第3章 テレキネシスの鎌鼬 [9/10]
ハガネの機体は斜面を転がり落ち、落石防止のフェンスを突き抜けて下の山道へ叩きつけられた。
内部の那渡にも甚大な衝撃が伝わってきた。頭が強く揺さぶられ、くらくらする。
『左右大腿部および左肩部にて、魔導流体パネルの破損を確認。我々の物理保護機能を上回る破壊力です。流体循環経路から、該当箇所を封鎖しました』
ハガネは機体状況のチェックをしながら、なんとか立ち上がる。念動打撃を受けて砕かれたパネルからは赤い光が失われ、透明な液体が漏出していたが、すぐに止まる。
この魔導流体の循環こそが装着者と機体を同調させ、魔力と呪文を共有するためのメカニズムなのだとハガネは言うが、那渡にはまだよく理解できていない。
要するに、魔力資源へアクセスするときや外部装甲を武器として使うときには露出してしまうこの魔導流体パネルが、ハガネの重大な弱点ということだった。
「ナバリのところに戻らないと……」
那渡がハガネに呼びかけたとき、近くに立っていたカーブミラーの支柱がぐにゃりと捻じ切られ、こちらへ飛来してきた。
オレンジ色の鉄柱が両腕と胴体を束ねるようにハガネへぶつかり、両端が背後のコンクリート擁壁に突き立つ。
支柱は擁壁へ深々と刺さり、まるでホチキスの針のようにハガネの機体を固定した。
「…………!」
絶句する那渡の頭上から、ナバリが道路へと降り立った。その胸から背中にかけては、チャインソードの刃が貫通したままだ。
顎の鱗甲板の隙間を通り、口から吐かれたと思わしき体液が滴っていた。色はどす黒い。
振り返りざま左腕のブレードで、ハガネの腰部に残るガントンファーを、マウント箇所から切り離す。ハガネは丸腰にされた。
ナバリは続けて、ハガネの頸部を掴んだ。右手の鉤爪に念動力を込め、装甲へ食い込ませる。本来であれば、魔法で強化されて破壊を許さない外部装甲であるが――。
『サカナ。魔導流体の一部流出、および魔力の多量行使に伴う消耗により、機体の出力低下が顕著です。ナバリの攻撃を受け続けると、装甲が破られる危険があります』
「それって――」
負けて、死ぬということか。途端に、いくつもの恐れが那渡の脳裏をよぎった。
那渡が殺されれば、次は漸だ。火勢も、無事では済まないだろう。
「ハガネ。な、なにか、こいつを倒す方法……」
『カセたちが接近しています』
那渡は驚きのあまり、喉を詰まらせそうになった。
曲がりくねった山道の上手、那渡の見る左側から、灰色の乗用車が走ってくる。
ハイビームをナバリへ向け、けたたましくクラクションを鳴らしながら、まっしぐらに。
運転席の火勢は、車を加速させた。遠目にもハガネが劣勢に見える。
ハガネの首から爪を放して、ナバリがこちらを向いた。漸の接近に感づいたようだ。右腕を前へ突き出し、念動打撃の構えをとってくる。
あわや衝突というとき、火勢がハンドルを左に切りながら窓から鞄を投げ出すのと、ナバリが圧縮空気の打撃を放つのは同時だった。
セダンの側面がめしゃっ、と音を立てて大きく潰された。車体はスリップし、回転する。
火勢が投擲した鞄の中身は火炎瓶だ。数本の火炎瓶が、火口に点火された状態で詰まっている。ナバリは鬱陶しそうに、念動力でそれを払い除けた。
――払い除けようとしたが、その作用を阻害し、鞄をナバリの方に押し込む力が加わった。
後部座席の漸は、目を閉じて意識を集中させていた。念動力が火勢の鞄へと込められる瞬間が、手に取るように判った。
力の存在を認識できさえすれば、手足を動かすのと同じように、押し返してやればいいのだ――。
緊迫する状況の中、感性が研ぎ澄まされる。
漸は本能的に、魔法の行使を理解していた。
ナバリの念動力を、漸の力が相殺した結果。
鞄は当初の軌道通りに放物線を描き、ナバリへ命中した。
中のガラス瓶が割れて燃料が降り注ぐ。気化した燃料に引火し、ナバリの体は再度、火炎に包まれた。
激しいスピンの末ガードレールと接触し、火花を散らすセダンの中で漸は、よし、と小さく拳を握った。火勢は車体のコントロールを取り戻そうと苦心しつつも、ナバリの炎へありったけの火力を注ぎ込む。
五体を焼かれながら、ナバリは自らの魔法を行使した。目的は火炎の除去。周囲の空気を薄くして炎を弱め、全身に染み込んだ燃料を弾き飛ばす。
ナバリの念動魔法は、近距離限定だが強力かつ精密な能力だった。繊細な制御が不可欠であるため、複数の対象へ同時に作用を持続させるのは難しい。
それゆえにハガネの動きを封じる鉄柱へ、力をかけ続けることが疎かになった。
ハガネが力尽くで、コンクリートの擁壁から鉄柱を引き抜き、戒めを解く。
両腕を伸ばし、ナバリの背中から生えている刃を掴んだ。手で強引に刃先を回転させ、ナバリの心臓へ向ける。
そして心臓へと、チャインソードの刀身を峰から押し込んだ。
筋肉の痙攣が、刃と鎧を通して手の平に伝わってくるのを、那渡は知覚し、その苦痛を自分のもののように想像するのを、止めることができなかった。
ナバリは、胸の辺りを掻き毟るように手を動かした。体中が震えたかと思うと、横向きに倒れ込む。
飛び散った燃料が、路面に場所を移して、至るところで燃焼していた。
『ナバリの心臓を破壊。魔力反応が急激に減衰していきます』
那渡は荒い呼吸をしていた。道路に広がる血溜まりを見る。炎に照らされてもなお、コールタールのように真っ黒な体液だった。
横たわるナバリは傷ついた人にも獣にも見え、那渡は痛ましく感じた。
火勢と漸がシートベルトを外し、ガードレールにぶつかって停止した車から出てくる。
「作戦通りにやれなくて、すまない」
「いえ、助かりました……」
火勢が言い、ナバリから目を離さずに那渡は応じた。ハガネによる状態解析途中であり、鬱々としながらその結果を待つ。
『下がってください。ナバリの魔法は、未だ機能しています』
ハガネがとっさにオートパイロットでガントンファーを拾い、ナバリへ向けて拳を固める。
「まだ動く!」
火勢の後ろで、漸が叫んだ。
今一度、ナバリの体に力が漲り、周囲の空気が激しく渦巻いた。
あまりの風圧に、最も近くにいたハガネが吹き飛ばされた。ナバリへ接近できず、道路に這いつくばる。
火勢は強風に煽られ、車のボディに頭をぶつけながら転倒した。
漸は、吹き荒ぶ風を耐えるため体を低くし、片膝を突いて身構えた。
ふらつきつつも、ナバリが立ち上がる。右腕をハガネへ向けて突き出し、牽制する。
まさに鬼気迫る様相だった。
『自身の血流を操り強制循環させ、一時的に魔力を復活させたようです』
「ハガネ、説明よりも!」
ナバリが左腕のブレードを、漸に向けて振りかぶった。刃が届く距離ではないが、念動斬撃であれば有効圏内だ。
次が決死の一撃であることは、那渡にもわかった。
ナバリの視線を、漸は受け止めた。目を逸らしては負けだ。そう感じた。
朦朧とする意識の中で、火勢は体を起こした。
夜の闇、燃え盛る炎、化け物と少年。
悪夢のような、現実の記憶がフラッシュバックする。
火勢は、込み上げる怯えに突き動かされた。叫び声を発し、前から漸に覆いかぶさる。
ナバリがブレードを一閃させる。
漸の集中は途切れなかった。頭を火勢にかばわれ、後ろへ倒れ込みながらも、意識はナバリの攻撃を迎え撃つ。
火勢のジャンパーの背が引き裂かれ、中綿が散る。同時に、割れ響く音が空中で鳴った。
そして、ナバリのブレードが、根元から粉砕された。
漸の念動力が、圧縮空気によるナバリの斬撃を跳ね返し、その威力がブレードの強度を上回ったのだ。
信じがたい事実に、ナバリの両目は見開かれる。
那渡は火勢の叫びを聴いた。心の生傷を、今まさに抉られている者の声だった。
漸ではないその名前を理解し、胸が張り裂けそうになる。
しかし那渡が纏うのは、機械仕掛けの鎧だ。たとえ装着者の膝が哀しさで挫けても、決着のために一歩を踏み出す。
那渡が望む限り、それを実現する力を備えている。
心が魔法の力を得て、強くハガネを駆動させるのだ。
ハガネは左手のガントンファーを噴射させた。荒れ狂う暴風をかき分け、前方へと推進する。
伸ばした右手が、ナバリの胸に突き立ったチャインソードのグリップを掴む。全ての自重をかけ、その剣を振り抜いた。
超振動を発する刃が、ナバリの胸部から脇腹までを斬り裂く。多量の出血が迸る。
黒い血流が断たれ、最後まで維持されていたナバリの魔法が解けていく。
そうして獣人の磨道鬼は、擬似生体の活動を停止した。
断末魔の叫びすら上げず、ナバリの肉体は鉤爪の先から順に、灰と化す。
灰の塊は、ナバリ自らが起こし、残されていたつむじ風にさらわれ、崩れ去った。
大気圏再突入の熱で燃え尽きたはずの亡骸が、本来の形へ戻っていくかのようだった。
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