7 夜水のお泊り

 翌日。

 早急に奇妙な事態を解決をしたかった夜水は、スーツに着替え出勤の準備をした。

「夜水、こんなに早く出るの? ご飯は?」


 夜水と辻は、地球から誤って見知らぬ星へと不時着した。そこは地球と性別が逆転している星だった。地球では可愛い女の子が、この星ではかっこいいイケメンになるのである。

 つまり、全人類TSF。信じたくもないし、ありえない。

 そして、地球で夜水を溺愛していた父親も、胸のある女性に変わってしまった……。

 父親がメイクをし、スカートを履いている。

 怖い。


「……急いでるから」

 夜水は、地球だと父に愛想なく返事をした。

「冷たいわね。昔はママ~なんて言っていたのに」

「行ってきます!」

 ぞわぞわする台詞を横に、夜水は辻の家へと走った。

 

 電車もバスも、様相は地球と何ら変わらない。でも乗っている人達の性別は、全員逆転しているのだ。あの女性も、あの赤ん坊も、男性の運転手も全て……。

 道中、嘔吐えずきそうな気持ちを何とか堪え、辻の住む駅に飛び降りた。

 夜水はマンションのロビーに入ると、インターホンを物凄い勢いで連打した。画面の向こう側の辻は『煩いからそんなに押すな』と言い捨てた後、ロビーのドアを開けてくれた。


「辻っ! この世界怖い! 還りたい!」

 朝の挨拶もせず両手を握り締め、開口一番、辻に言い放った。

「会社は九時からだぞ。七時は早すぎないか」

「そんなのどうでもいいっ」

 辻家のリビングにはL字型で背もたれ付きのソファーが置かれている。

 合皮で真っ白いソファーなので、部屋の雰囲気が明るく演出されており、思ったよりふっかふか。アームレストも付いているので、テレビを見ながらうっかり寝ちゃう大きさだ。

 その素敵なソファーで、人に酔った夜水は軟体生物のように横たわっていた。


「こっちでも職業がトラベラーのままで良かった。基地や宇宙船に近づけるし、疑似アカシックレコードから何か情報を得られるかもしれないから」

「そうだな」

「母さん、いや、この星では父さんの仕事も地球の職業と同じだった。俺達も職業が変わっていないという事は、この星はだ」

「そうと言える。俺の書斎にあった資料もトラベラーの仕事に関する物だったしな」

「唯一の希望だ」

 

 ところで、話は変わるが辻家はそこそこ広い。

 リビング、ダイニングキッチン、書斎、風呂、トイレ、部屋が二つ。どう見ても一人暮らし用じゃねーだろと突っ込みたい間取りだ。

 リビングは八畳ほど。一人暮らしにしては、わりと大きめ。カーテンは白く、ちょっと洗濯が大変そう。

 前述のソファーは、白いカーテンの窓越しに置かれていた。

 ソファーの前にはガラスのローテーブルがあり、その隅には二十四インチの黒いテレビが斜めに置かれている。なのでテレビを横に、お洒落なティーブレイクが出来てしまう。


 ダイニングキッチンに横付けされたリビングテーブルには椅子が二脚。アイボリーの色がナチュラル感に拍車を掛けている。

 キッチンは、リビングに向くカウンタースタイル。テレビに爆笑しながら料理をしたい人におすすめである。

 白いキッチン台に並んだ食洗器に皿を入れ、スイッチポン。これはコードレスの白いトースターと共に、気に入っている。

 上を見ると白い戸棚が沢山あり、中を開けば鍋やら怪しい香辛料が覗く。戸棚の隙間には、百均にありそうな手拭い掛けが差し込まれており、直ぐ乾くので重宝している。何百年後の未来でも愛用されるほど良き物だ。

 そして背後には、白い食器棚と、威圧感ある白い冷蔵庫が幅を取っている。冷蔵庫は大きさ的に、間違えてファミリー用を買ったの? と問いただしたい。

 台所の広さによって脱衣所と風呂が狭くなり、同情を誘う。

 なので、風呂は完っ全にお一人様用。大人二人が浴槽に浸かってキャッキャウフフなんてしたら、湯は全て流れ、コップ一杯分しか残らない。まぁ、湯沸かしパネルがあるので、『足し湯』ボタンを押せば良いのだが、流れちゃうから意味無いでしょッ。

 浴槽の隣はシャワースペースとなっていて、前面には浴槽まで横に長い鏡が壁に設置されている。白いプラスチックの椅子に座り、これを見ながら髭を剃るのだ。それしか用途が分からない……。 


 トイレは大人二人が縦二列入れる、そこそこな広さ。上の白い戸棚にはトイレットペーパーがひと月分補充されている。棚の下のスペースは、消臭剤と便座内の掃除用ジェルスタンプがあり、これを使い掃除をするのだろう。

 数百年後の掃除用ジェルスタンプは、その一回で購入したての便器に生まれ変わる。漂白剤やブラシで擦らずとも、一年間汚れ知らずとなるのだ。正直欲しい。

 そのトイレの正面には書斎があるが、所詮二十歳の住処。

 五畳程のスペースに、本棚、机、パソコンが置いてあるだけの窓すらない、ちんまりとした小部屋だ。

 残りの二部屋は六畳と広く、小窓がついており、ベッドと箪笥が一つずつ置かれている。驚きより、「管理が大変そうだなぁ」といった簡素な感想しか出ない。

 ついでに辻は白が好きなのか、カップも皿も白である。やまさきパン祭りのお皿がお好みかもしれない。

 とかく未来の物件はお値頃なのだろう……。


 閑話休題。 


 ゆったりと朝を過ごしたかった辻は、追い立てられ、望まぬままスーツに着替えた。ガチムチ寄りな辻なので、スーツを着ると戦士のようである。濃紺だから特に迫力を感じてしまう。

 しかしハートは繊細なので、静かに珈琲をカップに注ぎ、リビングのテーブルに置いた。

 ソファーで溶けていた夜水は珈琲の匂いを嗅ぐと、ゾンビのようにふらふら起き上がり、リビングの椅子に座った。正直食欲は無かったが、せっかく出されたトーストだ。いただきまーすと齧った。ふわっとしたバターの風味がして美味しい。癒しのひと時だ……。


「そう言えばさ、女の俺よみず女の辻つじはどこにいるんだ?」

「……何故聞く」

「いや、この星にいるんだろ?」

 夜水は疑問を浮かべた表情を天井に向けた。

「逆に考えてみろ。彼女達が地球にいる可能性だってある」

「なんでさ」

「そりゃ、俺らと同じ状況になってるからだろ」

「え、つまり、女の俺よみずで男にされている」

「だろうな」

「そんで、女の辻つじに……?」

「だろうな」


 夜水と辻は、性別が逆転した星に不時着した。

 なら女の夜水と女の辻だってトラベラーなのだから、この星から時空旅行に出発し、地球に不時着しているのでは。

 性別が変わろうが、互いに同じ事をしているのだ。

 なので女の夜水と女の辻は、地球という性別が逆になった星に、今頃ちびってるかもしれない。

 そう夜水達は考えた。


「こわ……ていうか可哀想……」

「仕方ない」

「女の子に男子トイレはきっつい」

「どんな心配をしてるんだ……」


 辻は明後日の方向へ思考を飛ばす夜水を無視し、自分のトーストをテーブルに運ぶと、リビングの椅子に座った。

「あのさ、辻に一つお願いがあるんだけど」

 珈琲カップを手にし、ふーふーと冷まして飲む。

 昨日の火傷が未だにきいているのだろう。

「なんだ?」

「ここに住みたい」

「……お前、今どんな格好をしてるのか分かるか?」

「ズボンのスーツ」

「違う、身体だ」

「だからー、女って見るなよ」

「いや、女だろ」

 グレーのジャケットとインナーの白シャツが、大きな胸によって押し上げられている。こんなの明らかに女体でしょうが。

「いいじゃん! 部屋いっぱいあるし広いし! このまま、あの家に居たら二階から飛び降りてしまいそう」

 テーブルに伏せって涙する夜水に、辻は己の額を押さえた。

「お前の家族にはどう説明するんだ。男の家に泊まるなんて言ったら、お前の元父が激怒するぞ」

「辻と仕事で缶詰しなきゃいけないって言う」

「お前にしては頭が回るな」

 夜水はテーブルから身を起こすと、眉間に皺を寄せて怠そうに首を傾けた。

「脳味噌フル回転した結果だよ。それくらい辛い」

「一室なら貸してやる。ただ、二日に一回は帰れ」

「うぇぇ……」

 妖怪一家より辻とシェアしたい。

「条件を飲まないならこの話は終わりだ」

「わかった、嫌だけど飲む。嫌だけど」

「それより、出勤の時間だぞ。地球について調べるんだろ?」

「あ! うん! さっさと調べよう!」

 壁掛け時計を見ると、思ったより時間が経っている。妖怪対策に乗りすぎた。

 夜水は慌てて出勤用の黒いバッグを持ち、玄関に走る。ちなみにスーツとバッグは全て、女の夜水の私物だ。

「とりあえず今日、家に帰ったら即荷造りしてまた来るから!」

「早すぎないか?」

「それくらい嫌だってこと! はい、閉める閉める!」

 地団駄を踏みながら辻を急き立て、早々に廊下に出ると、エレベーターのボタンに齧り付く。そんなに急がなくても会社は消えないのにと思いながら、辻は溜息を付いた。

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