第3章 テレキネシスの鎌鼬 [1/10]
運転と休憩を繰り返しながら、
ネムリの攻撃で穴だらけになったセダンのルーフには、適当な大きさに折ったブルーシートを当てて粘着テープで固定し、応急処置としてある。冬晴れの乾いた向かい風が、すれ違いざまにシートを叩き、がさがさと音を立てていた。
朝には那渡が職場の書店へ、欠勤の連絡をした。自分の携帯電話は故障しているので、火勢の端末を借りて発信した。
状況が状況だ。残念ながら、正直に事情を話して理解してもらうには難がある。そのため、
〝ストーカーにつきまとわれて身の危険があり、警察に相談したが即時解決は望めず、一時避難のため実家へ帰っている〟
という、部分的に正しい作り話を用意して説明に臨んだ。
慣れない嘘でしどろもどろな口調になりつつ報告したところ、上司である店長――大型チェーン書店が割拠する市内中心部で個人の本屋を守り立てている〝
うしろめたく感じつつ、進展があれば続報を伝えることを約束する。
仮にハガネの立案した作戦がうまくいくとしても、元の生活に戻れるのは何日も先になる見込みだった。
実家や友人へは連絡をしなかった。どうにも話のしようがない。
助けを求めるのはさすがに無理があるし、ただ苦境を伝えるのも意味がなさそうに思えた。
平静をよそおって声を聞くだけというのも、最期を予感しているときにすることのようで嫌だった。
「運転、交代しましょうか?」
ろくな仮眠もとろうとしない火勢に、那渡は助手席から声をかける。後部座席には、アタッシュケース形態のハガネと荷物だけが置かれていた。
「大丈夫だ。きつくなったら頼む」
まったく人を頼りそうにない様子で、火勢は言った。相変わらずの鋭い目つきだが、表情には隠しきれない疲れが浮かんでいる。
那渡は顔を横に向け、ドアガラス越しに空を見上げる。直後に車は、山々を貫通するトンネルへ入った。
サービスエリアでの会話以上には、火勢の事情は聞いていない。どんな人物が相手であっても、その心の傷へ無遠慮に触れるつもりはなかった。
ここまでの道中はハガネがよく喋り、パワードスーツとしての自身のスペックや操作方法などを教えてくれた。月が出る時刻になれば魔力資源へアクセスできるため、夜にはハガネを装着して操作の訓練をすることを推奨された。
気は進まないが、やるしかないんだろうなと、諦め気味に那渡は思う。
トンネルを抜けたとき、進行方向の空で光るものがあった。
明るい時間帯なので見えづらいが、澄んだ冬空を背景に、白い線がまばゆく輝き、落ちていった。
「あれ、昨日のと同じじゃない?」
那渡が注視しても、もはや空には痕跡すらない。昨夜よりも距離が遠く、落下の振動も伝わってはこないようだった。そもそも走行中の車上では、細かな揺れを感じることなどできないのかもしれないが。
『はい。新たな衛星函が落下した可能性があります』
「確かめよう」
火勢は車線変更し、セダンを増速させた。
次のインターチェンジで高速道路から降り、ハガネに誘導されるまま落下地点へ車を進める。
到着したのは田園地帯で、現場は休耕している水田の真ん中だった。薄い人だかりができ、警察官も駆けつけていた。
那渡とハガネが野次馬の最前列から覗き込むと、はたして地面には金属質の壊れた函が突き立ち、周囲には直径十メートル超のクレーターができていた。
縦に割れた空っぽの棺のことを、衛星函です、とハガネが認める。
火勢は話好きそうな周辺住人に聞き込みをして、異様な人物が函から出てきて走り去った、という証言を入手した。まともな格好をした人間ではなかったとのことだ。
一同は、車に戻って協議する。
「この近くで誰かが狙われてるってこと? ぼくや、火勢さんみたいに」
『その可能性は否定できません。磨道鬼は、自らと酷似した特性の魔力を鋭敏に察知し、生命を奪うべきターゲットを捕捉します。残念ながら近似並行世界同士であっても数多くの相違点が存在するため、私に記録されているデータからでは、ターゲットの人物を特定することは困難ですが』
どうにか助けられないかと那渡が訊き、火勢はすぐさま指摘する。
「あんまり時間を食うと、ネムリに追いつかれるぞ」
現時点でネムリと遭遇することは、言うまでもなく危険だ。那渡の命に関わる。
「それはわかってるけど……。ここで襲われる人がいるなら、その人は誰にも、助けをもらえないことになるよね」
那渡は伏し目がちになる。自分の意見を主張していいのか、自信が持てない。
「ぼくも……その人のことを助けたい」
顔を上げると、こわばった表情の火勢と目が合った。見知らぬターゲットと那渡の安全を天秤にかけざるを得ない状況で、彼も同じく葛藤しているのだとわかった。
火勢が自分へしてくれたように、そう那渡は言いたかったが、口に出すことはできない。火勢自身に助けは訪れず、自力で対処するしかなかったのだ。その結果として、彼は子供を喪った。
『それは不可能ではない、といえるでしょう』
ハガネの声に弾かれたように、ふたりは後部座席を振り返る。
『衛星函周辺に残留する魔力反応が極端に弱いことから、再起後の能力が低下しているか、戦闘向きではない磨道鬼であることが推測されます。
サカナが私を装着し、魔力資源へアクセスして直接交戦すれば、短時間でも無力化はできるものと、充分に考えられます』
那渡と火勢は、無言でうなずき合った。
再度ハガネの案内に従い、魔力反応を辿って車で追跡する。磨道鬼の痕跡は南西の方角へ向かっていた。
農地と住宅地、山道を抜けて行く。
『先に述べた通り、魔力資源へのアクセスには、月が昇っている環境が不可欠です。磨道鬼も同様に、月面からのキーコードを受信できる状況でターゲットの生命を奪わなくては、アクセス権を定着させることができません。ただターゲットを殺害するだけでは、無意味なのです』
ハガネの説明に対し、火勢がその意図を確認する。
「つまり少なくとも今夜の月が出るまでは、ターゲットが殺されることはないはず、ということか」
ハガネは肯定し、今夜の月の出は午後六時三十七分頃であると告げた。現在時刻は夕方の四時に近い。
ここまで会話した時点で、ハガネによる残留魔力の探知ができなくなった。元々弱い魔力反応であったが、さらなる減衰が起きたか、移動方法を変えたことが予想された。
その代わりにハガネは、別の反応源を検出したという。
『魔法の素養が高く、今回の磨道鬼と酷似した魔力特性を有する人物――ターゲットは、この場所に在籍していると考えられます』
ハガネが示した施設の門柱には公立高校の銘板が掲げられ、白く角張った校舎が、冬の高い空に映えていた。
ちょうど終業直後のようだ。正門からは生徒が続々と下校していく。時間帯から察するに、部活動のない生徒たちだろう。
斜め向かいの少し離れた場所に、火勢はセダンを停車させた。
「ターゲットは子供っていうこと?」
「そうとは限らないだろう。校内には教師や職員だっている」
断定を避けつつも火勢の顔からは、はっきりと動揺の色が見て取れる。那渡はそう感じた。
「誰に魔力があるのか、判らないかな」
『現段階での判別は困難です。対象者へ接近しなくてはなりません』
校内に入り込んでターゲットを探すのは無理だろう。校門付近で生徒と会話を交わしている、教員と思わしき女性が既にこちらへ、探るような視線をちらちらと向けてきていた。
バンパーがひしゃげている上、屋根にブルーシートを貼った乗用車を不自然に思わないのはおかしいことくらい、那渡もわきまえている。
「……しばらくここで粘るしかないか」
「居座ると絶対あやしいですよ……」
那渡が指摘したとき、
『出てきます。おそらくターゲットです』
ハガネが注意を促し、ふたりは身を乗り出した。
生徒たちは正門を抜け、徒歩で帰途についている。正門の前には停留所があるが、そこで路線バスを待つのは少数派のようだ。
個人の特定はまだできません、とハガネが言い添える。那渡や火勢にも、見分ける方法はなかった。
だが生徒らの流れの中で、友達同士と思わしき男子のグループ、その内のひとりと、目が合ったように那渡は思った。
決して大柄でも肥えてもいないが、骨太な感じのする少年だ。皆と同じ詰襟の学生服を身に着け、浅葱色のスクエアリュックを背負っている。
ぼろ車を珍しげに眺めるでも、こちらを警戒するでもない視線。自然に注意を引かれて、好奇心を向けてくる表情。
それは一瞬の気のせいだったかもしれず、現にその男子生徒は友人たちとふざけ合いながら、向こう側の歩道を通り過ぎていった。
でも、もしかすると。那渡の勘がささやいていた。
「……あっちは駅の方だな」
『生徒の大部分は電車通学のようです。魔力反応の発生源が乗車したら車両を追走し、下車してからターゲット本人を特定しましょう』
火勢とハガネの会話が不審さを増している。
正門の女性が、こちらを警戒しながら敷地内へ戻っていった。
警察に通報するか、誰か男性を呼んで戻ってくるつもりではないかと、那渡は気が気でなかった。
灰色のセダンをおもむろに発進させ、一行はその場を後にした。
ターゲットは予想通り、最寄り駅から普通列車に乗り込んだようだった。魔力反応を頼りに追跡する。
当該列車は住宅街や田畑の間を抜け、次の次の停車駅でターゲットの反応が路線から離れる。下車した模様だ。
火勢が運転する車は路地を通り、反応へ接近した。
ここで那渡は、ある問題に気づいた。
「どういうふうに、声をかければいいのかな……」
昨夜は既に緊急事態に直面していたため、火勢は多少強引にでも那渡を車へ収容することができた。
今回は違う。想定される襲撃まで、約二時間、もしくはそれ以上の時間があるのだ。
事前に状況を説明し、磨道鬼を迎撃できる環境で、ターゲットの周囲を警戒しなくてはならない。
魔法を使う怪物に命を狙われているから、君を守らせてほしい――。
はたして、そんな説明で納得してもらえるだろうか。
ターゲットが自宅へ戻ってしまえば、保護は困難になる。また、ターゲットの家族や近隣住民が巻き込まれ、被害が拡大する危険もあった。
『ターゲットです』
角を曲がったとき、ハガネが知らせてきた。十メートルほど先をひとりで歩く男子生徒を示していることは、明らかだった。
まっすぐな足取り。リュックを背負った後ろ姿だけで、一本芯が通ったような姿勢のよさが感じられる。
夕暮れが始まり、辺りは山吹色に染まりつつある。セダンは減速して路肩に停止した。
「俺が話をしてみる。できそうだったら、家族にも話を通させてもらおう」
目の下に隈が浮き、不精髭も伸びてきている火勢が申し出た。元々鋭い顔つきだが、緊迫した状況により、さらに凄みを増している。
「ちょっと難しいかもしれません……!」
まるで不審者ですよ。という直接的な表現を避け、那渡は言葉を絞り出した。
「……渋い顔をするんじゃない」
腹を決め、ここはぼくに任せてください。そう敢然と言い切ろうとしたさなか、不意に助手席の窓を叩く音がして、那渡はとびあがった。
「あのー! さっきからピーピー鳴ってて気になるんだけどー、学校の前にいた人だよね!」
鳶色で丸い、ふたつの瞳。ターゲットの少年が、目を離した隙に近寄り、車内を覗き込んできていた。
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