第3章 テレキネシスの鎌鼬 [5/10]
『あと五分で、飛行開始予定地点の月の出です』
都会の人混みを縫い、横断歩道を走って渡り、列車内で事前に打ち合わせた場所を目指す。とある超高層ビルのふもとに、那渡は辿り着いた。
大通りから裏手の面に回り込む。二百メートルを超す高さのビルは部分的に複雑な形状をしており、その凹んだ隅の暗がりへ立つ。
『上に参ります。しっかり掴まっていてください』
「はい」
こわばった声で那渡は応えた。アタッシュケース形態のハガネに、両腕でしがみつく。
那渡の腕から重さが消えたと思うと、地球の引力とは逆方向へ、ハガネは浮き上がり出した。ガスで膨らんだ気球のように、上へ上へと引っ張られる。
手に持つのが風船もしくは開いた傘であれば、まるでファンタジー映画のワンシーンのようであっただろう。
ハガネは那渡の体ごと、ビルの陰を上昇していく。
キーコードの受信を早めるため、速やかに高度を上げるのだ。那渡の疑問に対する回答が、この方法であった。
『私にかかっている重力を反転させ、我々の総重量をマイナスにしています』
ハガネがそんな説明をするが、爪先が宙に浮いたあたりから、那渡は聞く余裕などなくしていた。上昇は加速し、今ではエレベーターよりも速い。
高度が増すにつれ、強風も吹いてくる。高いところが特別苦手なわけではないが、さすがに怖いし寒いし、おまけに気圧の変化で耳までおかしくなりそうだ。
高さが高層ビルの頂上付近まで達すると、自然と軌道が横へ向き、那渡は屋上の端に着地した。中央には広いヘリポートがあるが、そこまで向かっている時間はない。
誰かに目撃されていないかと心配する暇もなく、膝から崩れてへたり込んだ。すぐさまハガネが変形を始めて、脚から順に那渡へ装着を進めていく。
「あの、ちょっと待って……」
『時間の猶予がありません』
半身を包むパワードスーツが、自動で那渡を立ち上がらせる。背中と腕までを被い、那渡の眼鏡を外して、コートの中に着ているセーターの胸ポケットにしまってから、頭までの装着を完了した。
スーツ内の温度と気圧が制御され、装着者の体調に適した環境へ、リアルタイムで整えられる。
頭部シェル内のディスプレイが、那渡に名古屋市街の夜景を見せていた。当然ながら楽しんでいる時間もない。
映像の端で、シアンに光る文字が流れる。
《キーコード受信失敗》
《再試行……》
《受信失敗》
《再試行……》
《受信失敗》
《再試行……》
同じ文字列を繰り返していた表示が《受信成功》に変わった。
ハガネの周囲で〈マド〉と呼ばれる白い光が煌めいた。〈マド〉を通じて魔力資源から物理空間へ、エネルギーが浸透してくる。
可動式になっている全身の装甲板が各々浅い角度で逆立ち、露出した魔導流体パネルは柔らかな赤に発光する。機体が魔力を取り込み、制御し、駆動のための志向性を与えるのだ。
『浅層魔力資源へアクセス成功』
体の芯から熱を感じる。那渡は呼吸を落ち着かせた。漸の元へ飛んで行くことを、強くイメージする。
『ガントンファーを装備』
左右の脇腹から大腿部にかけて、装甲が形を変える。両腰に、噴射装置を内蔵する鋼鉄のトンファーが装着された。
『離陸します』
一対のガントンファーから衝撃波が噴出し、ハガネを纏った那渡を斜め上方へと打ち上げた。急加速し、ミサイルのように空を引き裂く。
ハガネの、顔面を保護する装甲の上半分から、光学センサーの一部が頭頂へスライドする。那渡の首は正面――つまりは眼下の街を向いたままだが、視界だけは進行方向の空間を望むことができた。
また、これだけの加速度であれば人体には過剰な反動がかかるはずだが、動いている感覚すら、ほとんど感じない。
『重力制御でGを相殺、緩和しています』
ばくばくと心臓を鳴らしている那渡に、ハガネは冷静な声で語りかけた。
『……サカナ。この高速飛行は、低層魔力資源からの魔力供給下における、現時点で最大限の出力行為です。あなたの生命の配下に私の機体を置いて拡張生体とした状態で、多量の魔力が流入することになります。
何らかの異常が起きるとすれば、まずは心身の疲労として知覚されるでしょう。あなたの体調はこちらでも監視していますが、自覚症状があれば申告してください』
「……うん」
直後、ハガネの機体は音速の壁を破り、夜空に爆音を響かせた。
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拘束された
獣人とでも呼べそうな外見の異形は、体力を温存するように、座して瞑目したままだった。
そろそろ、月が昇ってもおかしくない時間帯だ。異形は、それに合わせて自分を殺そうとするだろう。
漸は恐れながらも、抵抗することを想像した。魔法などという力を自分が持っていると、真剣に考えたことはない。しかし魔法の存在は、目の前の脅威が証明しているのだ。
自分にだって――。
漸は意志を込め、ことさらに異形の頭部を凝視した。精一杯、重量感のある鈍器で殴るイメージをつくる。
そう思い込むと、異形の居場所が、よりはっきりした存在感を伴って感じられる……ような気がした。那渡と火勢というふたりの大人を対象にした異形の攻撃。それを自らが再現し、発揮するさまを思い浮かべる。
振りかぶって――叩きつける!
そのイメージは無論、具現化などしない。しかし異形の者は、弾かれたようにはっと顔を上げたのだ。それにはむしろ、漸自身が驚かされた。
暗褐色の被毛の中、人間に似た瞳がこちらを睨めつけてくる。その眼に、剣呑な光を漸は見た。
異形が片手をこちらへ向け、触れもせず、漸の体は強制的に起こされた。
まるで掴まれたかのように、首に圧力を感じる。苦しい。頭の血管が切れてしまいそうだ。
どうにか首が締まらないよう、膝立ちでしのごうとするが、楽にはならない。
涙が溢れ出る目を見開いたまま、漸は浅い呼吸を繰り返した。
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