第2章 命と祈りの逃避行 [2/3]

 那渡なとは、胃の辺りが急激に重くなるのを感じた。

 自分の一人称のことなど、些末すぎる迷いだ。

 正面にいる火勢かせの目許が、険しさから哀れみの表情に変わるのがわかった。


「……どうして?」


『あなたが狙われる理由ですね。それを説明するため、魔法についての話に戻ります。

 ネムリがあなたの命を狙うのは、あなたが生前のネムリと同質の、魔法の素養を有しているからです。あなたの生命を奪うことで、彼は魔力資源へのアクセス権を得ることができるのです』


『魔力資源とは、この星の重力圏内に束縛、積層された生命エネルギーの塊です。実際にアクセスして魔力を引き出すためには満たすべき複数の条件があり、ネムリを含む磨道鬼も、その制約を受けることになります』


 那渡は思い出した。ネムリと戦っている最中にも、〝魔力資源へのアクセスに成功した〟というようなことを、確かにハガネは言っていた。


『魔力資源へのアクセスに必要なものは三つ。適合した素養を有する生命、解錠呪文、キーコードです。

 ステルス擬装を施した衛星函えいせいかんで千年以上の潜伏期間を経てきた彼らですが、生命としては一度死んだ、つまり命を失った個体です。

 魔法による擬似生体として活動し、体内の蓄積魔力を運用することで戦闘行動が可能ですが、魔力資源からエネルギーを得ることはできないのです』


『ただし解錠呪文は彼ら自身に組み込まれているので、残る条件である生命とキーコードさえ揃えば、魔力資源へのアクセスが可能となります。

 ネムリは他でもないあなたの生命を奪うため、現在も我々を追跡している筈です』


 ハガネの言葉を理解し、那渡はさらにあせりだした。行動力を奪ったとはいえ、一時的なものに過ぎない。

 全身を焼かれても追ってきたように、怪我が治ればネムリはまた自分を襲うだろう。当然といえば当然のことだ。

 現にハガネの判断と火勢の運転で、自分たちは遠くまで逃げてきたのだ。必要に駆られて。

「落ち着いて」

 低い声で火勢に呼びかけられ、那渡は不安の渦から我に返った。握りしめた手のひらが、汗で冷たく湿っている。


『ネムリの嗅覚と、残留魔力を探知する技能により、かなり正確な追跡が想定されます。しかし、ただちに捕捉される心配はありません。

 ネムリは自動車に匹敵する速度で疾走できますが、それは限定的な能力です。蓄積魔力の行使だけでは、人間型のネムリが同等の移動力を長時間維持することは不可能なのです』


「俺たちは車で二時間走って、山梨の真ん中まで逃げてきた。とりあえずは充分な距離なんだろ?」


『はい。ネムリが頸部の修復後ただちに追走を始めていたとしても、充分に引き離せているといえます。

 また、ネムリやその他の磨道鬼の接近は、私の内蔵機能である魔力ソナーで検知が可能です。有効半径は最大約十キロメートル。

 稼動中は魔力を展開してセンシングに充てるので、こちらの存在を感知されるリスクも生じます』


 現状では長距離移動力の優位があるため最大範囲で魔力ソナーを張っているものの、磨道鬼に類する反応は検出されていないことを、ハガネは付け加えた。


「つらければ、車に戻って走りながら話をしてもいい。……穴だらけで風が入るけどな」

「いえ、いいです……。最後まで聞きます」


 火勢の視線を受け止め、震える声で那渡は応じる。冷めたコーヒーを一口すすった。砂糖とミルクの甘みが舌を伝い、少しだけ心を落ち着かせてくれた。


『了解。対抗策を導くため、魔力資源の説明を続けます。繰り返しになりますが、生命・解錠呪文・キーコード。私たちはこの三つの条件を満たしてアクセス権を得たので、魔力資源へ接続することができたのです。

 生命とは無論サカナ自身ですし、解錠呪文は磨道鬼と同様、私の内部にも組み込まれています。残るキーコードは、いにしえの月に磨道鬼らが埋め込んだ発振器から、現在も地球へ、重力波信号の形で放たれています』


 突然、夜空に浮かぶ月までもが話に登場してきた。那渡は驚くこともやめて受け入れ、腹をくくって説明を促す。


『魔力資源は蓄積深度によって浅層・中層・深層の三種に大別され、より下の階層へアクセスするほど、強大なエネルギーを得ることができます。

 戦闘に特化した磨道鬼であるネムリとの交戦で優位を得るためには、最低限、中層魔力資源からの魔力供給が必須と考えられます。

 しかし装着者であるサカナの魔力志向性が充分ではないため、今回は影響力を抑えた浅層魔力資源を利用したのです』


 魔力志向性。新たにあやしげな固有名詞が出てきて、火勢の口元がへの字に曲がった。


『魔力志向性は、魔法の使用者が魔力をどれだけコントロールできるかを把握する指標となり、使用者自身の精神と肉体に左右されます。

 思念を集中させ、意志と力を込めることで、魔力は志向性を帯びます。その志向性が魔法の、現実に対する影響力を決めるのです』


 つまりは那渡自身がより具体的に戦闘行動を思い描き、強く意識し、さらには実際に動作をおこなうことが、戦いのためには欠かせない要素なのだと、ハガネは続けた。

 その話の通りであっても、わけもわからず事態に巻き込まれたばかりの那渡には、魔力のコントロールなどできよう筈もなかった。


『個人の生体魔力や、エネルギー規模が比較的小さい浅層魔力資源であれば、サカナの意志を密接に介入させないオートパイロットでの行使も、ある程度は可能です。

 しかし中層より深い魔力資源への接続には、装着者自身の魔力志向性を高めてマニュアル操作を実行しなくては、制御不能のリスクが伴うのです』


 よって――。心なしか、ハガネは強調した。


『逃走を続けつつ、サカナの魔力志向性の向上と操作技術の習得を図り、然るのちにネムリと再戦すること。

 これが、我々にとって有望な対抗策といえます』


『そして磨道鬼への致命打は、心臓を破壊することです。

 磨道鬼は擬似生体の血流に呪文を載せることで魔法を維持しているため、血流を止めれば魔法を無効化、ひいては彼ら自身を無力化することができるのです。

 強力な肉体再生能力を備えるネムリであっても、この例外ではありません』


「それって、普通に誰でも……死ぬ、のでは?」

 ハガネの淡々とした語り口に気圧されながら、那渡は返した。


『ネムリに関して言えば、人体にある他の急所では、破壊しても復元されてしまうのです。

 私の世界のデータによると、たとえ脳を有する頭部を失っても、短時間での修復が可能とされています』


 話が具体性を増すにつれ、内容が物騒になってきた。あの異様な追跡者が裸体を無防備にさらすのも、自らの能力ゆえの振る舞いなのだろうか。

「……そもそもなんだけど、ぼくがハガネを着てネムリと戦う以外に、解決方法はないの?」


『結論から述べると、他に妥当な方法は考えられません。

 この時代であってもネムリに対して物理的に有効な兵器は存在しますが、それは国家間の戦争に使われるような装備です。

 磨道鬼による侵攻が進んだ局面で投入される可能性はありますが、サカナ個人を守ることが目的である、我々の利益には叶いません』


 そうじゃなくて、と那渡は遮ろうとしたが、ハガネの流暢な言葉に割り込みそこねてしまう。


『身近な手段としては警察に介入を要請することができますが、説明は困難でしょう。

 仮に保護を受けられたとしても、ネムリの襲撃に、小火器程度の武装しか持たない警察官を巻き込むのは、いたずらに被害の拡大を招くばかりです』


「そういうのだけじゃなくてね……。話し合って解決する、とか。なんとか諦めてもらう、とか……」

 那渡はできるだけ穏便な案を挙げようとした。

 たとえ擬似生体という奇妙な存在が生き物ではないとしても、それを暴力で止める・無力化するのは、すなわち〝殺傷する〟ことにほかならないと考えたからだ。


『和解や説得は、まず不可能です。

 魔力資源を獲得し、行使すること。それは磨道鬼にとって闘争の手段であると同時に、存在目的でもあるのです。

 交渉以前に意思の疎通が困難であることは、あなたも身をもって知った筈です』


 断言するハガネ。少なくとも現状、那渡は反論できなかった。


『以上のことを踏まえると、サカナ自身が私を装着してネムリを迎撃することが、最も確実な対処法といえます。――理解してもらえるでしょうか?』


 那渡は視線を泳がせたあと、助けを求めるように火勢を見た。しかし返ってきた言葉は、

「いけそうか?」

 そんなことを言われても。

「ぼくにできるならやってみるけど……正直、自信はない」

 自分の命にかかわる問題であるのに、事態が突飛すぎて、はっきりとした答えは出せなかった。情けなく思う。

『即断することは難しいでしょう。しかしながら、若干の時間的猶予があります』


 那渡を励ますような様子もなく、ハガネは抑揚のない言葉を続ける。

『月面の複数箇所に設置された重力波発振器は、太陽光を動力として稼働します。

 月の満ち欠け、すなわち月面の受光状態の移り変わりに伴ってキーコードの性質は変化し、アクセス可能な魔力資源の深度も変動するのです』


『昨夜から今朝にかけては満月であり、最もポテンシャルの高い深層魔力資源までのアクセス権を得られる、高レベルのキーコードが発信されています。

 本日の夜以降は月が欠けていきますが、六日後の下弦の月までは、中層および浅層魔力資源へのアクセスが可能となっています』


 それより後では、次の上弦の月を迎えるまでは浅層魔力資源にしか接続できなくなってしまうのだと、ハガネは述べた。


 つまり、抵抗の準備をするための日数はあるというわけだ。

 確かに猶予は存在するが、他の選択肢は提示されなかった。

 要はやるか、やらないかという二つに一つ、それだけだ。

 今後は一定の速度を保ちつつ、このまま西へ移動を続ける。

 態勢を整えて、六日後までにネムリを迎え撃つ。


 那渡にとっては心ならずも、これが作戦会議の結論だった。

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