第3章 テレキネシスの鎌鼬 [2/10]
自宅の近所にあるスーパーマーケットの駐車場で、少年は初対面の大人たちと対峙した。
男女ひとりずつで、どちらも身長が高い。ふたりとも痩せ型で、威圧的な雰囲気はなかった。
警戒半分、好奇心半分といった気持ちで観察をしてみる。
少年はまだ今のところ平均的な身長の男子高校生だったので、背が高いのは少し羨ましい。小規模ながらも拳法の道場に通って鍛錬を続けているため、筋力では負けてなさそうだと、内心で張り合う。
傍らに飲み物の自販機があり、
「なにか飲むか?」
と男性が硬貨を差し出してきて、しかし少年は、「別にいい」と断った。
自分の両親よりは若いように見えるが、白髪が目立つ男だった。
「俺は
硬貨を引っ込めてポケットにしまいながら、男性が名乗った。
つけ回してすまない、とこちらの目を見て謝ってくる。目つきこそ鋭いが悪意は感じられず、少年は嫌な印象を受けなかった。
続けて、その隣の女性が言う。
「ぼくは、
平板なアクセントの一人称と、飾り気のない口調。年齢的には確かに大人の女性なのだろうけれども、どこか同年代のような親近感がわく人物だった。
『コードネームとして、私に登録されている名前なのです。初めての遭遇時にスムーズな保護を成功させる意図で、少しでもあなたの関心を引く呼び名が選ばれたようですね』
那渡に両手で持たれている、金属製のアタッシュケースが答えた。
合理的そうなその理由を知らされても、那渡はどことなく釈然としていないような仕草をみせる。
「おれは
ふたりの大人につられて、少年もつい名乗ってしまった。視線は、正体不明の喋るアタッシュケースに引きつけられている。
「希力くんね。これはハガネ。いろいろ事情があって、ぼくを守ってくれてるの」
「はあ……そうなんだ」
漸が興味津々で観察していると、ハガネも反応を返してきた。
『魔力ソナーの送信波が音声として聴こえるのは、ゼンが鋭い魔法的感性を有しているためです』
耳鳴りのような断続的な音が、漸には今も聴こえていた。確かに、空気の振動で伝わる音波とは異なっている気がする。
「魔法の話は長くなるからやめてね」
『重要なことです。サカナ、あなたもネムリとの遭遇に伴って血のような臭気を感じたと言っていましたね。この現象は感覚の誤認ではありますが――』
ハガネが魔法について話し始めると、那渡と火勢はどこか居心地わるそうな顔をみせる。だが漸は詳しく知りたかった。
そういった、いわゆるファンタジーやオカルトを熱心に信じているわけではないが、ハガネを含めて、不思議なものには興味があった。
「漸。君はなにか、特別な力を使えたりしないか?」
実際長くなっているハガネの解説に割り込み、火勢が尋ねてきた。
「超能力、みたいな?」
火勢はうなずいた。まったく心当たりがないので、漸は正直に答える。
「いえ、特にないです」
「そうか……ああ、普通に喋っていいよ。別に敬語を使うことはない」
微かだが意外に柔和な笑みを、火勢が浮かべた。
「きみは狙われてるの。磨道鬼っていう、魔法使いに」
魔法使い。眉唾ものの単語だったが、那渡のまじめそうな表情がアンバランスで、漸は少し混乱した。
今まで、こちらの目を見て、こんなにも思いつめた雰囲気で話をしてくる大人は身近にいなかったので、これは迫真の演技で、やはり彼女らは詐欺師の類なのだろうかと、つい疑わしく思ってしまったりもする。
「信じてもらうのは難しいと思うけど、わかってることをそのまま話すね」
那渡がネムリという怪人物に命を狙われ、逃げていること。
魔法で動く未来のパワードスーツ・ハガネを装着して戦えるので、それで抵抗するつもりであること。
火勢は、炎を少し操る魔法が使えること。
同じように炎の能力を持つ化け物に襲われたが、魔法の力が目覚め、撃退できたこと。
そして漸もまた、未確認の相手に狙われている可能性が高いこと。
那渡と火勢は話の内容を整理しつつ、ありのままの経緯を漸に説明した。
火勢の事情など深く踏み込んだところは話せなかったが、迫っている危機については手短ながら、把握していることを余さず喋った。
話すそばから、嫌な汗がにじんでくるのを那渡は感じていた。
今更ながら、できごとが摩訶不思議すぎる。こんな説明で信じてもらえるのだろうか。
むしろ漸の方が、かえって余裕があるようだった。取り乱す那渡らには引っ張られず、疑わしそうな顔をしたり茶化したりするでもなく、ときおり質問をしながら話を聞いてくれる。
表情や言葉遣いは若々しいのに、大人びた――どこか老成したような印象を受ける少年だった。
「君の身を守りたい。今夜、磨道鬼が襲撃してくるまで、なるべく安全な場所で匿わせてほしいんだ」
火勢からそう提案を受けたときも、漸は戸惑いつつ落ち着いた態度だった。大人たちの目線の高さで、黒々とした髪の後ろ頭をかく仕草。
「今夜だけで済むの?」
漸の質問に火勢が答える。
「正直、わからない。もしかしたら俺たちを警戒して磨道鬼は出てこないかもしれないけど、その場合は別の作戦を考えることになる」
漸は短く考えて、
「もう少し、話を聞いてから決めてもいい? 明日も学校あるし」
那渡は安心して、詰めていた息を吐いた。ひとまず、ある程度は信用を得られたようだ。
「もちろんいいけど、時間大丈夫? 親御さん心配するでしょ」
それでもつい、念押しをしてしまう。
「気にしないよ。うちは放任主義だから」
さらりと言ってリュックから携帯電話を取り出し、漸は自宅へ連絡した。これから友達と遊び、もしかしたら向こうの家に泊まって、明日はそのまま登校するかもしれないと説明する。
手短な通話が済むと、携帯をしまい直してジッパーを閉めた。
「……で、まずはふたりの魔法を見せてくれるんだよね?」
若干警戒を緩めたのか、いたずらっぽく目を輝かせながら、漸が言った。
那渡と火勢は、顔を見合わせる。仕方ないとでも言いたげに、火勢が口の端を小さく上げた。
「あー……いいよ。あんまり人目がないところに行こうか――」
那渡が答え、ひとまずスーパーの敷地から出ようと促しかけたとき、漸は上空を仰ぎ見た。
それに気づいた那渡が、同じ方向に目を向けようとした瞬間。
視界の外から飛び込んできた何者かが頭上を横切り、漸の傍らに着地した。
昨晩ネムリが出現した場面を想起させられ、那渡の背すじは凍りついた。
しかしネムリとは異なる姿の、それは異形の者だった。
身の丈は一九〇センチメートル前後。
二足歩行のシルエットは人間に近いが、長い尾が腰の後ろから生えている。
手足も細く長く、先端には複数本の鋭利な鉤爪。踵を浮かせた、趾行動物のような立ち方をしていた。
体は、硬そうな褐色の板に被われている。
それは鱗に似ていた。例えるならばセンザンコウのような
その異形は首を巡らせて那渡を見た。
構えた片手を、彼女へ向けて振り抜く。腕は届かない距離だった。
『サカナ!』「わ!」
手に提げたハガネに体ごと下へ引かれ、那渡が転倒する。那渡の後ろで、自動販売機が横一文字に切り裂かれた。
次に異形は漸を見下ろした。顔面を被う鱗甲板の隙間から、人間によく似た眼が、鋭く睨みつけてくる。
闖入者から間合いを離そうとして、漸は自分の体が動かないことに気づいていた。力を入れて手足を動かそうとしても、重い泥に沈められたように、まったく自由が利かない。
背後から異形へ近づいた火勢が、その首に腕を回し、引き倒そうとする。
直後、火勢は後ろに弾き飛ばされた。殴られたような衝撃を胸に受けて舗装へ倒れ込んだが、異形は火勢を振り返りもせず、何の動作もおこなってはいなかった。
動きを奪われたままの漸は、異形の肩へ担ぎ上げられた。
異形が跳躍する。身長の何倍もの高さにまで上昇し、店舗の屋根を越え、去っていった。
漸は攫われた。
「火勢さん!」
那渡は立ち上がり、火勢に駆け寄った。体を支えて助け起こす。
彼はアスファルトで尻や背中を打ったものの、大きな怪我は無いようだった。
「敵の接近はわかるんじゃなかったのか!?」
いらだち混じりに火勢が怒鳴る。漸へ迫る危険を考えれば、無理もなかった。
『魔力ソナーを展開しているものの、最接近され襲撃を受けるまで、反応を検知できませんでした』
淡々とハガネは応じる。
『只今の接触で判明した、磨道鬼の個体名は〝ナバリ〟です。
私のデータには名前と画像情報しか無く詳細は不明ですが、魔力反応を隠蔽する、いわゆるステルス能力を備えていると考えられます』
残留魔力の反応が弱かった原因は、磨道鬼自身の能力にあったのだ。
再起後、本来の効力を発揮できるまでにしばしの時間を要したものと考えれば、追跡していたはずの魔力反応をハガネが途中から見失ってしまったことの辻褄も合う。
「……どうして抵抗しなかった?」
『サカナが回避した攻撃の痕を見てください』
那渡の頭上を通過したナバリの一撃は、その後ろにある自動販売機をほぼ真っ二つに切断していた。断面からは内部の金属部品や裂けた缶が覗き、甘い匂いの飲料が流出している。
正確には、保持されていたハガネが自らの重力軽減を弱め、持ち上げていられない重さとなって強制的に那渡に攻撃を躱させたのだが、そうでもしなければ彼女は致命傷を負っていただろう。
『私の装甲強度や駆動力は、魔力の供給により強化される仕組みとなっています。魔力資源へアクセスしていない条件下では脆弱であるため、磨道鬼との戦闘は避ける必要がありました』
火勢は言い返せない。運搬可能な重量に戻ったハガネを、那渡が持ち上げた。
「希力くんを助けよう。……方法はあるんでしょ?」
恐怖と緊張に震える指で、ハガネの持ち手を握りしめる。
『――はい。実現可能な作戦があります』
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