第4章 銀の翼竜、白い猫 [10/10]

 進行方向の道路に、白銀の巨体が現れた。ネムリが従えていた翼竜だ。

 ヘッドライトの光のなか、翼竜の牙に捕らわれたパワードスーツの姿が見える。

 火勢は軽トラックを停め、助手席に置いたハガネの外部装甲に話しかける。

「サカナは無事なのか? ネムリは?」

『サカナは生存していますが、戦闘続行はきわめて困難です。ネムリは――魔力ソナーに反応あり。未だ活動しています』

 火勢は目をすがめる。次の行動を選択しなければならなかった。

「武器を出してくれ。俺にも扱えるやつを」

『あなたの独力では、銀の翼竜を無力化することは不可能です』

「……いいから早く」

 ハガネの外部装甲の一部が変形し、アタッシュケースの真横からチャインソードの柄が生えてきた。

「もし逃げられるなら、さっさと逃げろよ」

 エンジンはそのまま、サイドブレーキをかけて降車しながら、火勢は勢いよく柄を引き抜く。

 直剣の刃が出現した。刃圧の薄い、軽そうな外見の割に重量があるが、二キログラム前後だろう。常人の火勢にも振るえないことはなかった。

 軽トラックの前へ歩み出て、火勢はチャインソードを構えた。腰を入れて両手で柄を握り締め、切っ先を翼竜に向ける。

 翼竜は、先ほど出鼻を挫かれて痛い目にあったのがよほどこたえたのか、警戒している様子で、低く唸って火勢を威嚇する。ハガネを纏った那渡を路肩へ下ろし、戦闘態勢をとった。


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 ヘッドライトの逆光の中に、那渡は火勢の姿を見た。

 ああ、助けに来てくれたのだ。

 しかし生身である火勢は、翼竜に対してあまりに脆い。

 きっと、たやすく大怪我を負ったり、命を落としてしまったりするだろう。

 ぞっとした。

 それは、起こってしまえばとても耐えがたく、取り返しのつかないことだった。

 子供を亡くしているとはいえ、火勢には他の家族や友人もいるはずだ。きっと奥さんも、無鉄砲な夫を待っていることだろうと、那渡は想像した。

 そんな、まだ知らぬ人たちに、悲しみを与えることはできない。

 火勢を、生きて帰さなくてはならなかった。


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 翼竜が駆け出した。

 巨体に見合う重々しい足取りで速度を増し、どすどすと地響きが鳴る。

 火勢は、自分の魔法の有効圏内に翼竜が侵入し、その体内に火種を感知できたならば、先ほどと同じように爆炎を暴発させてやろうと待ち構える。

 有効半径は約十メートル。しかしその範囲に足を踏み入れる前に、翼竜は翼を振るって急加速した。

 片翼が折れているため、満足に空気を捉えることはできない。飛行魔法を操る巨軀が、バランスを崩しながら火勢へ襲いかかった。

 火勢はとっさに剣を突き出す。薄い刃が翼竜の鼻っ面に切創をつくったが、浅い。

 猛烈な勢いの翼竜が半ば倒れ込むように激突してきて、火勢は道路脇の斜面へ打ち倒された。

 弾かれたチャインソードは、火勢の手を離れて路上に転がる。

 火勢はすぐに立ち上がろうとしたが、体が動かない。激しい衝撃を受けて、どこを怪我しているのかも判然としなかった。

 うつ伏せの状態から、なんとか膝を立てて四つ這いになる。

 通り過ぎた翼竜が、足早に戻ってきた。

 凄むように火勢が睨んでも怯むことなく、両の前脚を振り上げて棹立ちになる。

 さすがに踏み潰されることを火勢も認めざるを得なくなった、その瞬間。

 路上を走ってきた影が、翼竜の胸にぶつかった。


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 那渡はチャインソードを拾い、翼竜へと突き立てた。

 切っ先は正確に、その心臓を刺し貫いている。

 全力疾走も刺突も、ハガネのコントロールシステムが精密に制御した動きだが、その選択は那渡のものだった。

 突き入れた刃を、那渡は力一杯捻った。

 心臓を破壊され、翼竜が悲痛に吠えた。

 傷口から、黒い血液が、しぶきになって吹き出す。

 翼竜の血は降り注ぐそばから、細かい灰と化し、散っていった。

 翼竜の鳴き声は次第に細り、立ち消えていく。

 那渡は堪えきれず、両の瞼を強く閉じた。



 すいは、冬の暖かい朝に亡くなった。

 ついに餌も水も摂らなくなって数日が経ち、半ば覚悟をしながら、那渡はすいの世話を続けていた。

 夜は毛布にくるまり、すいの隣に寝そべって過ごした。

 体力を失って骨が浮き出た白い毛皮が、浅い呼吸に合わせて上下する。那渡がゆっくり撫でると、うれしそうに喉を鳴らすのが健気だった。

 その晴れた日の朝も、那渡はすいの背中を撫でていた。その内、ぐう、とすいの口から音が漏れて、息が止まったのだとわかった。

 まだ意識はあるかもしれない。そう思いながら、一時間はすいのそばにいた。

 その後、冷たくなったすいを家の庭に埋めた。

 なにか他の、良い手立ても取り得たのだろうか。

 すいは病で弱り、飢えて苦しみながら死んでいった。

 その事実だけを那渡は噛み締め、陽だまりの中で、白い息をほうっと吐いた。


 おおよそ一年前のことだ。



 工場の敷地には消防車が集まり、内部から炎上する事務棟へ向け、放水が始められていた。

 極々わずかな質量を喪失しながら、強烈な熱と光を発するビーム粒子。その拡散によって燃焼温度に達したあらゆる物が燃えさかる下層フロアで、ネムリはまだ動いていた。

 上半身の鎧は大部分が熔解し、斧槍の断片は蒸発。肉体の表層は炭化していた。特に頭部と腕は状態がひどく、消炭にしか見えない。

 しかし、心臓は動いていた。

 ネムリは真っ黒になった鉄靴で階段を上る。

 外の騒々しさを気にすることもない。おそらく聴覚も失っているだろう。脳すら無事とは考えがたい。

 それでも磨道鬼の本能が、ネムリの足を一歩ずつ、着実に導いていた。

 最上階へ到着した。

 上層階は、階下に比べればビーム粒子が拡散しておらず、延焼範囲は中央付近に限られていた。

 隅にある休憩所のソファーに、液体で満たされたポリ袋が置かれていた。

 ネムリは跪き、黒焦げの骨が露出した指で、袋を引きちぎった。

 氷が溶けてぬるくなった水が、流れ出す。

 二重にされた袋の中から、腕が出てきた。

 ネムリ自身が切断した、那渡の腕だ。

 おもむろにネムリは、それを掴み上げる。

 焦げた頭部の、形を失った唇が横に裂けて、白い歯と赤い舌が覗く。


 ネムリは、青白い前腕に噛りついた。

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