6 夜水、やけどする
「おいっ! 夜水! 夜水!」
はっ、と気付くと、辻が心配そうな顔で自分を覗き込んでいる。
「あ……」
体を起こすと、そこは自分の部屋だった。
シンプルなベッド、シンプルな机、本棚の開いたスペースにはバスケットボール部の優勝トロフィーとトラベラー認定書が並んでいる。
おかしいのはマイベッドの横に、座高の高い辻がいることだけだ。
「夢か……?」
「残念ながら夢じゃない」
「だよな、また戻った夢を見ちゃったよ、はは、は……」
夜水は掠れた声で作り笑いの顔を上げた後、閉口した。
寸分違わぬ部屋だ。なのに所々可愛らしいピンク色で彩られ、レースの刺繍が施された生成りのカーテンが、そよぐ風によって膨らんでいる。
壁に横付けされたアイボリーの木製ローチェストには、見慣れた写真。そこにはユニフォームを着て満面の笑みでピースをする女が、トロフィーを掲げていた。
正確に言うと、女の姿をした自分が。
「……間違い探し?」
「いいか、落ち着いて聞け。ここは多分、地球じゃない。地球にそっくりな惑星だ」
「なぜわかる」
あまりの事態に目が据わり、首を傾げながら棒読みで聞いた。
「お前の父と千鶴君の性別が逆な時点でおかしいだろう。そして言いづらいのだが……お前が女になったのは、その、本当にタイムパラドックスが働いた可能性がある。つまりジョークが本当になった」
両肩を掴まれ逼迫した表情で迫られたが、ウザかったし疑問がありまくる。
「お前は女じゃないじゃん」
「……」
「俺だけがタイムパラドックスの影響で女になった……ってこと……か?」
「……」
「はっきり言えよ! 父さんになった母さんが帰ってくる前にさ!」
ベッドサイドにチェストがあれば台パンしたのに。
「断定は出来ない。だから、地球に還れるよう何とかしなければならない」
「当たり前だ! でも、この体で地球には還れない……」
夜水はひらひらレースの布団を前に、のた打ち回った。
こんな女の体で帰還したら、地球の家族は仰天して自分のように気絶するに決まっている。
「タイムパラドックスを直せばいい」
「例えば?」
「キャンピングカーを使って帰還する」
「えぇ……嫌だ……」
あんな黄色のウキウキお天気カーで還りたくない……。
「でも、道理に則らないとまたタイムパラドックスに陥るぞ」
「キャンピングカー故障してんじゃん」
「直すよう、惑星の宇宙センターに頼む」
「愛想を良くしたのは無駄じゃなかったと喜ぶべきか、これ」
夜水は膨大な情報に頭を抱え、フリルが縁取りされた枕に突っ伏した。
なんて非力なのだろう。
「俺だって何故こうなったのか全くわからないんだ」
腕を組んで考え込む辻の姿に、思わず恨めしそうな視線を注いだ。分からないのは夜水も同じだというのに。
「やっぱりキャンピングカーのせいだ!」
「でもそのキャンピングカーが無かったら一生このままだ」
「いやだ~!」
そこにコンコンとドアをノックする乾いた音がした。
「姉ちゃん? 大丈夫?」
扉の向こうから枯れたような千鶴の声が聞こえ、夜水は再度頭を抱えた。妹である筈の千鶴が声変わりとか、何それ……。
「入っていい?」
「……いいよ」
ドアの開く音に、夜水は瞼を少しだけ開き、声変わりの人物を視界に入れた。
「気絶させてごめんなさい。母さんも反省して泣いてたよ。僕も嬉しくて抱き着いちゃった。もう高学年なのにね」
反省をしているのか千鶴という名の男の子が項垂れている。
夜水にそっくりな黒目がちで、とっても可愛いおん……男の子だ。
「兄ちゃんなら平気だから気にするな」
「? 兄ちゃん? もしかして姉ちゃん、地面に落ちた時頭を打った?」
おろおろと近付こうとする妹、もとい弟に、フリフリ枕を使ってガードした。
「姉ちゃん! そう! 姉ちゃんだよ、ははは、バカだね、俺」
「俺?」
「ちがっ、わた、わた……し」
「やっぱり打ちどころが悪かったみたいだね。後で温かいお茶持ってくるね。辻さんもいりますか」
「ああ、もらおう」
弟は失礼しましたとドアを閉め、階段の軋む音は遠のいた。
「辻はいいな。男のままで」
夜水は口を尖らせると、フリフリ枕を抱き締め顔を埋める。
「自分でも不思議だ」
「逆だったら良かったのに」
「でも、女の俺は怖いだろ」
キッ! と枕の隙間から睨むも、想像したとたん怒りが吹き飛んだ。
「あ……うん、怖い。ドン引く。近寄りたくない」
「酷い言いようだな。俺の姉貴が聞いたら殴られるぞ」
「あぁ、辻にそっくりなんだってな。想像出来ないし本当に殴られそうだ」
「否定出来ない」
あれ? そうなると〝辻の姉〟だって、この星だと性別が逆転しているよね?
「辻の姉ちゃんも、もしかして〝男〟になってるのでは」
「そうだろうな……。俺も〝兄〟なんて呼びたくないな」
「じゃあ辻は、男兄弟になっちゃうのか。ふふっ」
両手で口を覆いながら、思わず笑いを堪えてしまう。
「おかしいか」
「だってさ、ドッペルゲンガーみたいで笑えるじゃん!」
「残念ながら、それはならないな。姉貴――いや、この惑星では〝兄貴〟か。長期出張中だから逢えない」
「ん? ちょっと待て」
辻は一人暮らしをしている。そして兄貴は留守だ。ということは!
「作戦会議はお前の家でやりたい」
「何でだよ」
「だって、こんな所でタイムパラドックスの話なんか出来る訳ないだろ! 出入り激しいし!」
すると、まるでタイミングを見計らったようにドアがノックされ、千鶴が入ってきた。
「お茶、お待たせ。お菓子も持ってきたから食べてね。あ、邪魔しないから」
含み笑いを浮かべているのは気のせいじゃない。夜水は背筋の毛をぞわりと立てた。
「おい、千鶴が俺達の事誤解してるっぽいけど」
「そりゃ、男と女がひそひそと話してるからな」
「ぜっったい、ここでは会議しない!」
勢いで熱々のお茶をグッと流し込み、舌と喉を火傷するというヒドイ締めによって会議は中断した。
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