第2章 命と祈りの逃避行 [3/3]
衝撃的な話を聞かされた後だったが、どうにも食欲がある。
フードコートのうどんだけでは物足りなさを感じた
『魔力資源へ接触したことにより、サカナの身体は魔法的に励起され、また基礎代謝が活発化しています』
「健康効果があるってこと?」
『そうともいえますが、魔力資源へのアクセスは、あなたの生命にとって負荷であると考えられます。
健康への影響については、今後も観察を続けましょう』
状況が許さなかったとはいえ、そういうことは事前に知らせておいてほしい……と那渡は思った。
『……完成したばかりである私の運用データは不足しており、特に魔力資源接続に伴って発生する事象に関しては、明確でないところも多いのです。
ここへ私が送り込まれたのは、実戦を経てデータを収集し、元の世界に送信することが目的でもあります』
「新兵器の実用試験ということだな」
買った煙草の小箱を手に、
皮肉めいた言い方だったが、それを聞いて那渡はむしろ合点がいった。利害の一致があってこそ、自分はハガネに助けられたのだと。
「俺のときに来てくれれば、喜んで使わせてもらったものを」
火勢は吐き捨て、先に売店を出る。
食品が詰められた紙袋と壊れたバッグを持ち、そしてもう片方の手にハガネを引っ提げて、那渡は後に続いた。
ハガネの機体質量は百キログラムを超すという話だが、那渡がアタッシュケースを持っても四キロか、せいぜい五キログラム程度に感じられる。
ハガネは持つ者の魔力を利用して自らにかかる重力を制御し、運搬可能な重さまで体感重量を軽減させることができるのだという。
重量物には変わりないが、火勢が運んだときよりも軽々持ち上げられるのは、那渡の素養がハガネに適合しているため、とのことだった。
このような思いも寄らぬ形で、魔法などという隠された能力の恩恵を受けるとは、実に複雑な気分である。
「煙草を吸っていくから、先に車に戻っててくれ」
火勢から車のキーを預かり、灰色のセダンへ戻る。後部座席に、ハガネや荷物を積み込んだ。
ふと那渡は、車内も火勢の周りも、煙草の匂いがまったく漂っていないことに思い至った。セダンのダッシュボードには古めかしいシガーライターと灰皿が備え付けてあるが、長いこと使われてはないようだ。
サービスエリアの場外には紅白に塗装された鉄塔が屹立し、その各所で赤い航空障害灯が、ゆっくりと明滅している。那渡にとっては、非日常を感じさせる風景だった。
朝まではまだ長い。傍らをトレーラーが通過したとき、那渡には思いついたことがあった。
「……ちょっと待ってて。トイレ行ってくるね」
『磨道鬼の接近を即座に通知できるよう、私を携行することを推奨します』
「すぐだから」
ドアを閉めて鍵をかけ、那渡は走り出した。
行き先は、手洗い場ではなく喫煙所だった。
一対一で、火勢の意見を確かめたいと思ったのだ。ハガネの説明を信用しているのかと。
今は状況に流されるしかないとしても、人間同士の仲間として、意見を交換しておきたかった。
電灯に照らされてなお薄暗い喫煙コーナーには、火勢ひとりしかいなかった。
ガラス張りになったブースの扉を開けるとき、那渡は彼の横顔を見た。
パイプベンチに浅く腰かけ、手には煙草の箱。外側のビニル包装も開けてはいない。
物思いというには、あまりにも沈痛な面持ちをしていた。泣き出しそうにすら見える。
まどろみの中で聞いた言葉が、不意に那渡の脳裏へよみがえった。
火勢の、悲鳴にも似た、あのつぶやき。
「……ああ、待たせてるな。悪かった」
入ってきた那渡に気づき、火勢は立ち上がった。
あらかじめ考えていたのとは違う問いが、那渡の口からついて出る。
「あの、〝すばる〟って……誰かの名前ですか?」
火勢が固まった。何秒間か戸惑っていたが、うつむきがちに答える。
「うん……俺の子供だよ」
那渡は、なにも言えなくなる。
「さっき、火鼠って化け物に襲われたって言っただろう。そのときに死んだ。
俺は化け物を殺して生き延びたけど、すばるは、巻き込まれて死んだんだ」
自嘲的なような、笑い泣きのような声で火勢は続ける。
「あんたを助けに来たのも、化け物どもが許せないからだな。あんたを助けたいのは本心だけど、化け物の仲間を殺すのに加われるなら、それが一番いいとも思ってる。
……今更、死んだ子にしてやれることなんて無いけどな。それだけでもできるなら、そうしたいんだ」
那渡は理解した。この事情があるからこそ、ハガネの送り先として彼が選択されたことを。
自分ひとりでは満足に逃げも立ち向かいもできない那渡の協力者として、ハガネという有効な武器の存在を無視できない、火勢を選んだのだ。
未来からハガネを送り込んだ人々は。
「戦うのは嫌だろうけど、付き合わせてもらう。なんとしてでもあんたが生き延びられるように、手を貸すよ」
そんな気持ちを抱えてまで、戦うことなんてない。
そう伝えたかったが、那渡には言えなかった。
協力を必要としているのはまぎれもなく那渡自身であり、大切なひとを亡くした火勢の、弔いにも似た行動を、否定することはできなかったのだ。
「迷惑だろうけどな……」
目も合わせず、火勢は喫煙所を立ち去る。
那渡は苦しくなるような痛みを胸の奥に感じながら、その後を追った。
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