第3章 テレキネシスの鎌鼬 [3/10]

 獣にも似た異形は長距離の跳躍を繰り返し、ほとんど直線の経路で逃走を続けていた。

 ぜんは胴を担がれたまま、金縛りにあって指ひとつ動かせない。後ろ向きにされた頭の近くまでリュックがずり落ちてきていたが、気にしている場合ではなかった。

 異形の一跳びの距離は時として五十メートルを優に超え、漸もそれに伴われ、上空から家々や田畑を見下ろすことになった。


 ほんの数分前には想像もしていなかった事態。だが喉の筋肉すら自由に動かせず、声を上げて驚愕の感情を表現することも不可能だ。

 不意に、眼下の景色から立体物が消える。代わって視界を埋めたのは、のっぺりとした水面だった。

 漸が住まい、通学している滋賀県には日本最大の湖・琵琶湖がある。


 その湖面に落下するかと思われた瞬間――だが異形の両足は水面をも蹴り、地面と変わらずに跳躍を続けるのだった。

 低く、迅く、放たれた小石が水に弾かれるような、鋭い軌道が成される。

 これが魔法の力なのかと、広がっていく波紋を後方に眺めながら、漸は息を呑んだ。


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 火勢かせはひとり、セダンを走らせている。

 助手席に那渡の姿はない。最寄りの駅で下ろしてきた。

 代わりに、金属製の機器が置かれていた。

 複雑な電子部品の塊に見えるその機器は、サイズは手のひらよりもひと回り大きく――ちょうど、火勢にとっては懐かしい、VHSのビデオテープ程度。色は部分的にガンメタリックで、ハガネの装甲に酷似している。

 夕闇の中を運転しながら、火勢は脳裏にハガネの〝作戦〟を反復させた。



『――まずは追跡方法の説明をします』

 駅へ向かうようハガネの指示を受け、火勢たちは車に乗り込んだ。破壊された自販機に気づいた人たちが集まり始めている駐車場を、逃げるように後にする。


『先ほどゼンの携帯端末に干渉し、測位システムを掌握しました。

 ナバリの魔力はステルス能力により隠蔽されて探知できず、またゼンの魔力を追跡するとしても直線ルートで高速離脱しており、自動車での追走は困難です。よって衛星通信を通じてゼンの携帯端末の位置を特定し、追尾目標とします』


「希力くんが攫われるって、わかってたの?」

 火勢のようにハガネを責める口調ではないが、那渡なとが訊いた。


『起こり得る事態のひとつとして、予測していました。磨道鬼にとってターゲットに接触する我々は、獲物を守る邪魔者であるか、先んじて生命を奪おうとする競争相手であるか、判別できない存在として、いずれにせよ警戒されていたでしょうから』


 ハガネがカーナビに無線干渉し、最寄り駅を目的地として設定した。既に火勢はその方角へ車を走らせている。


『また前述の通り、ナバリがゼンの生命を奪うまでには時間の猶予がある筈です。我々は充分な戦力を確保した上で、月の出より先にナバリへ追いつき、ゼンを奪還しなくてはなりません。

 幸いなことに、ナバリはゼンを連れて西へ一直線に移動しているようです。おそらくこのまま、琵琶湖を越えて反対側へ逃走するのでしょう』


 幸い? と那渡が聞き返す。

『はい。これも繰り返しになりますが、本日この地域の月の出は、十八時三十七分頃です。

 しかし西へ移動すればそれだけ、月の出の時刻は遅くなっていきます。つまり我々はナバリよりも早く、魔力資源へのアクセス権を得ることができる位置にいるのです。

 このことから、ゼンの生命が奪われる前に戦闘準備を整え、彼を救出するための優位性は、高まりつつあるといえます』

 とんちが利いた話になってきたな。火勢は思った。


『浅層魔力資源へのアクセスにより私は、短時間であればマッハ3近い速度で飛行することが可能です。これは月の出の地点が東から西へ推移していくよりも、遥かに速いスピードです。

 当然、わずかな時間ではターゲットの保護は困難ですが、そこで予め、より東へと移動することで猶予時間を稼ぐのが今回の〝作戦〟です』


 最寄りの駅が見えてきた。

『これからサカナと私が在来線、新幹線を乗り継いで東へ移動すれば、名古屋駅で下車した直後にちょうど、月の出を迎えることになります。

 概算ですが現在地より約二分、月の出が早い場所です。標高を上げれば、アクセス権の獲得をさらに前倒しすることもできます。

 ナバリがどこまで移動するかは不明ですし、離陸直後の加速にかかる時間を考慮する必要もありますが、位置さえ判明すれば、追いつくことはまず可能でしょう』


「もし、電車が止まるか遅れるかしたら?」

 駅前のロータリーに停車しながら、火勢が念押しをする。

『その場合も、合法・非合法を問わなければ次善の手段があります』

 それがなにを指すのか、あえて確かめることを火勢はしなかった。

 那渡は、魔力資源なしで〝標高を上げる〟ことが具体的にいかなる行動を示すのか、引っかかって考え込んでいるようだった。


『――カセ、あなたには斥候を担ってもらいます。我々は位置情報を頼りにナバリの元へ突撃するわけですが、事前に、より正確な状況把握が求められます。私のセンサーユニットを一基、あなたへ預けますので、先行してゼンとナバリに接近してください』


『ユニットに内蔵された各種センサーは自動的に周囲の情報を収集して、本体の私へ送信し続けます。魔力ソナーも搭載されていますが、ナバリに感づかれるおそれがあるため、機能はオフにしておきます』


 アタッシュケース形態のハガネから、外装の一部が分離した。独立したセンサーユニットを、助手席の那渡が火勢に手渡す。

『万が一私たちの到着が間に合わず、ゼンがナバリに生命を奪われた場合――そのときは、交戦せずに撤退してください。

 現在の我々の練度ではとても、魔力資源へアクセスした磨道鬼には敵いません。そしてカセを失っては結果的に、サカナの生存も困難となります』


 火勢の目が泳いだ。明らかに狼狽しながら返答する。

「……約束はできない」

「わかりました」

 ハガネがなにか言おうとしたのを、那渡が割り込んで止めた。火勢の目を見る。まっすぐに。


「大丈夫。きっとすぐ、飛んでいきます」

 そう言って那渡は駅の改札口へと駆け出す。

 急ぐ後ろ姿を見送り、火勢はアクセルを踏んだ。



 ――そして今。衛星からの測位データをセンサーユニット経由で受信し表示するよう、ハガネに設定されたカーナビが、火勢に漸の現在位置を伝えてくる。

 位置情報は、琵琶湖を西岸へ渡り切ったところだった。それに従い、ナビの目的地が都度更新されていく。


 追跡できるのは、あくまでも携帯電話のありかだ。道中で漸が端末を落とす可能性もある。一刻も早く、実状を把握したかった。

 漸の携帯がさらに西側の山地へ向かって移動していることを、カーナビの画面は告げていた。

 火勢のセダンは有料道路の料金所を通過し、湖にかかる長大な琵琶湖大橋へと入った。

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