第5章 夜と死と暴力を経て [4/4]
高速回転するドリルビットを、
狙いはひとつ、心臓の直接破壊だ。
『サカナ、視覚フィルターを有効にします』
「別にいい……」
緊迫感のあまり、押し殺すような声で那渡は答えた。
ネムリの皮を裂き、ドリルの刃が背中側の肋骨を削いでいく。マルチドリルはネムリの骨肉を粉砕し、後方へ排出し続けた。
ネムリの流血により武器の強化魔法をも無効化されることが危ぶまれたが、その兆候はない。相殺魔法を行使するには、出血箇所や血液量など、なにかしらの制約があるようだ。
ネムリの背中にドリルを突き刺し続けるのは永い時間に感じたが、たかだか十数秒というところだっただろう。
あと少しで肋骨を断てるというとき、ネムリを中心とした空間でいくつか、白い光が瞬いた。夜明け前の闇が、ささやかに照らされる。
那渡は息を呑む。
「……これって」
『〈マド〉です。ネムリが、魔力資源へアクセスを試みています』
白光の明滅は、激しさを増す。
マルチドリルに自重を乗せて押し込み、いち早くとどめを刺そうとした。白い光が消え、代わりに、ネムリの傷口が発光した。擬似生体の黒いはずの血液が、鮮烈な赤の光を帯びる。
エッジを通して伝わってくる骨の手応えが、途端に変わる。硬質な物体を砕くことができず、ドリルビットが異音を上げた。
ネムリが、力任せに上体を持ち上げた。G2アームのいましめから逃れようと、体を捩って反転させる。ハガネの出力では、その膂力を阻止することができなかった。
ネムリの右腕が唸りを上げ、ハガネの機体へ打ちつけられた。強烈な打撃で引き剥がされ、那渡は岩場を転がった。
ネムリが立ち上がる。
全身からは、煙るような赤い光が立ち上っていた。
折れた左手首を逆の手で引き、骨のずれを直すと、骨折が修復された。広範囲の熱傷を負った表皮も、見る見る正常な状態へと治っていく。背中の穴すら、再生した肉で埋められつつあった。
今のネムリの自己治癒能力は、那渡の比ではない。
『ネムリによる、中層魔力資源へのアクセスを確認』
「どうして……! 命を奪ってからじゃないと、それはできないはずでしょ?!」
うろたえる那渡。ハガネは早口に回答を述べる。
『これは推測ですが……。ネムリは、命にかかわる重傷をサカナに負わせることで、限定的にアクセス権を得た可能性があります。例えば、直接もしくは間接的にサカナと接触した状況に限り、魔力資源への接続を開始できるというような――』
那渡の腕をネムリが喰らい、血肉とともに魂の一部を取り込んだことを、那渡もハガネも、知る由はない。
ネムリが地面を蹴り、一足飛びに接近してきた。
那渡はG2アームでネムリを受け止め、防御しようとする。しかしアームの爪は、ネムリが振り下ろした両腕でへし折られた。
マルチドリル側面のエッジで、ネムリの右脚を狙う。回転する刃により、鎧の脛当てが弾け飛んだが、肉を削ぐことは叶わない。
ネムリの蹴りが、ハガネの腹に叩き込まれた。
弱体化した腹部装甲が破損する。岩場に衝突し、機体が強打された。
格闘に不向きなG2アームとマルチドリルを、腕の装甲に戻す。
体勢を直しながら、上昇するために腰のガントンファーから衝撃波を噴出させる。
『上空へ離脱します』
だが、すかさず跳びかかったネムリが、ハガネの足首を掴んだ。
そのまま強引に振り下ろされ、足元の岩場に再度激突する羽目になる。
圧倒的な威力だった。
地響きが轟く。巨岩に亀裂が生じる。
衝撃で、那渡の意識は途絶えそうになった。
ひび割れた岩に横たわり、朦朧と思考する。
結局、選択を誤って、自分は殺されるのだろうか。
同じ、死ぬという結末なら――火勢を危険にさらした挙句、翼竜を手にかけたことを、後悔する。
どうせこうなるのだったら、戦いなど、自分には……。
――戦わない方が、よかったのかも。
『サカナ。それは違います』
知らない間に自分は、ひとりごとを口にしていたのか。ハガネが反論してきた。
『あなたは、誰かの命と、そして尊厳を守るため、戦いを選択できる人です。
たとえ、来る敗北を、死を防げなくても、立ち向かうことを、あなたは否定しない筈です。
あなたは、あなたが思うままに戦って良いのだと、抗うべきなのだと……。私は、サカナのことを、そう知っています』
ネムリがハガネのマスクを鷲掴みにし、全身を軽々と引き上げた。体格差はほとんどない。強い握力に締めつけられ、頭部のセンサーが軋んで破損する。
もう片方の手で、割れた腹部装甲が剥がされ、投げ捨てられた。露出した魔導流体パネルに、ネムリが爪を立てようとする。パネルの斥力発振が発動してそれを阻むが、ネムリの指先は、ものともせず着実に迫っていった。
戦い。
ネムリとの戦い。
ナバリとの戦い。
翼竜との戦い。
そして、すいと過ごした最後の時間も、きっと戦いだったのだろう。
守りようがなかった、すいの命。
せめて守りきりたかったもの。それはすいの尊厳だったと、言ってもいいのだろうか。
望む結果を少しでも得るため、抗わずにはいられないのだ。自分という人間は。
強情だと思うし、始末に負えないな、とも思う。
最愛としか言いようがない子が死ぬのを目の当たりにしても、取り返しのつかない死を誰かに押しつけても、懲りない奴なのだ。
――だけど、目の前の暴力に、黙って命を差し出すことはない。そんな道理は無かった。
「……そうかな……そうかもね」
『ですから、我々は戦いましょう』
ハガネの音声が決然と、那渡の胸に響いた。
頭部シェル内壁までもが歪み始め、網膜投影ディスプレイの映像が乱れていた。ネムリの手が、腹部の魔導流体パネルを捉えた。
「ハガネ。ぼくたちは戦おう」
那渡は言う。意識は、かつてないほどはっきりと冴えていた。
この、湧いてくる気持ちは――勇気、だと思う。
『はい。ネムリを打ち倒しましょう』
腹部パネルの物理保護が出力を瞬発的に増大し、ネムリの片手を弾き返した。
それに続けて、重力制御。自重を倍増させる。那渡は宙吊りの状態から脱し、岩場へと着地した。しかし今なお、ハガネの頭部は掌握されたままだ。
全力で踏ん張り、両手でネムリの腕を押し返す。ぎりぎりと締め上げられつつも、どうにか対抗する。
「ハガネ! なにか戦い方はある!?」
那渡は叫んだ。危機的な状況だが、気分は悪くない。
戦いの記憶を辿ると、思い浮かぶのは火勢の姿だった。ふと火勢に、すいのことを話したいと感じた。どんなに自分にとってすばらしいひとがいたのか、聞いてもらえたらと想像した。
そんな風に思えるのは、親友と、戦いを共にしてきた火勢くらいだった。
しかし、考え直す。子供を亡くした親に死んだ飼い猫の話をするなんて、不謹慎すぎるな。そう反省した。
『この場は撤退して、態勢を立て直しましょう。実現可能な作戦があります』
ネムリの肩越しに、なにか光が見えた。加えて、聴き覚えのある騒々しい音。
ヘッドライトを輝かせ、クラクションを鳴らしつつ草木をかき分けて、こちらへ走ってくるのは、灰色の乗用車だった。
ルーフの上にはブルーシートが貼られ、バンパーも凸凹に歪んでいる、おんぼろセダンだ。
『カセを、招喚してあります』
悪路で激しく上下動する車内に、険しい顔でハンドルを握っている火勢が見え、那渡は目を丸くした。
見上げる東の空が白み始めて、澄んだ紺から橙色の、グラデーションを描いていた。
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