第4章 銀の翼竜、白い猫 [1/10]

 窓の外で、電線にとまった一羽の烏が羽繕いをしている。

 丸々としたシルエット、黒々した毛艶。つぶらな瞳、きれいに揃った尾羽。健康的な容姿の烏だ。

 くちばしを胸にうずめ、羽毛をつついて整える。胸の作業が終わると、次は翼の裏側、その次は背中へと、順番に移っていく。

 こまやかな動きで羽繕いを済ませ、気持ちよさそうに片肢を後ろへストレッチさせる。頭頂部の羽毛が、寝癖のように跳ねているのが愛らしい。

 仕上げに全身を身震いさせると、頭の跳ねっ毛もすっかり直った。そうして、烏は飛び立っていく。

 一連の動きに目をうばわれていた沙坂那渡は、視界から去っていく烏を満足げに見送った。


 ここは福井県内のビジネスホテル。東西に長い福井県の、中心よりやや西側に位置する。漸少年と別れた那渡たちは、日本海側へ車を走らせたあと、深夜に宿をとったのだった。

 宿泊はハガネの提案だ。作戦のため那渡が新幹線で名古屋まで後戻りをしたときにも、ネムリが接近してくる兆しがないことは、不可解だった。ここは闇雲に移動を続けるよりも、まとまった休養時間を確保し、不測の事態に備えることが優先されると、ハガネは言った。

 実際、人間たちは休養を要していた。火勢は満足な睡眠をとっておらず、那渡もはじめての本格的な戦闘で疲弊していた。なによりふたりとも、命がけの戦いに平然と臨めるようなメンタルを持たない、一般人なのだ。那渡も火勢も、互いの疲れた顔を見て、ハガネの提案に賛成した。

 かくして現在、ふたりと一機はこのホテルに滞在していた。


 那渡は二階の食堂で、サービスのモーニングを利用中だった。烏の身繕いに気をとられて止まっていた手をまた動かし、トーストをたいらげる。

 食後のインスタントコーヒーを淹れていると、火勢が戻ってきた。那渡より先に朝食を済ませた彼は一階フロントで、二部屋分のチェックアウトを済ませてくれたのだった。宿泊費は先払いなので、やることといえばルームキーを返却するだけだが。

 夜は隣り合った部屋を確保して眠り、磨道鬼の接近はハガネが一晩中、魔力ソナーで警戒をしていた。万が一魔力の検出があった場合には、即座にふたりを叩き起こすと保証して。

 漸を襲撃したナバリのようなステルス能力を有する磨道鬼の接近は検知が困難だが、それは例外的な個体の特性として割り切って今回は休養を優先するよう、一同は判断したのだ。

「飲み終わったら、ここを出よう」

 火勢が那渡に言った。本日も移動を続ける予定である。


 丹念に身繕いする烏を見ていて、那渡はある猫のことを思い出していた。

 一年ほど前まで飼っていた雌の猫だ。名前は〝すい〟。

 彼女も自身の毛繕いには熱心で、手入れが行き届いた毛並みはいつも、真っ白ですべすべだった。

 細くて長い、よく動く尻尾。淡く澄んだ青緑色の瞳。こまめに語りかけてくる、柔らかな響きの鳴き声。

 十二年間を生き、去っていった猫の記憶を、那渡は反芻する。



 その白い猫を見つけたのは、交通量が多い県道沿いだった。

 中学からの下校途中、行き交う車の音にまぎれて、生き物のか細い鳴き声が聴こえた気がした。

 立ち止まって辺りを見回すが、何の姿もない。勘違いかと思い歩き出そうとすると、また声がする。

 誰かが鳴いているのだと確信した那渡は、歩道に這いつくばって周囲を覗き回った。すると道路沿いの植え込みの中に、薄汚れた灰色の丸い塊をみとめることができた。子猫だ。

 親猫や他の子猫も近くにいないかと探してみたものの、見つからなかった。

 捕まえなくては危ないと思ったが、驚かせて自動車の前に飛び出されでもしたら、目も当てられない。

 那渡は通り過ぎる車が減ったのを見計らって車道側へ回り込み、低木に頭と腕を突っ込んだ。おびえている猫を掴み出す。

 子猫は嫌がって身をよじるが、激しく暴れたりはせず、細い声を発するばかりだ。

 こんなにも小さくて温かな生き物に触れたのは、那渡にとって初めてだった。



 ビジネスホテルの宿泊費で所持金が尽きた。

 那渡はコンビニエンスストアのATMで現金を下ろしたあと市街地の適当な量販店に入り、インナー類と冬用のトレーニングウェアを数着買い揃え、着替えてから店を出た。唐突な遠出となったため予備の衣類など持っていなかったし、通勤服よりは動きやすい服装の方が望ましいと考えたのだ。戦闘への備えとしては。

 さらに火勢から頼まれていた替えのジャンパーを購入し、ついでに非常用の携行食や、応急手当のために救急セットも入手しておく。

 増えた荷物を詰めるために大きめのリュックサックを買い、壊れたショルダーバッグの中身もリュックへ移した。

 貴重品類の携行用に、斜め掛けのボディポーチも用意した。中に入れる物の厚みさえ抑えれば、ポーチを身につけたまま、ハガネを装着できるのだ。財布と、壊れていて使えないが個人情報が詰まった携帯電話も念のため、収納しておくことにする。

 コスメの類は元々の手持ちがあるので特に必須ではないが、洗顔料と化粧水だけは旅行用の小さなものを買って、リュックサックへ放り込んでおいた。



 火勢は、レンタカーの利用手続きをしている。車種は平ボディの軽トラックだ。色はシルバーのみで選べない。自前のセダンはナバリとの戦闘でさらに損傷が増え、走行はできるものの、職務質問を避けられない見た目となってしまったのだった。

 レンタル期間は長めに見積もり、十日間としておいた。それまでに解決しなければ、日本中をぐるりと回って戻り、また立ち寄って延長することも考えなくてはならない。

 セダンについては、近隣のコインパーキングに長期貸しのサービスがあったため、定期券を購入して最長一ヶ月は放置、もとい駐車しておけるようにした。

 手続きが終わって軽トラックを出庫できるようになったところで、那渡が買い物から戻ってきた。スポーティーな上下に斜め掛けのポーチ、大きなリュックを背負って片手にはガンメタリックのアタッシュケース――ハガネを携えていた。もう片方の手に提げた紙袋を差し出してくる。

「お待たせしました。これ上着です」

「ありがとう。ちょうどだった」

 紙袋から出した真新しいジャンパーに、火勢は袖を通す。

 軽トラックの荷台に荷物を積み込み、一行は出発した。

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