第4章 銀の翼竜、白い猫 [7/10]

 ハガネは、最上階である四階に到達した。

 フロアの片隅には休憩所が設けられ、古びたソファーが置いてあった。那渡の腕が入ったポリ袋を、そっと座面へ乗せる。

 この階で敵を待つ。ネムリが迫るより早く、速やかに迎撃準備を整えなければならなかった。早歩きに廊下を進む。こちらの位置を特定されないよう、魔力ソナーはオフにしてある。周囲の音と温度に対するセンシング感度を上げ、接近に備える。

 左腕の切断を示す物品が視界からなくなったため、

『サカナ。ディスプレイを有効にします』

 那渡がうなずくのを待って、頭部シェル内の視界を復旧させた。

 左右を執務スペースに挟まれた通路の真ん中で、ハガネは立ち止まった。現在位置の直下が、一階ロビーの中央部にあたる。

『ヴァリアブルデバイスアーマー全稼動。亜粒子ビームカノンを装備します』

 頭から爪先まで、全身の外部装甲がハガネ本体から分離し、変形を開始した。その大部分はハガネの腕に把持され、身長と同程度の長さを有する、巨大な火器の形状を成した。

 カノン、つまりは大砲の呼び名にふさわしい外観。ハガネの亜粒子ビームカノンは、超高熱、超高圧のエネルギー粒子を放出する射撃装備だ。

 両腕で抱えるような外径の機関部には、グリップとキャリングハンドル、照準用のセンサーユニット、そして特徴的な円盤状の粒子加速器が備えられている。

 二本のガントンファーに限っては、両腰へマウントされた状態でハガネの本体側に残っていた。射撃の反動に対する、姿勢制御に用いるためだ。

 外部装甲を脱いだハガネは、本体の全貌を露わにしていた。魔導流体パネルの発光が強まり、赤よりもむしろ白に近い色で輝く。それは那渡の、魔法的な固有色である。装着者の生体魔力を主として駆動することにより、その影響が強く反映されているのだった。

 メタルシルバーのフレームや顔面部のデュアルアイが剥き出しになり、メカニカルな異形の迫力を醸していた。

『重力制御により、機体重量をマイナス六十五パーセントまで反転させます』

 ハガネの機体がビームカノンごと、床から浮き上がって逆立ちし、その足が天井を捉えた。

 天井のボードへ片膝をつき、さらに火砲の台尻を押し当て、直上――つまりは階下へと向けて構える。

『亜粒子輝撥設定はデフォルトで実行。最大熱量をキープします』

 粒子加速器が唸りを上げた。ビームチャンバーを満たす白光が砲身部から漏れ出て、夜の事務所の床面へ、デスクや棚やパーテーションの、くっきりとした陰影をつくる。

『魔力志向性に揺らぎがあります、サカナ。ネムリを攻撃することに集中してください』

 ハガネが要求してくるが、那渡は朦朧とする意識を保つだけでやっとだ。

 このような事態でもなお、まるで走馬灯のように脳裏をよぎるのは、すいのことだった。



 那渡は社会人になり、会社勤めを始めた。

 そこそこの規模がある商社に就職し、実家から近くの営業所まで通勤していたが、二年目にはその営業所が急遽閉鎖され、別の支社へ転勤となった。仕方なく群馬県内の実家から離れ、都内でひとり暮らしをすることにした。

 土曜と日曜が休日だったので毎週末には欠かさず実家へ戻り、すいと触れ合った。

 すいは高齢に差しかかってもなお変わらず、那渡にとっての宝ものだった。拾った頃と同じように可愛らしい女の子であり、成長して落ち着きを得た態度は姉のようでもあった。

 白くなめらかな背中へ顔を近づけると、紅茶のような、ほのかに甘い香りがする。それは、すいのチャームポイントのひとつで、那渡のお気に入りだった。

 そのような生活が、数年間続いた。


 一昨年の夏、那渡が毎週の習慣通りに実家へ帰ると、すいは体調を崩していた。どことなく元気がない。なにかを訴えるようにこちらを見て鳴くのだが、それがなぜなのかわからない。

 母親に訊くと、二日前から食欲がなく、朝夕のペットフードにもほとんど口をつけていないのだという。

 那渡は慌てて、すいを動物病院に連れていった。診察の結果、内臓の病気だとわかった。気づかない内に、病状はかなり進行していた。

 慢性の病であり、対症療法以外に有効な治療法はないという説明を受けた。それはすなわち、体内に溜まる老廃物と毒素を薄めて尿として排出するための皮下輸液と、食欲増進のための投薬だった。

 両親は共働きで毎日外に出ている。負担を増やすことはできない。

 父は猫の飼育には消極的であったし、母もすいの皮膚に針を刺す皮下輸液には、手を出したがらなかった。

 ただ那渡が膝に乗せれば、すいはおとなしく、不快なはずの点滴も上機嫌で入れさせてくれた。

 那渡は実家暮らしに戻って、すいの面倒をみることにした。

 会社には実家から通うことになる。片道三時間以上かかるため、始発か、それに近い電車で会社へ向かうようにした。

 毎日一回の皮下輸液と並行して、食欲の衰えたすいが少しでも栄養を摂れるように、さまざまな種類の食事を用意し、砕いた錠剤を混ぜ、試行錯誤しながら与える。

 動物病院には毎週通院して経過を観察し、月に一度は血液検査をする。

 忙しい日々が始まった。


 

 地上へ降下したネムリは翼竜を外に待機させ、今度は自らの足で事務棟へと侵入した。短くなったものの刃物としてはまだ有用な斧槍を手に、コンクリートやガラスの破片を鉄靴で踏み越える。

 腹部の刺し傷や斬られた右眼は既に治癒し、ただ流血の跡だけが黒く、乾いて固まっていた。

 館内放送の不快音が鋭敏な聴覚を刺激するが、意にも介さない。

 標的を追跡するため、赤い血痕を辿り、ロビーを横切ろうとしたとき――。

 上層階から建物を縦に貫く光の奔流が降り注ぎ、ネムリの全身を灼熱が焼いた。

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