第3章 テレキネシスの鎌鼬 [4/10]
魔法による跳躍で湖を渡り終えた後も異形の者は移動を続け、
既に日は没し、辺りは残照の薄暗さだ。
軋む床に転がされ、金縛りを受けたまま、漸は異形を見た。相手も漸を睥睨してくる。
すると建物内に残されていた古い縄が勝手に浮遊してきて、漸は手足を拘束された。口にも猿ぐつわを噛まされる。土埃臭くて気持ちが悪い。
漸は喉の奥から唸りを上げ、体をばたつかせて足掻いた。拘束と引き換えに、金縛りが解けていることに気づく。
そのとき、異形の姿に変化があった。
全身を被っている鱗状の板が波打ったかと思うと、びっしり生え揃った獣の被毛に形を変える。
鱗甲板に隠されていた口元が露出し、覗いて見えるのはギザギザとした白い牙だった。それに見合って、顎も強靭そうだ。
まるで熊の鼻面を極端に短くしたような、獰猛さを滲ませる造形の顔だった。頭部の上の方には、丸っぽい小さな耳が生えている。
心なしかリラックスした仕草で、異形は床へ座り込んだ。片膝を立て、壁に背をあずける。細長く思われていた尾も体毛で見た目が太く変わり、床板の上へと横たえられた。
漸は戦慄すると同時に、反抗心が湧き上がるのを感じた。身に覚えもない事情で攫われ、殺されるなど、理不尽でしかない。
体の自由は奪われている。道場で日々習得している技術も発揮できない。しかし自分にも素質があるというのならば、火勢がやったように、魔法で抵抗できるはずだ。そう思った。
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那渡は自由席乗車券を購入し、上り方面の東海道新幹線へ急ぎ足で乗車した。在来線からの乗り換えに使ったのは、漸が通う学校の最寄りでもある米原駅だ。
なるべく前後左右が空いている席に着き、売店で購入したゼリー飲料で栄養を摂る。これから空を飛んだり戦ったりすることを考えると、軽食しか選択肢はなかった。
『サカナ。ナバリの攻撃魔法は、念動力の一種と考えられます』
新幹線が動き出すと、足元のハガネはさっそく喋りかけてきた。
「なるほど。いわゆる、テレキネシスってやつだね」
小さな頃、テレビの情報バラエティ番組や漫画で知って覚えた単語を、那渡は口にした。
『はい。観測された行使パターンは、サカナへ放った斬撃、カセを弾き飛ばした打撃の二種類です。どちらも、高度に圧縮した空気をぶつける攻撃方法のようでした』
「高く、遠くまで跳ねるのと、希力くんを動けなくしたのも、同じ能力でやったことなのかな」
漸が連れ去られた場面を思い起こしながら、ハガネに確認する。
『おそらくはその通り、念動力の応用です。自身やゼンの肉体を操作しているのでしょう』
「だとすると危なかったね……ぼくや火勢さんが直に、体を攻撃されてたら」
那渡は、自分たちがなす術もなく、スプーン曲げのスプーンのように捻じ切られることを想像し、身震いした。
『確かにその通りですが、念動力による直接破壊はできなかった、というのが本当の事情でしょう』
どうして? と話の先を促す。
『魔法の有効範囲というのは、行使者の能力や呪文の性質によっても異なりますが、範囲内に他者の魔法が存在している場合も互いに干渉し、制約を受けるのです』
「……魔法を使う相手には、魔法で直接の影響は与えられないってこと?」
『概ね、その理解で正しい筈です。魔法を用いた戦闘のノウハウは蓄積が不足しており、厳密には例外もあるでしょうが……。
ナバリは、曲がりなりにも魔法を確立しているサカナやカセの肉体を直接的に破壊することはできず、空気の操作を経由した攻撃方法をとらざるを得なかった。
このような推測が成り立ちます』
ハガネ経由とはいえ魔力資源への接続を経験した那渡も、生命エネルギーが活性化しており、〝魔法が確立された〟と評していい状態らしい。一応のところは。
「希力くんは魔法が使えないから、無防備に捕まっちゃった、というわけね……」
『反対に、ゼンに備わる魔法の素養が発現したならば、ナバリの念動力に対抗できる可能性は充分にあります』
そこで那渡が思い出したのは、火勢の件だった。火勢を襲撃した火鼠という磨道鬼も、彼と同様に炎を操る能力を持っていたという。
「そうなったら希力くんもナバリと同じに、念力の魔法を使えるようになるのかな」
『かなりの確度で、そう予測されます』
そういえば自分も、訓練をすればひとりの力で魔法を使えるようになるのだろうか。自分の魔法は、ネムリと同じなのだろうか?
那渡は疑問をいだき、訊いてみようと思った。しかしハガネが先に切り出したのは、別の話題だった。
『サカナ。今回の戦闘はマニュアル操作で対応しますか?』
「あ、えー……難しいよ。格闘技なんかも、やったことないし」
十代の時分につかみ合いのケンカをした覚えならあるが、他者と物理的に争った経験というのは、それ以来皆無だった。
『マニュアルモードでも適宜、自動で運動制御に介入しますので、心配はありません。その方が魔力志向性の向上にもつながるのですが』
勧められても那渡は、踏み切ることができなかった。漸の命にも関わりかねない場面で、冷静な行動をとる自信があるとは、とても言えない。
そして、それ以上に恐ろしい予感。自分は、相手を倒すのを躊躇してしまうのではないか。
漸の安全を確保して自分たちが再出発するためには、ナバリの無力化は不可欠だ。理解しつつも、戦いの土壇場で思いがけぬ迷いが表出する可能性を、那渡は否定しきれなかったのだ。
『では引き続き、オートパイロットで対処します。……しかし、どうか覚えていてください。あなたが私という武器の動力源なのではなく、あなたの意志を実現するための道具が、私なのです』
――それこそが〝ハガネ〟の設計思想。磨道鬼へ対抗し得る、魔法兵器の在り方。
戦いの現実を未だ持て余す那渡は、緊張をやわらげるように、深く詰めていた息を吐く。
車窓の外には、日の落ちた町並みが流れている。日中に通った高速道路とは異なる山を貫くトンネルへ進入し、夜景は漆黒の闇に変わった。
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火勢は琵琶湖大橋を西岸へ抜け、カーナビに導かれるまま、うねうねと曲がる山道を登っていた。完全に夜となり、電灯も少ない道だった。
右手の茂みの中に、山の上方へ続く細道が見えた。漸の携帯電話の位置情報が示す目的地は、その先のようだった。
すぐにでも駐車して細道へ入っていきたかったが、車が止まった音でナバリに勘づかれるのは避けたい。素通りして百メートルほど走り、路肩に車を停めて徒歩で道路を戻った。
火炎瓶を詰めた肩掛け鞄とハガネのセンサーユニットを携えて、明かりのない細道を火勢は登る。
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