第5章 夜と死と暴力を経て [1/4]
閉鎖空間の外から、自動車の走行音が聴こえる。
視界は真っ暗だ。目の端で、機体ステータスを表す文字が小さく光っている。ハガネを身に着けているのだと判った。
仰向けに寝かされた体を動かそうとするが、ほとんど自由が利かない。メンテナンス筐体に収容されているらしかった。
「ハガネ」
『はい』
聞き慣れた、ハガネの中性的な音声。もはや安心感すらある。
「これを開けて」
『メンテナンス形態を解除します』
筐体が数十の部品に分割され、複雑な折り紙のように変形する。外部装甲としてハガネ本体へと装着された。
ひらけた視界には夜空が映った。雲間には星が光っている。
ここは、走行中の軽トラックの荷台だ。
一定間隔で通り過ぎる道路照明と、半アーチ状の防音壁。高速道路を走っているようだった。
那渡は上体を起こした。
「ハガネも脱ぐ」
スーツは頭部から順に開放され、上半身全体が抜け殻のように、那渡の背中側へ外れた。
後ろから強風を受け、短い髪がなびく。風の音がうるさい。
冷たい外気にさらされ、意識がはっきりしてくる。
左手を荷台に突いて体を支えようとしたが、手首の感覚がない。
ああ、そうだった。
那渡は自分の左腕を見る。
トレーニングウェアの袖が断ち切られ、肘も、その先の手首もなくなっていた。
暗澹たる気持ちになる。腕は、ネムリに切断されたのだ。
しかし驚いたことに、既に傷の痛みは消えている。それどころか二の腕の切断箇所がかさぶたのような組織で被われ、その内側には薄い皮膚すら生成されつつあるようだ。
腕を切り落とされたのはつい先ほどで、記憶違いなどではないはずだった。
『サカナ、状況を説明します』
混乱する那渡に向けてハガネは喋り出した。機体内装に備えられた骨伝導式スピーカーの出力音声が、騒音の中でも装着者の聴覚へ届けられる。
体力を消耗しきった那渡が、戦闘の直後から気を失っていたこと。
命にも関わる重傷を負ったことで、先天的に那渡へ備わる魔法の素養――ネムリと同種の自己治癒魔法――が発現し、左腕断端の回復が進んでいること。
安静と清潔を保つため、メンテナンス形態のまま移動してきたこと。
切り落とされた左腕の回収は果たせないまま、可能な限りネムリから遠くへと避難してきたこと。
高速道路で東へ戻ってきた結果、現在地は福井県内だということ。昨夜の宿泊地とも、そう遠くは離れていない場所だった。
「うん……わかった」
治癒魔法の影響か、ほのかに熱をもっている左上腕を、反対の手でなでる。
あの翼竜がどうなったのかと、那渡は訊かなかった。
髪や顔が埃っぽい。――いや、わかっている。埃ではなく灰だ。息絶えた翼竜の、疑似生体の成れの果て。
翼竜の心臓を剣で抉ったところで力尽き、崩れ落ちてきたその巨体を支えきれず倒れ込んでしまった覚えが、おぼろげながらあった。
その場面の記憶は、背後の
こうして軽トラックで移動しているということは、彼は無事だったのだろう。
荷台からリアガラスを叩いて自分が起きたと伝えることもできたが、運転の邪魔をするのは危ないのでやめておく。
火勢を死なせないためとはいえ、翼竜を殺した。そのことを考えると、心が締めつけられた。
痛く、苦しく、つらかっただろう。
既にナバリを斃し、ネムリを無力化することも、抵抗感こそあったが受け入れている。そんな自分が翼竜のことだけ悔いるのは、取るに足らない感傷のせいだ。
勝手なことと理解しつつ、すいの面影を翼竜に重ねて、那渡はうつむいた。
「ねえ、ハガネ……」
『はい』
「最初に会ったとき、言ってたよね。ぼくは戦うことを選べるんだって」
ネムリに追われるセダンの車中、確かにハガネは告げていた。
「それって、こういうこと? もし戦いたくないって思う相手でも、必要だったら平気で殺せるって……そういうやつだってことかな……」
那渡は、震える声でつぶやいた。
『そうではありません』
ハガネはただ、否定の言葉を返した。
車は次の分岐を左へ曲がり、高速道路から降りた。
最寄りのコンビニの駐車場に軽トラックが停まると、ハガネはハンドキャリー形態に戻った。
火勢が荷台を覗き込んでくる。もはや心配を通り越して、我が事のように深刻そうな表情だ。店舗の明かりに照らされた顔色は青ざめてすら見える。
「具合はどうだ?」
「体調いいです……降ります」
左腕こそ失ったものの、虚勢などではない。自己治癒魔法の効力はてきめんで、減った血液量すら回復しているようだった。
外していた眼鏡をかけ、片腕で難儀しながら立ち上がると、火勢が荷台後部のあおりを外側に倒してくれた。
荷台にかけっぱなしの防水シートの上を歩き、那渡は駐車場のアスファルトへ降りる。
火勢に促されるまま、助手席に座った。暖房がついていて車内は暖かい。
「それだけのケガをしたんだ。魔法で治ってるとしても、朝になったら病院で診てもらおう」
自分も体のあちこちを痛めているのだろう。運転席へ腰を下ろすときに顔をしかめつつも、火勢は那渡をいたわる言葉をかけてきた。
「はい……」
那渡が力なくうなずいて、ふたりの会話は止まった。今後の対策について話し合う必要があるが、火勢は重傷の那渡に気をつかい、躊躇しているようだ。ハガネも荷台へ置いてきたので、無遠慮にしゃべる声もない。
沈黙のなかで、那渡は伝えるべきことを思い出した。顔を上げ、言葉を口にする。
「火勢さん……ありがとうございます。また、助けに来てくれて」
社交辞令や嘘ではなく、心からの言葉だ。火勢の行動の結果がつらい出来事であっても、そのことに変わりはなかった。礼を言われた火勢は苦笑いを浮かべる。
「助けてもらったのは俺の方だろ」
それを聞いて、那渡も笑うしかなかった。互いに何度も窮地に陥りすぎて、どちらがどちらを救ったかなど、些細な問題だった。
「それに、言ったよな。化け物を倒したくて俺は、進んで自分から来たんだ。余計な手間かけさせてるのはこっちだよ」
「そんなことないです」
火勢は真顔に戻り、あらたまって那渡へ語りかける。
「いや……悪かったよ。ごめん」
なにを急に詫びるのか。那渡は疑問に思った。
「あんたの考えを聞きもせず、戦うことを期待したりして、すまなかった」
火勢に言われ、はっとする。状況に流されて戦闘を続けてきたが、それすらも自分の選択だと、いつの間にか那渡は思い込んでいた。しかし実際は、立ち止まって考えるだけの余裕が欲しかったのかもしれない。それもまた偽れない本音だった。
「腕だって、別のやり方をしてたら、なくさないで済んだかもしれないのにな……」
もしかしたらの話でしかないが、その可能性もあっただろう。
「でもハガネだって言ってたみたいに、他の方法はなかったって、ぼくも思います。戦わなかったらすぐにやられてたし、戦ったからこそ、希力くんのことも助けられたし」
「ああ、それは確かだが」
火勢が言い淀む。伝えたいことをどう言葉にすればいいのか、迷っているようだった。
「立ち向かうにせよ、逃げるにせよ……どうしたいのか、はじめにあんたと話ができていればもっとよかったと……思っただけだ。俺は化け物を倒すことしか、頭になかったから」
火勢の述懐を聞き、那渡は胸が詰まった。目頭が熱くなり、顔を右手で覆う。
涙をこらえる那渡を心配しながら、火勢は視線を逸らした。
「……いまさらだな。本当に」
「いえ……ぼくも、気づいてなかったから……」
そうだ、気がつかなかった。迫られるまま決断するばかりでなく、自らの望み通りに決めるという選択肢もあったことに。
そして、自分が抱えてきたつらさを指摘してもらえたようで、少し嬉しかった。
「大丈夫です。大丈夫……」
ボディポーチからハンドタオルを出して目元をぬぐったとき、那渡の腹が高い音で鳴った。それを聴いて、ふたりとも可笑しくなる。
「治癒魔法で栄養を使うから、お腹が早く空くんですって。たぶんだけど」
「食欲あるか? なにか食べるものを買ってくる」
「お願いします。おにぎりとかサンドイッチとか、少しでいいので」
那渡は無意識のうち、片手でも食べられるものを選んで頼んでいた。
「あと火勢さん、服が灰まみれですね。着替えた方がいいですよ」
実際、火勢は体中に翼竜の灰を被っていた。ジャンパーの下のシャツにまで入り込んでいる。
「あー、そうだな……あんたも顔、洗ってくるか?」
「はい……ちょっと休んでから、火勢さんが戻ったら行きます」
エンジンの微振動が伝わる車内、那渡はいくらか楽になった気分で、助手席のヘッドレストに頭をあずけた。
荷物の旅行鞄を持って、火勢は車を出た。コンビニのトイレで服を着替えてから、食料を買い揃える。
火勢には、那渡へ訊きそびれていることがあった。
あの翼竜を、殺したくはなかったのではないか、と。
那渡がやけに動物の類を気にしていることは知っていたし、車内で彼女の沈痛な面持ちも見た。疲弊し、左腕のことでショックを受けているだけでなく、悲しんでいる様子くらい、火勢にもわかった。その理由までは読み取れないが。
どのように切り出すべきか、わからなかったのだ。もしできるならば悲しい気持ちをやわらげるため力を貸したかったが、那渡にとって踏み込まれていいことなのか判断もつかない。
火勢自身、つらい記憶の話はみだりに人へ話したくはないからだ。
……いや、こんなことに思い悩んでいる暇はない。あくまで那渡の身を守ることを最優先にすればいい。
考え直しながら駐車場へ戻ると、軽トラックは停めた場所から姿を消していた。
那渡はハガネを装着し、機体の首から上だけを開放した状態で軽トラックを走らせている。先ほどまでは意識の外だったが、戦闘中にパージした機体の頭部も既に回収・再接続されていた。
失った左腕の動きもハガネが補ってくれるため、不自由なく運転をすることができる。
高速道路を下り方面に乗り直した。
「ハガネ。このまま、ネムリの近くまで戻ろう」
『本当に再戦を仕掛けるのですか? カセの助力は不可欠と考えられますが』
「うん……火勢さんをこれ以上は巻き込まないで、片をつけたい」
ネムリとの戦闘になればきっと、火勢はまた体を張って手助けしてくれるだろう。さらなる危険が彼に降りかかる事態を避けるため、那渡は単独で戦うことを選んだのだ。
火勢の信用を裏切って独走することについては、心が痛む。
だが火勢の存在が自分の助けになればなるほど、彼を死なせたくないと考えてしまう。那渡自身もつい先ほど、その心理を認識したのだ。
そして、翼竜のようなネムリの協力者がまた現れる前に、決着をつけたいとも思う。
亜粒子ビームカノンで重いダメージを与えた今ならば、ネムリの魔力も大幅に弱まっているはずだった。魔力資源へのアクセス権を持つ、こちらが有利だろう。
『サカナ。自己治癒魔法が発現したからといってあなたも万全ではありません。勝算こそありますが、警戒を怠ってはいけません』
「うん、わかってる。ありがとう」
ハガネの装備で飛行をせずに車で移動しているのは、魔力資源へのアクセスによる那渡の負担を軽減するためだ。魔力資源から取り入れた魔力の制御には、行使するエネルギー量に見合った、那渡自身の生体魔力を少なからず消費する必要がある。交戦前の無用な消耗は避けるべきだった。
また火勢のレンタカーである軽トラックを盗んできたのは、彼の足を奪って移動を封じるためでもあった。万が一にでも追って来られては、単独で戦いに出向く意味がなくなってしまう。
ネムリに勝つことができたら火勢を拾いに戻ろうと、那渡は考えていた。
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