第3章 テレキネシスの鎌鼬 [6/10]
腐って崩れた壁の穴から中を覗くと、反対側の壁の近くでナバリの姿と、
月の出はまだだ。殺されることはない筈だが――。
しかし、ハガネの判断が絶対に正しいという保証もない。たとえ命は奪われなくても、後遺症が残るような危害を受けるおそれもある。
火勢はあせりつつ、迷うことなく決断を下した。
鞄から火炎瓶を掴み出すと、古寺の露出した床下へと放り、転がした。二本、三本と続けて同じようにする。
さらに、懐から煙草の箱を出して開封する。一本を抜いてライターで火をつけ、強く吸って葉の燃焼を安定させると、瓶の隣へ投げ込んだ。
ナバリに気取られず火種にするためだ。火炎瓶の火口へと直接点火した際の油煙に比べれば、煙草から立ち上る煙はささやかなものだった。
そしてハガネのセンサーユニットへ向け、低くつぶやく。
「魔力ソナーを起動してくれ」
本体から遠く離れて独立稼動しているユニットは、火勢の音声入力を受け付けた。
----------
漸の首が、急に圧力から解放された。猿ぐつわを嵌められたまま咳き込み、少年は床に横たわる。
異形が怪訝そうに立ち上がり、漸に背を向ける。
漸の感覚には、あの耳障りなレーダー音が聴こえていた。
異形は軋む床を歩き、反対側の壁へ近づいた。
レーダー音の源は床下だと、漸が直感すると同時に――異形が腕を上げ、振り下ろした。
轟音が響き、異形の能力が床板を崩壊させた。さらに、その下にあるものを押し潰す。
風圧で巻き上がった土埃に混じるのは、微かな紫煙の匂い。
ナバリの眼に、床下の地面に転がった金属製の機器が映る。
その周囲にはガラス瓶の破片が散らばり、瓶に充填されていた液体燃料が流れ出ている。
そして煙草から燃え移った火が、赤々と燃えていた。
次の瞬間、廃墟の天井まで届く激しい火柱が立ち上り、ナバリを巻き込んだ。
即席の罠は成功したようだ。昨夜数年振りで購入した煙草が、思いがけず役に立った。
――子供ができたときから、火勢は喫煙をやめていた。危険な争いに関わって浮足立つ気持ちが、煙草でも吸えば少しくらい紛れるかと買ってはみたものの、封を開けることすら結局できなかったのだ。
全身の体毛へ引火して炎に包まれるナバリを尻目に、古寺へ侵入した火勢は漸に駆け寄った。
火勢の魔法は、炎の強弱を任意に変える能力だ。
有効範囲は自分を中心とした半径十メートル程度。その中であれば、視界の外であっても炎の存在を感知し、火力を操ることができる。
取り出したポケットナイフで、まずは漸の足に巻かれた縄を切る。助け起こしながら、腕の拘束と猿ぐつわも切断した。ナバリが転げ回りながら燃えているおかげで、手元は明るい。
「立てるか? ……逃げよう」
漸を促して古寺から脱出させる。汚れた頬を涙が伝うさまが、痛々しかった。
ナバリを見た。炎上したままうずくまっている。ネムリの前例を考えると、これでとどめとはいかないだろう。
廃墟の中に暴風が吹いた。
ナバリを包んでいた炎が、風と一緒に飛び散って消える。念動力を用いて毛皮から、引火した部分を切除したようだ。
床に伏しているナバリは黒い塊のように見えたが、爛々と輝く眼が、憎悪を孕んでこちらを直視していることはわかった。
警戒しつつ、火勢は古寺を後にした。山火事が起きても困るので、床下にくすぶって残る炎も、能力で消し止めておく。
漸は外で待っていた。
「ええっと……火勢さん!」
「走って!」
漸を先に走らせ、何度も振り返りながら細道を戻る。ナバリを倒せない以上、ここは逃げて、那渡とハガネの到着を待つしかない。
暗くて腕時計を読むこともできないが、この場所も、もうじき月の出を迎える。
――すぐ、飛んで来るんだろ?
細道から道路に出た。反対側のガードレールを越えて下手の林へ逃げることも考えたが、たとえ木々の間に隠れても、漸はナバリに発見されてしまうだろう。
道路を右に走って車を停めた場所へ向かうよう、漸に指示する。彼は拘束のダメージから回復して、身軽に動けるようだった。
その健やかさが心強い。
駆け出すリュックの背中を見送る。自分がここに残るつもりであることは、伝えない。
火勢は再び細道の方を振り向いた。上空に影を見た。
ナバリだ。直線的にこちらへ跳躍してきている。
点火していない火炎瓶を一本、とっさに道路へ叩きつけた。瓶が割れ、燃料が路面に広がる。
ナバリの着地に合わせて火を放てば、あと一撃は不意打ちを食らわせて、少し時間を稼げるはずだ。
ポケットから金属製のオイルライターを抜き、火をつけて構える。
大きな放物線を描いたナバリが、道路に着地する寸前――。
路面から燃料が飛び散った。液体燃料が気化しながら、火勢にも降りかかる。
手に持ったライターの火が燃料に燃え移り、火勢の意図に反して大きくなった。
ジャンパーの袖が焦げ、頬が炙られた。火勢は慌てて炎を制御し、鎮火させる。
その間にナバリは、悠々と道路に降り立っていた。
念動力で先手を打たれ、ダメージを与える機会を失ってしまった。
こうなっては、背中を見せて逃げたとしても即座に殺されることだろう。火勢は半歩踏み出し、ナバリを睨んで威嚇した。
漸は、しっかり逃げているだろうか。
そんな心配が頭をよぎる。
ナバリの体表が波打った。
燃え残った被毛が、鱗に似た殻――鱗甲板に変化する。これが戦闘時の形態、ということらしい。
ナバリが片腕を持ち上げる。
操られたガードレールの金属板が変形し、背後から火勢の胴に巻きついてくる。火勢の体はガードレールの支柱に拘束された。
注意を払って身構えていたつもりだったが、ナバリの能力には、とても人力では対抗できない。
もう一度、ナバリが腕を振りかぶる。那渡に放った斬撃と同じ体勢だ。
どう楽観的に考えても、直撃を受けたら死ぬだろう。心の中で那渡とハガネに詫びながら、さっさと来い、とも思う。
覚悟を固め、視線はナバリを見据えたまま逸らさない。
しかし、――おい、冗談だろ。
横から走ってくる、スニーカーの足音がした。
ナバリが腕を振り抜かんとする。
「火勢さん!」
戻ってきた漸が叫んだ瞬間、空気が揺らいで、ナバリの体が後ろに吹き飛んだ。手にした爆発物が不意に弾けでもしたように、道路脇に立つ石垣へ、背中から激突する。
その現象にふたりは一瞬戸惑ったが、気にしてはいられない。
「だから逃げろって!」
「抜けれるでしょ、これ!」
漸が火勢を脱出させようとしている間に、ナバリは再び接近してきた。いらだっている様子で、両手をふたりへ向ける。
火勢が漸を突き放そうと必死でもがいたとき、斜め上から金属の塊が落下してきた。
ふたりの前に立ちはだかったそれは、ナバリが放った圧縮空気の攻撃を、上半身で正面から受け止める。
空気が弾かれ、風が吹き荒んだ。
ガンメタリックの装甲。
揺るぎない背中。
温かな赤の光。
『現地点ではキーコード受信不可。やはりアクセス権を得られない状況下では、ターゲットへ非致死性の念動打撃を繰り出しましたね』
「
ハガネの機体から、那渡の大声が発せられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます