を整える。シャツ越しに伝わる、ひんやりとした感触が心地よかった。
『ネムリの現在位置が確認でき次第、交戦準備をする予定です。サカナはカセを巻き込まずに戦うことを望んでおり、実際、それは合理的な判断といえます。あなたは他者を助けようとするとき、危険をかえりみず、身を挺した行動をとらずにはいられないようですから』
それについては、否定できない。無謀なことばかりしている自覚はあった。
『しかし万が一、戦闘に際して不測の事態が起こった場合、彼女にはあなたの助けが必要となるでしょう。サカナの意志を尊重し、最善を尽くして応戦しますが、並行してあなたの携帯端末へ、こちらの位置情報を送信し続けます。可能な限り急ぎ、かつ安全運転で来てください』
一方的に喋り終えると、ハガネからの交信は切断された。続いて電子メール経由で、那渡の携帯電話の位置情報が送られてくる。
(中途半端な保険を打ちやがって……)
胸中で悪態をつきながら、火勢は再び走り出した。ひとまずは見えたゴールへ向け、己を鼓舞する。
そうやって辿り着いた駐車場から、おんぼろセダンを出庫させ、高速道路をなんとか走行してきたのだった。
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