第6章 手のひらに太陽を [4/4]

 火勢かせは、那渡なとの叫びを聴いた。

 ネムリとの戦いはまだ続き、きっと苦境なのだろう。言わんことではない。

 寝転がったまま待っているよう言いつけられたが、那渡がやられては元も子もない。

 火勢は行動を決意した。

 胸の傷の周りをタオルで押さえたまま、ゆっくりと起き上がる。すると、深く突き刺さっていたはずの金属片が、ぽろりと抜け落ちた。

 荒い呼吸をしながら、呆気にとられて血塗れの破片を眺める。

 胸には鈍痛が走り、傷口がやけに熱い。頭もがんがんと痛んでいた。

 多量の血が流れ出ているせいだろうか。

 ……死ぬというならばその前に、動けるうちに動かなくては。

 よろめく足取りで、這うように進む。

 使える確証はなかったが、ハガネのハンドレーザーが落ちていたので拾い上げる。

 火勢は、崩落した岩場を転げながら降りた。

 その下の斜面で、ハガネとネムリが取っ組み合っている。

 那渡の叫び声がうるさい。

 予想通り、劣勢のようだった。

 ハガネの右腕は、徐々に押し返されていた。

 白く輝く左手は気迫で拮抗していたが、ネムリの握力で締め上げられ、ハガネの前腕は圧し潰されていく。内部から漏出した魔導流体が、ネムリの右手を朱く白く染める。

 ハガネの腕は、長くは保たないだろう。

 そうはさせない。

 火勢は傷を押さえることも忘れ、両手で構えた銃をネムリの右手の甲へ向けた。

 近づくだけで、ハガネの手のひらが発する熱波に、肌を焼かれるようだった。

「はなせ……!」

 粘つく喉から、かすれ声を絞り出す。

 震える指で、引き金を引く。

 不可視帯域のレーザーが照射される。

 ネムリの右手を構成する血肉が高熱を帯びて沸騰、破裂し、五指がばらばらに散って落ちた。



 左腕にかかる圧力が消えた。

 今だ――。

 那渡は目一杯、左掌を突き出した。

《焼燬》の指先が、ネムリの肉体へ到達した。

 白熱する掌が、ネムリの胸部を侵徹する。

 皮膚を、筋肉を、骨を焼き断ち、その心臓を掌握した。

 反発性の手応え。ネムリを保護する強化魔法が、とどめを阻害する。

 ネムリの左手が、組み合うハガネの右手を振りほどこうとした。だが、腕を自由にするわけにはいかない。那渡はハガネ越しに発揮できる力の限り、ネムリの手を捕まえ続けた。

 那渡とネムリの、顔と顔が、衝突せんばかりに接近する。

 虚無の両眼を見据える。

 まるで正体のない瞳の底へ、那渡は闘志を以て視線を射掛けた。

 返ってくる手応えは皆無だが、目を逸らすことは、決してしない。


「…………!!」

 奥歯を食いしばり、那渡は腕を振り切った。

《焼燬》の握り拳が背中まで貫通し、後方の岩に穴を穿って停止した。

 ネムリの心臓だった消し炭は、ハガネの手の中で完全に崩れていた。

 ネムリの、穴の開いた胴体を那渡は見ていなかった。

 無表情だったその目がまったく感情を映さないまま、焦点を失うのを見た。ネムリの首は、力なく横へ傾いだ。

 薄白かった髪の、最後の一本までも灰となり、磨道鬼・ネムリは散っていった。



 那渡と火勢は、息をするのも忘れていた。

 持ち主を失った鎧の脚が、音を立てて倒れた。

 直後に火勢が、胸の傷を押さえながら尻餅をついた。その呻き声に振り返って、やっと那渡は彼がいたことを知る。

「火勢さん!」

 那渡は火勢の体を支えようと思ったが、左手は危険な超高熱だ。近づかず、その場に踏みとどまった。火勢の手から取り落とされたハンドレーザーを見て、決着の間際で彼に助けられたのだと理解する。

『特殊装備を解除。強制冷却をおこないます』

 握り潰されかけたハガネの左前腕が、排熱の熱風を吐き出す。

「大丈夫、そんなに痛くない……死ななそうだ」

 低い声で火勢が言った。シャツに開けられた穴から胸を確認するが、血まみれの傷口は既にふさがり、出血も止まっているようで、これには本人も驚くしかなかった。

 種明かしとばかりに、ハガネが喋り出す。

『カセの血液から炎の呪文をサンプリングすると同時に、サカナに備わる自己治癒の呪文を、カセの体内へ流し込んだのです。他者の肉体修復は未実施の試みであり、決して高い成功確率ではないため、伝えませんでした。……そんな顔で見ないでください。もし教えたらカセは、もっと早く、立って歩こうとしていたでしょう?』

「……じゃあ、火勢さんの撃ったレーザーがネムリに効いたのも?」

 目を丸くしながら、那渡はハガネに訊いた。

『はい。そちらは、サンプリングした相殺呪文を魔導流体に載せてネムリの右手へ浴びせ返し、部分的に弱体化させたのです。私の強化魔法はネムリの肉体強化能力を再現して設計されたものとみられ、ネムリが練った呪文による相殺魔法が、ネムリ自身に対してもそのまま有効だった模様です。――これも、実践しなければ確証は得られないことでしたが』

 マルチドリルでネムリの背中を穿孔する攻撃が、相殺魔法の妨害を受けず有効だったことが推測の手がかりになったと、ハガネは語った。ネムリの相殺魔法も、血液を一方的に浴びせかけることができる状況でなければ自身にも悪影響を及ぼすため、行使には適さなかったのだろう、と。

 いつも通りに饒舌なハガネの解説を聞き流し、那渡は機体を身に着けたまま、火勢にならって座り込む。魔導流体パネルの発光は、彼女も気づかないうちに白の暁光から単調な赤い光に戻り、いつしかそれも収まりつつあった。

 疲れ果てていたが、それ以上に、火勢をまた危険な目にあわせたことがこたえていた。

 彼の身を案じ、待っていてくれと頼んだつもりだったが、結局は火勢の助力がなくてはネムリを倒すことはできなかったのだ。

「――ところでそんなこと、いつからできるようになったんだ?」

 まだ続いているハガネの長話を遮って、火勢が訝しげに質問を投げかけた。ハガネも、すぐに切り替えて回答する。

『呪文の《抽出サンプリング》と《転用スピンオン》は、サカナの魔力志向性が臨界点へ達し、私に組み込まれた独自の魔法を発動する条件を満たしたことにより、一時的にアンロックされた機能です。すなわち――カセを守り、ネムリを倒すと強く決断したことが、すべての決め手となったのです』

 おお、と感嘆するように火勢が声を漏らした。それから目を伏せ、なにごとか考えてから、那渡の顔を見た。どれだけ苦労してここまで来たのか、強い汗の匂いが漂っていることに那渡は気づいた。

「勝ったな、やっと」

 これは勝ちなのか。言われて、那渡も考える。

 確かに、ネムリとの戦闘には勝ったと言えそうだ。しかし敵を斃したこと自体も、周囲の環境にこれだけの損害を与えてしまったことも、素直に嬉しいと言える結果ではなかった。那渡にとっては。

 だが火勢にそう労ってもらえたことは、若干誇らしかった。負けなくてよかったな、と安心もする。

 だから那渡は少しだけはにかみ、その笑顔を返事にした。


 早朝の日本海で、ふたりと一機の逃走劇は、ひとまずの終わりを迎えたのだった。

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