第6章 手のひらに太陽を [2/4]

 そして、ネムリが魔力資源へのアクセスに成功したと、ハガネから知らせが入ったのが数分前のことだ。

 現場へ急行してきた火勢かせは、ネムリに向けてアクセルを踏み込む。岩場の上を跳ねながら、セダンが速度を増した。

 岬の先端近くに立つネムリとハガネの手前、約十メートルの地点で、火勢はドアを開けて運転席から身を投げ出した。頭を守りながら、硬い岩の上を転がる。

 ネムリはハガネの頭と腰を捕まえて振り向きざま、直進してくる無人のセダンに向けて投げつけた。

「わぁ!」

 那渡なとが抵抗する間もなく、ハガネの機体はボンネットにめり込んだ。セダンが勢いよくつんのめり、車体の後部が浮き上がる。

 転げ落ちたハガネの頭上を通過してセダンは車体を転覆させ、さらには岩肌をバウンドし、横転した状態で停止した。ボディは歪み、ウインドウガラスが四散している。

 横転したセダンはネムリの目前で止まり、那渡たちとの間を遮っていた。物理演算結果に従って受け身をとり、車体が遮蔽物になるよう、ハガネが仕組んだのだ。

「サカナ!」

 火勢が駆け寄ってくる。大きな怪我は無いようだ。前を開けて着ている新品のジャンパーには、ところどころ傷ができてしまっていたが。

 首には汗拭きのタオルが巻かれ、その両端はシャツの丸襟に差し込んであった。

「火勢さん!」

 那渡の声が外部へ出力される。ピンチではあるが元気そうで、火勢は安心した。

 ハガネの傍らに片膝をつく。那渡に言いたいことは、ただひとつだけだった。

「人が借りてる車で、よそに行くな。……勝つまで付き合う」

「……はい」

 火勢の平手が、ハガネの背中を二回叩いた。軽い衝撃が、優しい熱となって那渡に伝わる。

「ここは逃げるぞ。態勢を立て直そう」

 ハガネと同じことを火勢が言ったので、両者の間で共通の作戦があることを、那渡は理解した。内容は全然わからないが。

 セダンの方で音がした。ふたりはそちらに目をやる。横転した車体の上に、ネムリが跳び乗ったのだ。

 薄白い髪が、隆々とした肉体が、朝日に照らされる。呼気が赤く、ちろちろと光っていた。

 火勢は怯まず、ネムリを睨みつけた。


 那渡もネムリも知らないことだが、セダンの給油口は意図的に開け放してあり、そこからガソリンが流出し続けていた。


 ハガネの右前腕装甲がオートで動き、ハンドレーザーに変形した。

『点火できます』

「いつでもやれ!」

 ハガネがその銃身を、車のガソリンタンクへ向けた。

 それに合わせて、火勢も片腕を突き出す。

『――点火』

 一条の光がタンクを貫き、気化した燃料に引火した。同時に火勢が、魔法で爆発の規模を増幅させる。

 華のごとく盛大に爆炎が立ち昇り、車体は真上へ跳ね上がった。空中で回転する車体から、ネムリが放り出される。

 そのまま海へ向けて落下していくネムリの姿を、那渡の目はハガネのセンサー越しに、大きく見開かれながら捉えていた。

 その間、火勢の顔へ向けて飛んできた大きな金属片を、ハガネはとっさに銃身で弾いた。

 長い数秒間のあと。岬の上に、完全に廃車となったセダンが落下する。そして黒煙を噴出させつつ、岸壁を転がり落ちた。

 車体が海面へ没する音を聴いて、那渡は我に返った。

「な、なんてことしてるんです!」

『では撤退しましょう』

 ハガネがさらりとそう促したとき、那渡は火勢を見た。

 火勢は、自分の胸を眺めていた。そこには、ハガネが防いだのとは別の金属片が突き刺さっている。

 車体から飛来したであろう鋭利な破片は火勢の左胸へ深々と食い込み、傷口からの流血が、衣服にじわじわ広がりつつあった。

 呻きながら、火勢はその場へ仰向けに倒れ込みそうになる。那渡は慌てて火勢の背中を受け止め、ゆっくりと岩場に寝かせた。

『……外傷をスキャンします』

 火勢の胸の傷の付近に、ハガネが軽く左手を置く。白かったシャツのその部分は、既に赤黒く染まっていた。ガンメタリックの装甲が、火勢の血液で濡らされる。

『傷は深く、破片が大動脈に接触しています。無理に動かしては、動脈損傷による失血で即死するおそれがあります。……慎重な搬送と、外科的処置が必要です』

「いいから……トラックにでも乗せて逃げろ」

 呼吸を荒くし、空を仰ぎながら火勢が言った。那渡はそれに反論する。

「だめです。救急車を呼ばないと……」

 火勢を動かすことは危険であるし、だからといってこの場に残すこともできない。ネムリは、そう遠くない内に戻ってくるだろう。

 選択を迫られていた。

「……ハガネ」

 那渡が言った。決して大きくない声だったが、ハガネと火勢は、その語気から彼女の意図を読み取った。

「おい」

「ハガネ。ネムリを、ここで倒そう。さっさと倒して、救急車呼ぼう。……方法、あるでしょ?」

 動じるそぶりもなく、ハガネは即答する。

『はい。成功は保証できませんが、試す価値のある戦術が存在します』

「そうだと思ったよ」

 頭部シェル内で那渡は、状況に不釣り合いな笑みが浮かんでくるのを感じた。きっとこれは、心細くないからだ。

 その那渡を火勢が見上げる。覚悟を決めて戦いに臨む彼女を意外に思い、額に脂汗を浮かべつつ眺めていた。

 ハガネの機体の各部にて、魔導流体パネルの鮮やかな赤光が揺らいで滲み、その色を変える。

 暁光、とでも呼ぶのだろうか。明け方の白い空が映り込んだように錯覚したが、光は内から湧き、放たれていた。

 朱や紫、緑や銀の淡い色彩が、重なりながら緩やかに、ハガネの中を巡って移ろう。

 いかなる魔法の働きが生み出す現象かも知らないまま、火勢は目を惹かれた。


 崖の方から断続的に音が鳴っていた。亡者が絶壁の岩肌に指をかけ、それを登攀せんとする、不吉な音だ。


「――火勢さん」

 火勢の首に巻かれたタオルをほどき、胸の傷の周囲に押し当てながら、那渡は呼びかける。布地を染める出血に触れ、火勢が生存することを心から望んだ。

「すぐに戻るから、待っててください。待っててくれるだけでいいので、本当に」

 しつこく念押ししてから返事も聞かずに立ち上がり、那渡は、海の方へと踏み出した。立ち上がる際、腿を汚していた黒い血液が手にも付着した。そこに込められた害意を感じ、静かに反発する。

 視線の先に、ネムリが姿を現した。崖の縁から腕力で躍り上がり、岬の先端に立ちはだかる。

 海水に浸った頭髪は後ろへ流され、顔の全体が露わになっていた。顔立ちは青年のようで、強健そうな輪郭だ。昏い両眼がハガネを捉え、那渡はその視線を正面から受け止めた。

 ネムリ。敵の名前をつぶやく。

「負けない、あんたには」

 那渡は口の中で言葉を響かせる。

 それは、はじめていだく、闘志だった。

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