第4章 銀の翼竜、白い猫 [5/10]
ハガネはネムリを吊るしたまま、高度を上げる。眼下に、まばらな外灯の光が並んでいた。
素手で強化ワイヤーを切断することはできないと判断したのか、ネムリはワイヤーを手繰ってこちらへ上ってこようとしていた。
外部装甲内に形成されたリールからワイヤーを繰り出し、長さを調節して彼我の距離を保つ。
『現在地より北側に、工場の広い敷地があります。コンクリート舗装された地面へ、ネムリを落下させましょう』
土地の持ち主からすれば迷惑以外のなにものでもないだろうな、と思いつつ、那渡は了承した。
ハガネの軌道が弧を描き、急速に下降へ転じる。ネムリは遠心力で大きく振り回された。
急降下して高度が百メートルを切ったあたりで左腕を振り下ろし、送り出したワイヤーごとネムリをリリース。勢いよく投下する先は、河川に隣接して建てられた工場の、正面ロータリーである。
自身はガントンファーの向きを変えて逆噴射させ減速、ホバリングする。
ネムリの体は、高速かつ無防備に落下していく。生身の人間であれば粉々に砕け散る威力だ。見下ろしながら内心で想像し、那渡は身がすくんだ。
『――翼竜が接近中』
ハガネが、はっと気づいたようにつぶやいた。
直後、一陣の風のごとくに翼竜がネムリの下へと滑り込み、その身を背中で受け止めた。さすがに勢いを完全に殺すことはできず、共に落下する。
翼竜はネムリの下敷きとなり、十五メートル以上もコンクリートを抉ったあと、建物の正面玄関へ突っ込んだ。
攻撃は阻止された。那渡は思わず言葉を失う。
もうもうと立ち込める粉塵の中から、斧槍を携えたネムリと、白銀の鱗を誇らしげに汚した翼竜が出てくるまで、そう長くはかからなかった。
ネムリを騎乗させた翼竜は飛翔し、向かってくる。その姿は勇ましいとすら言えた。
ハガネは、ワイヤードアンカーとハンドレーザーを前腕部の装甲板に戻した。背からチャインソードを抜いて構える。
すれ違いざまに打ち込まれた斧を、剣の背に左手を添えて受け流す。接触時、チャインソードの刃が放つ高周波振動により、ネムリの斧槍が激しく火花を発した。
翼竜が通過したあと、すぐさまハガネはガントンファーを噴かして追いすがる。
空中で旋回する翼竜の翼を狙ってチャインソードを振るったが、ネムリが翼竜を御して体勢を変え、刃は斧槍の柄で受け止められた。また火花が散る。
両者はさらなる交差を繰り返し、工場の上空で斬撃の応酬を繰り広げた。互いの武器を打ち合わせるたび、徒花のように火の粉が舞う。
本来であれば人体には耐えがたい高速旋回と急加速の繰り返しだが、ハガネが重力制御で那渡を慣性から保護している。肉体は無事だった。
「……この戦い方で、大丈夫?」
とはいえ疲れが見えてきた那渡が、シェルの中で速い呼吸をしながら問いかける。
『剣戟であればこちらが有利です。私の武装は魔法による強化が施されていますが、ネムリのハルバードは通常の金属です。耐久性には限界があります』
ハガネが左腰のガントンファーを手に掴む。
同時に、左前腕の装甲が細かく組み換わり、ナックルガードの形状となって拳を覆った。その前面には、二本の鋭利な棘を備える。棘の長さは約十センチメートルで、威嚇的な雰囲気を醸し出していた。
『〝スパイクナックル〟を使用し、次で仕掛けます』
翼竜がハガネを追って背後から肉薄し、鞍上のネムリが斧槍を振り上げた。
ハガネは機体を反転させて相対距離を詰め、ネムリの胴へ頭から突進をかけた。不意打ちで直撃を受け、ネムリの体が鞍から転げ落ちる。
ネムリは翼竜の背びれに掴まって落下を免れていた。ハガネは鞍の上、ネムリは翼竜の腰の辺りに直立し、対峙する。
翼竜は背中の状況を察したのか、主を振り落とさないよう、緩やかな水平飛行へと体勢を切り替えた。
ハガネが右手のチャインソードを振り下ろし、ネムリが斧槍の柄でそれを受け止めた。
しかし――再び火花が弾けたかと思うと、柄は両断された。
繰り返された斬り合いにより損耗が激しい箇所を、ハガネは狙って斬りつけたのだった。
刃の先端が、ネムリの右目を切り裂いた。
頑強な頭蓋骨に阻まれて深い傷には至らないが、右の視力を奪ったはずだ。
吹き荒ぶ風で、ざんばら髪が波打つ。ネムリの左眼がハガネ越しに那渡を見る。その瞳は樹のうろのごとく冥く、虚無だった。痛みを訴えるそぶりすら無い。
本能的に恐怖をいだく那渡とは裏腹に、ハガネは腰を低くして追撃の構えをとる。
ハガネの左手のガントンファーが、後方へ衝撃波を噴き出す。拳が瞬発的に加速、右目の死角を通過し、スパイクナックルはネムリの腹に突き刺さった。金属鎧を深々と貫通した棘が、確実に肉体まで達している手応え。
ボディブローをそのまま突き上げて、ネムリの体を浮かせる。同時にハガネは、スパイクナックルから高圧電流を流し込んだ。
ネムリの全身が痙攣し、何秒か経過すると、鎧の継ぎ目から白煙を吹き出し始めた。
両断された斧槍の断片のうち、ネムリの左手に握られていた長い柄が、するりと抜けて落ちていった。
『電気ショックで、心臓を一時的に麻痺させました』
鎧の腹部に開いた穴と、半開きの口から、ネムリの血が溢れ出す。多量の黒い血液が、ハガネの左腕を伝って落ちてきた。
『擬似生体の機能が復旧する前に、可能な限りダメージを与えましょう』
「うん……」
ハガネが、ネムリの重量を支える腕を下ろそうとしたとき。
那渡が見るディスプレイに、大量のアラートが表示された。
『強化魔法に異常。左腕の装甲強度が低下しています』
心なしか、あせるような口調でハガネが言う。左腕――ネムリを突き刺し、黒色の血に塗れている腕だ。
『装甲強化の魔法が打ち消されています。ただちにネムリを放棄し、この場から離脱します』
左腕を振るい、心停止したネムリを空中へ放り出そうとする。しかし棘から体が抜ける直前、ネムリは自ら左手でハガネの左肩を掴んだ。力なく首を垂れているのに、腕だけは異様な膂力で動いていた。
ネムリが右腕を持ち上げる。そして放さずに握り締めていた斧槍の先端部分が、ギロチンの刃のごとく振り下ろされた。
ハガネの左上腕部装甲板に斧がめり込む。内装ごと易々と、肘の近くで切り落とされた。
その中にある、那渡の腕も。
切断された左腕は、翼竜の鞍に一度ぶつかり、落下する。血液と魔導流体の、しぶきをまき散らしながら。
空中から戻るため、ネムリはハガネの肩を引いた。
ネムリが翼竜の背に足をつけるのと引き換えに、ハガネは足場を失い、地面へ向けて墜ちていった。
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