第4章 銀の翼竜、白い猫 [6/10]

 那渡なとは、ハガネの警告がなにを意味しているのか、すぐには理解できなかった。

 戸惑っている内に突如、左の二の腕が強く挟まれたかと思うと、肌をぐるっと剃刀で切られるような鋭い痛みを感じた。

 じわり、と鳥肌が立つ感覚。同時に骨の芯まで響く鈍痛が襲ってきて、那渡は声を上げてしまった。

 無感情なネムリの顔を見上げていた視界に、赤い水滴が散る。

 肩を掴み引っ張られて、那渡の体は前のめりに倒れ、翼竜の背から落とされた。

 体勢を崩し、風圧になぶられて回転しながら落下する途中、激しい痛みを感じる左腕を確認しようと、目を動かす。頭部シェル内のディスプレイが、前触れもなくブラックアウトした。

 同時に那渡の全身へ痺れが走り、それに伴って痛覚も曖昧になった。

「ハガネ……なにが起きたの?」


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 ハガネの苦闘が、既に始まっていた。

 正確にいえば那渡と行動を共にしてからずっと戦闘の連続だったが、本当の意味での危機的状況に直面したのだ。

 装着者の命を守るため、この状況に対処する必要がある。

 原因不明の現象――おそらくはネムリによる魔法の一種――によって魔導強化装甲が弱体化し、金属刃の攻撃で破壊された。それはいい。

 問題は、装着者たる那渡の腕まで切断されたことだ。

 那渡にとっては未曾有の重傷だろう。その苦痛は、彼女の精神に一時的ないし持続的なダメージを与えてしまう危険があった。

 最悪の場合、多量の失血もしくは痛み自体により、死に至るおそれすらある。

 なんとしてでも、阻止しなくてはならなかった。


 ハガネはまず網膜投影ディスプレイをオフにし、那渡の視界を遮断した。視覚情報で左腕の切断を伝えることは、大きな精神的衝撃を伴うためだ。

 同時に、痛覚の鈍化を試みる。

 那渡の脊髄の神経に外部から微弱な電気信号を流し込み、痛覚を麻痺させる。脊髄刺激療法と呼ばれる医療行為の真似事だ。

 既存機能を利用したありあわせの処置に過ぎないため、痛覚だけでなく全身の感覚と身体機能を阻害することになってしまう。長時間の継続をすることはできない。

「ハガネ……なにが起きたの?」

 那渡が戸惑いながら問いかけてくる。

 ハガネはスーツ内壁で那渡の左上腕を圧迫し、止血をおこないながら回答した。

『サカナと私の左腕を、途中から切断されました。装甲の強化魔法は、ネムリによりその一部が無効化されたようです。――詳細な手口は不明ですが、驚異的な魔法戦術と言わざるを得ません』

 現実を伝えることは過酷だが、この戦闘を生き延びるためには避けて通れない。那渡が無言になる。話の内容を咀嚼していることが察せられた。

 その間にハガネは、泣き別れになった片腕と通信をした。地表へ到達寸前の左腕に制御コマンドを送り、ガントンファーを逆噴射、自由落下を減速させる。

 左腕は軟着陸に成功した。場所は、先ほどネムリを落下させようとした工場敷地内のロータリーだった。

 続いてハガネ自らも、右腰のガントンファーを噴かしながら着地する。右手に握っていたチャインソードを背骨状の装甲板へと戻し、背中に収めた。

「……ぼくの腕は、どうなったの?」

 那渡の質問を受けつつ左腕を拾い上げ、損傷を確認する。コンクリートの舗装に流血が染み込んで、外灯の光を赤黒く反射していた。

『たった今、回収しました。切断面以外に大きな外傷は無いようです』

 見上げると、翼竜はまだ上空を旋回していた。ネムリの傷が治癒し次第、追ってくるだろう。

 翼竜の激突により入口を粉砕された建物は、工場の事務棟のようだった。その正面玄関へ、ハガネは踏み入った。


『傷口周辺を圧迫し、止血を試みています。また、脊髄神経に電気信号を流して痛みを抑えていますが、長時間の継続は推奨できません。徐々に鎮痛処置を弱めますので、耐えられない痛みが起きたら言ってください』

 了承を待ってからハガネは、信号電流を弱めていく。途中で那渡が大きく呻いたため、ハガネはそこで調整を止めた。

 那渡は、体の痺れが軽減するとともに、左の二の腕に激痛が再来するのを感じた。傷口は強い熱感を伴っている。

 そして、肘から先の感覚がまったく無い。

 強烈な不快感と不安感。食べた夕飯を戻してしまいそうだった。

『電気信号を半減させました』

「うん……大丈夫」

 なにひとつとして大丈夫ではないが、気を抜けば消えてしまいそうな意識のなか、那渡はかろうじて返事をした。


 事務棟一階のロビーで、ハガネは自己の左腕の補修に取りかかった。

 右手に掴んだ左腕を、上腕部の切断面に近づける。機体を構成する微小な部品同士が結合し、腕のフレームと駆動機関、および制御系を仮復旧させた。あくまでも応急処置に過ぎないため後で再度のメンテナンスを要するが、当面はこれで切り抜けるしかない。

 続けてパワードスーツを部分的に開放し、那渡の左腕を取り出した。

 切断され硬直しつつある人体の一部をスーツ内に残すことは、機能の阻害要因となり、また腕の保存状態にも悪影響を及ぼすからだ。左腕のスーツ内に溜まった血液も、装甲版の隙間から排出する。

 那渡の腕は、復旧した左手で丁寧に抱える。纏っているウェアの袖には赤い染みがついて汚れ、指先は血色を失っていた。

 建物の奥に入り、階段を一段ずつ上りながら、ハガネは呼びかける。

『サカナ、意識を強く保ってください。決して気絶してはいけません』

 閉ざされた視界の中で、その声は那渡の耳に届いた。

『良いニュースと、悪いニュースがあります。気になるでしょう。どちらから聞きたいですか?』

 そんな言い方はないだろう。もしかして、ユーモアで励まそうとしてくれているのか。那渡は苦笑いしてしまったが、表情をうまく動かせている自信はなかった。

『返答がないので順を追って話します。まずは悪いニュースから。あなたは失血状態に陥っています。止血はおこないましたが、バイタルサインの低下がみられます。今のところ魔力資源へのアクセスは維持できていますが、長時間の戦闘継続は不可能です』

 那渡はどうにかうなずいた。機体の中で大きく動くことはできないが、ハガネは首肯の動作を検出してくれる。

『次に良いニュースです。ネムリのハルバードで切り落とされた左腕の断面は、比較的きれいです。のちほど医療機関の診察を受けて、再接合を依頼しましょう』

 ハガネは二階の階段横に給湯室を発見し、中へ入った。那渡の腕の保管に使うものを調達するためだ。

 まず冷蔵庫を一瞥したが、冷凍室も製氷機能もない機種と判別したため、用はなかった。

 ごみ捨て用なのか、新品の大きなポリ袋があったので二枚を取り出し、その内の一枚に那渡の腕を入れて口を結ぶ。雑菌の温床になる可能性があるため、着衣の袖は破棄した。

 もう一枚のポリ袋には水道水を入れた。右腕の装甲をハンドレーザーに変形させ、袋の水の状態を分析してから、冷却レーザーを低出力で照射する。特殊な波長の光線により液体中の原子振動を抑制して温度を低下させ、製氷をおこなうのだ。

 数秒間の照射で、みぞれ状の氷水が完成する。腕の入ったポリ袋をその中に浸けて、外側の袋も口を結んだ。

 二重にしたポリ袋を抱き、ハガネはさらに上階を目指す。

『……良いニュースがもうひとつあります。サカナが重傷を負ったことで、強力な生体魔力の行使が可能となりました。突如として肉体が大きく損耗することにより生まれた、余剰分の生命エネルギーを消費できるようになったのです。ごく限られた時間ではありますが、深層魔力資源と同等の魔力確保が可能です』

「……それはつまり、なくした腕一本分の命を使って、強い攻撃ができるってこと?」

 ハガネは淡々と述べているが、なかなかむごい話をされてるようだと、那渡は感じた。

『概ねその通りです。使用装備は〝亜粒子ビームカノン〟を推奨します。直撃を浴びせられれば、ネムリを完全に無力化することも充分に可能です』

「それはいいね……でも、誰かを巻き込まないように」

『善処します』

 周辺のスキャンは完了しており、少なくとも建物内には人間に類する大型生物の存在は検出されなかったが、ハガネは念入りに対処するよう判断した。

 館内の放送設備に遠隔干渉し、高周波と低周波を内混ぜにした不協和音を、最大音量で垂れ流す。全館の窓ガラスが共振し、唸りを上げ始めた。

 万が一、人間が残っていればすさまじい不快を感じ、館内にとどまり続けることは困難だろう。また、生息が懸念される小動物や虫の類も、異常事態を察知して待避をすることが期待できる……かどうかについては、ハガネといえども、そこまでは保証できなかった。

 何にせよ、この音響を耳にしつつも躊躇せず前進してくるのは、明確な目的を持った心のない存在くらいのものだということは、断言できた。

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