第4章 銀の翼竜、白い猫 [2/10]

 トラックを選んだのには理由がある。荷台に、メンテナンス形態へ変形したハガネを積載することができるからだ。

 ナバリとの戦闘で、ハガネは機体の複数箇所を破損した。自己修復機能があるメンテナンス形態を維持するには最低限、長さ二メートル弱のスペースを要するという話なのだった。

 そして、修復のために消費する魔力の源として当然、那渡が装着している必要がある。


 郊外まで出て、人目のない林道に駐車する。

 那渡は軽トラックの荷台へ少し膝を曲げて仰向けに寝そべり、ハガネのハンドキャリー形態――非戦闘時の、携行用アタッシュケースの持ち手を握った。

 ハガネが那渡の体を被い、装着される。

 続いて外部装甲が形を変え、ガンメタル色の直方体の函となって本体を収容した。

 棺桶に似てるな、と外側から見る火勢は思ったが、縁起でもないので口には出さない。

 函の表面をノックして、「車、動かしてもいいか?」と尋ねる。

「……大丈夫そうでーす」と返事があった。

 自分の荷物を入れた旅行鞄や那渡のリュックサックごと、荷台全体に防水シートをかけ、再発車する。


 身に着けているハガネ本体と、外装のメンテナンス筐体越しに、那渡は車の揺れを感じていた。筐体が衝撃を緩和しているのか、不快感を伴うほどの振動はない。

 もちろん全身にパワードスーツを装着した状態は、窮屈とまではいかないものの快適とはいえず、夜の睡眠時間をホテルの寝床で過ごしたのは正解だった。ハガネからは、夜間に機体のメンテナンスをする提案もあったのだ。

『修復をスムーズに進行させるため、リラックスした精神状態を保ってください。また、今後の戦闘に関わる報告があります』

「わかったよ。また、魔法の話?」

『はい。ナバリとの実戦を経て、あなたの魔力志向性にはかなりの向上がみられています。今までよりも多種の武装を使用することができるようになりましたし、中層魔力資源へのアクセス制限の解除にも、長い日数は要さないでしょう』

 そのように言われても特に実感はなく、嬉しいかと問われれば答えは微妙だったが、事態の解決が近づいたのはいいことだと那渡は思った。

 ――そう、悪くない結果だ。ナバリを斃した手の感触を思い出す。事前に戸惑っても、いざその時が来れば、ためらいは自分に無かった。魔力志向性という機械的な指標が、那渡の本心を証明していると感じた。

 自分は戦うことを決め、助けたい者と敵の、生死を選択することができる。少なくとも自分なりに、そのどちらかを望むことが。

 だから戦える。自らへ突きつけるように、慰めるように、那渡は考えた。


 メンテナンスの進捗状況を示す表示が視界を埋める。始めは内容を理解しようと読んでいたが、シアンブルーの文字を追うのにも疲れたので、ディスプレイをオフにしてもらった。

『アナログ電波のラジオを受信することもできます』

「じゃあ、それお願い」

 軽やかな音楽、にこやかな話し声。ドライバー向けのFMラジオ放送が流れてきた。

 ラジオの音声で気を紛らわしながら、那渡は再び、猫のすいに思いを馳せた。



 拾った子猫を連れて帰った。

 土埃で汚れて灰色だった体は、拭いてみるときれいな白になった。両親に掛け合い、子猫を飼うことを許可してもらった。

 翠色の目だから〝すい〟と名づけた。

 子猫は那渡の家で食べて寝て、ぐんぐん育った。

 綿毛のような毛並みは成猫になると艶が出て、美しいシルエットをつくった。すい自身の、努力を惜しまず全身を舐めつくす毛繕いの習慣のおかげで、彼女は常に清潔だった。

 どこぞの高貴な血筋のお嬢様かと、那渡はよく戯れにもて囃したものだ。

 大きくなってからしばらくは外飼いをしていたが、野良猫がひどい危害を受ける事件が近所で起きてからは、親に頼み込んで室内飼いに変えた。

 ひとまず、すいは難を逃れたものの、ろくに罰せられないことにつけ込んでそのようなことをする人は、いなくなりでもしてくれないと安心できないな。高校生になったばかりの那渡は、そう憤った。

 そして自分があまりに短絡的な考えを浮かべていることに気づき、少し驚いた。


『魚心あれば水心』という、ことわざがある。

 那渡の親友は高校当時、家猫のすいを見に来て名前を知り『〝魚心サカナごころ〟あれば〝水心すいごころ〟』ともじって言っては、那渡の可愛がりぶり、すいの懐きようを茶化してきた。

 那渡もまんざらではなく、〝サカナ〟というあだ名をいっそう気に入った。

 膝の上で寝息を立てている白い毛玉の彼女を抱き、愛とか信頼とかに触れられたなら、こんな心地なのだろうか――そう思った。



 この日、那渡と火勢は休憩を多めにとり、一般道を使ってゆるやかな速度で移動を続けた。

 機体の修復が完了したと、道中でハガネが告げた。那渡はまた人目を避けて筐体から這い出し、軽トラックの運転を火勢から替わる。マニュアル車でなくて助かった。

 日本海側の山間部を走り、京都府を横切って兵庫県へ。夜の九時頃、食事のため手近な飲食店に入る。時間が遅いのは通りがけの道の駅で那渡が、しこたま間食をしたためである。寒空の下でクレープやソフトクリームを頬張りつつ、この旅中はじめて彼女は少し楽しいと感じてしまったのだった。火勢は狭い車内で眠っていた。

 ふたりが夕食で入ったのは、国道沿いの中華料理チェーンだ。

 店で那渡はカニ玉定食、火勢は炒飯と餃子を注文して食べ、食後には今夜の移動について相談することにした。


 月の出と月の入りの時刻は、日毎におよそ五十分ずつ遅れるよう変化していく。食事を終えて現在時刻は既に、月の出から二時間弱が経過していた。

 天気は曇りで星も見えない夜だったが、魔力資源へのアクセスに不可欠なキーコードを受信するためには、月を視認できる必要はない。月面にある発振器からの重力波信号を有効な状態で受け取れるよう、月が昇ってさえいればいい。

 月が出ている間は、ネムリの襲撃を受ける可能性がより高い。本日からは夜間を警戒体制として移動を続ける方が良いと火勢は言い、ハガネが同意した。

 体力に余裕があるので、交代で仮眠をとりながら運転することを那渡も提案し、火勢は受け入れた。

『夕食の消化が落ち着いてから、魔力資源接続下でのマニュアル操作訓練を実施しましょう』

「ハガネは訓練が好きだねぇ」

 こちらも昨日から引き続き提案するハガネに、冗談まじりで那渡は答えた。

『好むと好まざるとに関わらず、必要なことですので。サカナも、実戦よりは訓練の方が望ましいのではないでしょうか』

 ……確かに。ナバリとの戦闘で直面した恐怖を思い返すと、肯定しかできなかった。


 那渡は火勢の携帯電話から、インターネットを通じてネムリの目撃情報を検索してみたが、望むような内容は見つからなかった。そもそも火勢のボタン操作式端末は、ブラウジングがやりづらい。

 漸とも文字のメッセージでやり取りをしたが、ネムリにつながるニュースは見当たらないということだった。

「あのなりで走り回ってたら、騒ぎになりそうなものだけどな」

「隠れて移動したり、服を着るって知恵があるんでしょうか……」

『ネムリは外見に無頓着ではありますが、状況に応じて道具や装備を使うことが記録されています』

 代わりに、ナバリとの遭遇に関する記事を発見した。

 滋賀県内の田園地帯に謎の落下物があったこと。また別のウェブサイトでは、琵琶湖の反対側にある地域で山林の樹木が多くなぎ倒され、交通設備も被害を受けたことが報じられていた。

 相互の関連性は言及されず、それぞれ詳細は調査中と結ばれている、小さなニュースだった。

 那渡は小さくため息をついた。

『どうしましたか? サカナ』

 ハガネが気にかけてくる。

「ぼくたちが戦えば、周りに迷惑がかかるんだな、って思って……。どうしようもないことかもしれないけど」

 漸を助けて人死には避けられたが、磨道鬼との戦闘は熾烈だ。状況によっては自分たち以外の怪我人が出る可能性も、決して否定できない。

 そもそも那渡は、山林を破壊したことも気に病んでいた。たとえひと気がなくとも、無用に巻き込まれた獣や鳥や虫たちは、いたことだろう……。

 思い悩む那渡の横で火勢は、気にするな、とも、割り切った方がいい、とも言わなかった。ただ那渡から聞いた第一声が、野良猫とか狸のことを心配する言葉だったな、と思い出していた。

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