エピローグ あたたかい冬の日に [1/2]

 ネムリを倒した那渡なとたちは、まず水没したセダンを海から引き上げた。

 心身ともに疲労困憊だったため作業はハガネの自動制御に任せ、道路脇の草地まで車体を運び終える頃には、空もすっかり青くなっていた。火勢かせは作業の間、通過する車両にハガネを目撃されないよう見張りをしたのだった。

 本当であれば、格闘の余波で崩落した岩場や、車から流出した油で汚された海、水蒸気爆発で吹き飛んだ岩礁の一部も元通りにできれば良いのだが、そんな夢のような魔法の力は、少なくとも今の那渡たちにはなかった。


 そのあと、廃車と化したセダンを現場に一旦放置して、彼女らは軽トラックで近辺の港町へ向かった。

 九時に総合病院が開いた直後、外科で火勢の胸の傷を診察してもらったが、傷口は既に治癒しており、怪訝そうな顔をされたという。

 念のためにとレントゲン検査を受けることができたが、結果は異常なし。金属片の残留もみとめられなかった。

 那渡の左腕も診てもらおうかと考えていたが、断端がどうやら完治しているようであるため、急ぐことではないと判断し、やめておいた。

 なにより那渡も火勢も、疲れが限界に達していた。



 正午になる前に、町の小ぢんまりとした旅館でそれぞれの部屋を確保して分かれ、ふたりは睡眠をとった。

 備え付けの浴衣に着替えて布団へ倒れ込むと、那渡の意識は途絶え、夢も見なかった。



 布団の中で起きたとき、時刻は夜の八時を回っていた。熟睡しすぎたためか、全身がだるく感じる。

 那渡がハガネに話しかけると、火勢は寝てから二時間も経たず起床して、さっそく手配した回収業者へセダンを引き渡すため、あの岬まで戻ったのだという。諸々の手続きを終えて帰ってきた夕方から、寝直しているらしい。

 タフだな、と那渡は感心してしまった。同時に、多額の出費を火勢に強いていると、今更ながら自覚した。できる限り、どうにか弁償しなくては。

 ハガネは相変わらず、火勢とのやり取りには那渡の携帯電話を経由しているようである。

 ぜんからも着信があったという。昨夜の戦闘による被害がニュースで大きく取り上げられており、大慌てで電話をかけてきたのだそうだ。

 ハガネはひとまずネムリの無力化成功、そして那渡と火勢の生存という結果だけを、漸に伝えてくれたとのことだった。

 今のところは、それでいい。腕を切り落とされたことは、言えば余計な心配をさせてしまうだろう。那渡は、あえて漸には知らせないことにした。今はまだ、自分の中でも心の整理ができていないのだ。


 ハガネからは夕食や入浴を勧められたが億劫で、すぐには動く気になれなかった。どちらも、右手一本では試みたことのない日常動作だ。

『それでは、機体のメンテナンスをしてもよいでしょうか?』

「ああ、そうだね……かなり壊されたもんね」

 板の間に置いてあるハガネを、畳の上へ持ってくる。ハガネはアタッシュケースの形状から、メンテナンス筐体に姿を変えた。

 浴衣を着ていては、裾が邪魔でハガネを装着できない。一瞬迷ったあと、那渡は浴衣を脱いでインナーの上下のまま、棺にも似た筐体の中へもぐり込んだ。ハガネの本体が身に纏われる。肌に接する機体内壁の素材は金属とも樹脂ともつかない感触で、装着の違和感がまるでない。皮膚表面に合わせた温度調節と、繊細な圧力分布調整が為されているようであった。

 当たり前だが客室は軽トラックの荷台よりも広いため、フルサイズの筐体が構築できていた。足を伸ばして寝そべる。

『今回は機体の修復だけではなく、運用レポートの送信を実施します』

 そうだ。那渡は忘れかけていたが、実戦データを集めることが目的だと、ハガネは明言していたのだった。

「その、未来の人たちに報告書を送るの?」

『はい。時空間を越え、特定の方法で限定されたデータ量を送信する機能が、私には組み込まれています』

「あんまり恥ずかしいことは教えないでね……」

『残念ながら、ログの選別をする権限は付与されていません……』

 並行世界からハガネを送り込んできた人々。彼らには、結果的に命を救ってもらったことになるのだから文句は言えないかもしれないが、那渡にも多少の恥じらいと抵抗感はあった。学生時代のあだ名まで把握されているとなっては、今更プライバシーどころの問題ではない、としてもである。

 そういえば――、

「ハガネは……もしかして、すいのことを知ってるの?」

 口にするだけで、胸が締めつけられる名前だ。しかし那渡は切り出した。我ながら唐突だが、訊かずにはいられなかった。

 窮地で那渡を奮い立たせてくれた、ハガネの言葉。ああやって勇気づけられなければ、今の命はなかっただろう。

 すいと那渡が辿った出来事を踏まえて紡がれた言葉としか、思えなかったのだ。

『――はい。サカナにとって唯一無二の存在として、スイという猫の情報はインプットされています』

 少し間が空いてから、予感した通りの回答が返ってきた。その答えが意味するところ。ネムリに殺された、ハガネの世界の自分も、すいをいとしく思い、彼女と共に過ごしたこと。

「そっか……ありがとう」

『なぜ礼を?』

 理由を問われれば複雑だ。つらく哀しく、やりきれないが、反面、安心したような、心強いような気持ちも感じる。なやんだ末、言葉で表せる、率直な思いだけを返答にした。

「――励ましてくれたから」

 別の世界で、ハガネが造られる何十年も前に亡くなった彼女たちを悼み、那渡は細い吐息を漏らした。

『なにかの励みになったのであれば良いですが』

 那渡の感情の機微を理解しているのかいないのか、淡々とハガネは述べる。

『……たとえあなたが戦いを悔いても、あなたの歩みを、私は補助します』

 瞑目し、うなずく。ハガネは兵器だ。戦闘や争いへと、那渡をいざなう道具である。しかしその言葉は、信じられる気がした。


 ハガネによれば、地球の衛星軌道には未だ、百を超える数の衛星函が漂っている筈という話だった。

 それら再起を待つ磨道鬼たちは、近い内に地上へ降りてくるだろう。現在の世界に対する、侵略のために。

 思えば、翼竜以外にネムリの協力者がいたのかどうかも不明なままである。もし自衛以上の戦いを選択するとしても、磨道鬼全体に応戦するだけの戦力は、那渡たちにはない。

 情報を収集しつつ、今後の判断をしていきましょう――。ハガネの提案を聞きながら、自分にできることは何なのか、那渡は少しずつ考え始めていた。



 翌朝、火勢と連れ立って旅館の食堂で朝食をとる。

 苦心しながら納豆をかき混ぜたり生卵を割ったりする那渡に、火勢はどこか気をもむような視線を送ってきた。

 無理もない。右手だけでの食事にはじめて挑む姿は、たいそう拙いことだろうとは思う。

 しかし那渡自身は意外にも、要領をつかめばどうにかなりそうな、そんな楽観的な手応えを得つつあった。あくまで練習を重ねれば、という条件付きの話であるが。

 あとは、あまり行儀わるく見えてないといいな、などと少し気になったりもする。


 子供用のスプーンを駆使して納豆卵かけめしを完食した那渡に、火勢は帰途の提案をしてきた。レンタカーの店舗に軽トラックを返却したのち、東京まで電車で同行するという申し出だった。

 そうしてもらえるのは本心からありがたいが、遠慮すべきと思う気持ちもある。そして那渡には、帰る前に立ち寄らなくてはならない場所があった。

「火勢さん。――おとといの夜に戦った町まで、戻ってもいいですか?」

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