第3章 テレキネシスの鎌鼬 [10/10]
ナバリを撃破したあと、戦いの痕跡をできる限り片づけた
ナバリが放った最後の念動斬撃は、漸が食い止めたため、火勢の肉体までは達していなかった。彼の黒いジャンパーは背中を切られた上に袖も焼け焦げ、みすぼらしさの極みであったが。
膝の上に抱えていたスクエアリュックを持ち上げながら、漸は助手席から外に出た。
「なにがあったか、ご家族に話すよ」
運転席から立ち上がりつつ火勢が提案するが、漸は首を横に振る。
「別にいいよ。服は汚れたけど怪我はないし。……おかげさまで」
ありがとう。続けて漸は、そう伝えた。
「よかったよ~」
那渡が、眼鏡の奥で寝ぼけ眼をしょぼつかせたまま笑う。魔力行使による心身の消耗がたたり、移動中は後部座席で眠りこけていたのだった。
「サカナさんも、かっこよかった」
漸に褒められ、照れ隠しに短髪の頭頂部を指でかき回す。
少し沈黙があってから、漸は切り出した。
「おれ、ついて行かなくて大丈夫? ……サカナさんたちの力に、なりたいんだけど」
その申し出を認識し、寝ぼけた頭なりに、那渡は衝撃を受けた。
漸が助けを差し伸べてくれたことを嬉しく思い、いっそ彼を抱きしめたいくらいの衝動に駆られたが、踏みとどまる。
この逃避行は危険だ。とても、子供を道連れにはできない。現に自分たちの力が足りないことで、漸には大きなリスクを冒させてしまったのだ。
彼の勇敢さは本物だと思うものの、同行してもらうという選択をする余地はなかった。
そんな那渡の思いを知ってか知らずか、発言したのはハガネだった。
『ゼン。我々の戦いには、あなたを連れていくことはできません。あなたは魔法の確立が不完全であり、戦力として数えられないためです』
淡々と諭すハガネ。
実際、ナバリとの決着後に何度も試してみているが、漸が念動力を任意に発揮することはできていないのだった。彼が独力で魔法を行使するためには、まだ欠けているものがあるのだろう。
「……行かない方が、ましってこと?」
『その通りです。ナバリには苦戦しましたが、それと比較してもなお、ネムリは強力な磨道鬼です。命の保証がない戦いに、戦力外の者を同行させることはできないのです』
「でも、だったらなおさら……魔法の使い方を覚えさえすれば、助けになれないかな」
主張は控えめながらも引き下がらない漸に、ハガネはきっぱりと言い切る。
『私たちの誰も、魔術の専門家ではありません。あなたに魔法の指南をすることは、不可能です』
専門家なんて、どこにいるというのだろう。にべもないハガネの説得を見かねた那渡は、横から口を挟んだ。
「じゃあさ、その代わりお願いしてもいい? ハガネの言う通り、一緒に来てもらうのは無理なんだけど」
ハガネに断られ、うつむきつつ唸っていた漸は、顔を上げた。
「もしテレビとかネットで、ネムリに関係ありそうなニュースを見つけたら、知らせてほしいの。えーと……火勢さんの電話番号を教えておくから。壊れてるけど、一応ぼくのも」
漸に同行を諦めてもらうための提案ではあったが、ネムリへの対策を立てるために情報が欲しいのは、まぎれもない事実だった。
「それ、手助けになる?」「かなりなる」
そのことを理解してか、漸は素直に聞き入れてくれた。
火勢もボタン操作式の携帯電話を取り出して言葉少なに、漸と連絡先を交換する。
「わかった。一日ずっと、チェックしておくよ」
「学校の授業はちゃんと受けた方がいいと思う」
那渡と軽口を交わした漸が年相応の表情を見せ、ふたりは笑い合った。
「ありがとう――心配してくれて。またね、希力くん」
それと、一緒に戦って、助けてくれて。口にするか迷ったが、その言葉を、那渡は人知れずしまい込んだ。
「漸、元気で」
火勢はためらいがちに、漸の肩を掴んで放した。セダンに乗り込んで出発するふたりへ、漸が手を振る。
住宅街の角を曲がって漸の姿が見えなくなり、数十メートル離れてから、火勢は路肩に停車した。
那渡が横目で見ているなか、火勢はハンドルに額を寄せ、肩を震わせて泣き出した。
なにか声をかけることもできず、那渡は目を伏せた。
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同時刻、ネムリは森の中に潜んでいた。
未だに東京都と山梨県の境界付近であり、ほぼ移動をしていないことになる。
相変わらずの裸体のまま、白いざんばら髪の隙間から空を見上げている。
見上げる視界から一瞬、月が消えた。雲ではない何かが、月明かりを遮ったのだ。
ネムリの頭上に、その何かは降りてきた。
それは白銀の鱗を全身に纏う、竜だった。
薄く大きな両翼を広げ、木々の間に降り立った。
胴体の大きさはまるで犀のようだ。長い首と尾を含めれば、体長はさらに倍となる。
竜は首を下げ、ネムリに頬を寄せた。
ネムリはそれには応えず、黙って竜の胴まで歩み寄る。
背中には鞍が乗せられ――その上に金属製の鎧、そして長大な斧槍が、括り付けられていた。
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「……悪い。早く進まないとな」
火勢が顔を上げた。無事な方の袖で涙をぬぐい、エンジンをかけ直そうとする。
そのとき、那渡は黙って、自分と火勢のシートベルトを勝手に外した。そのまま助手席から降りて運転席の側へ回り込み、ドアを開ける。
むりやり運転席に体をねじ込み、全身を使って火勢を押しのけた。
「おい。……おい」
心身ともに弱っている火勢はされるまま、レバー類を越えて助手席まで追いやられた。
「替わります。オートマだったら運転できるので。……ハガネ、ナビお願い」
那渡はシートベルトを締め直してキーをひねった。なにかしら理由を見つけて制止しようとする火勢へ、静かに言う。
「ひと眠りしててください。全然休んでないでしょ」
思いのほか、その言葉が力強く感じられて、火勢は運転を任せることにした。
「そうかな……そうだな」
火勢は、涙の止まった目を瞑る。目元を同じように赤くした那渡が、セダンを発車させる。
悪夢としか言い表しようのない記憶。
それと向き合うにしても、体力が要るのは確かだと、そう火勢は思った。
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