第3話 足りないもの

 碧い瞳が、僕を見ている。鋭利な視線が僕の中に入り込んできて、ぐさり刺される。

「私はそなたの心を観ていた。そなたは臆病者だ。今の貴様が、ここに眠る剣を握ったところで、あれを打ち倒すことはできん」

 あの時、動けなくなった時、僕は諦めた。

「どうすれば、僕は……」でも、それでは駄目なのだ。

「どうすれば」と人魚は僕の言葉を繰り返した。「どうすれば良いと思う。あの時,

お前に足りなかったものはなんだ?」


 あの時の僕に足りなかったもの。

「勇気、だと思います」と僕は言った。

「そうだ。お前は強くなる必要がある」人魚は顔を僕にぐっと近づけた。


 彼女に纏わりついていた水滴が落ちて、水面をかすかに揺らした。

「強くなりたいか?」

「は、はい。強くなりたいです」

「よし、では剣を抜け。それができなくてはなにも始まらん。剣がどこに眠っているかは、わかっているか」

「はい。夢でみただけですけど」


 人魚は、僕の正面からどいた。湖面が短い波をたゆんとつくった。

 服を脱ぐ。なぜか人魚がじっとみてくる。脱ぎづらいなあ。布一枚になって、軽く準備運動をする。

「全部脱げ。本来人間界のものがここへ入るのは許されておらん。お前は魂が特別だから許可されているのだ」

 僕は自動的に自分の股間部分を見て「わかりました」と答えた。

 恥ずかしがったところで、しようがないではないか。思い切って布を取り去り、あちらへ投げた。

「ほう」人魚の視線は、僕のへその下に注がれている。「やはりそこまでそっくりなのだな。見た目は」

 僕の股間に言っているらしい。きっと、勇者のことなのだろう。僕は彼のようにならなければいけない。思うきっかけがあまりにあんまりだけれど、実際そうなれれば、構わないのだ。 

「それでは、入ってもよろしいでしょうか」

「うむ、入れ」


 岩がちょっとせり出したところに僕は立った。足からゆっくり入ろうかと思ったけれど、迷って勢いよく飛び込んだ。ざぶんと音立てて。一切にごりのない、温かい綺麗な湖だ。全身がたゆたい、ゆっくり身を任せたい気分になる。透きとおり、向こうの壁まではっきり見える。それに、覚えがある。夢で見た眺めだ。


 あった、剣があった。湖底の中心部の岩に突き刺さっている。しかし、深い。あそこまで潜れるだろうか。そういえば、度々聞いた声は剣が僕に語り掛けてくれていたのかと思っていたけど、違ったのかな。


 呼吸を整えるために水面へ顔を出す。人魚からの視線を感じながら大きく息を吸う。両手で水をかきわけるようにして、足を動かして、深いところへ行く。途中、真っすぐ生えた、ツタのような水草があったのでそれを掴み掴み、潜った。


 剣まで半分も到達せぬところで、喉の奥が苦しくなり、胸が苦しくなった。肺の中にとどめていた空気が漏れてしまう。水面へ戻らねば死ぬ。

 僕は急いで水面へ戻った。はあ、はあ、はあと声にならぬ声を上げている視線の先には青い空。

 人魚は僕の間抜けな姿に笑うことも、冷ややかな目を向けることもなかった。

「頭を使え」と人魚は自分の頭を人差し指で示し言った。

 呼吸を整え人魚の言葉を飲み込む。


 深くは潜らずに、水中を落ち着いて見回す。水草と魚たち以外にあるのは、まん丸い空気の玉だ。ああ、なるほど。あれで空気を補給しつつ潜ってゆけということか。頭のいい奴だったら、最初から気付けたのかもな。


 さっそく試すために、近くにある空気玉に顔を突っ込んでみる。空気玉は、僕が一呼吸する間に弾けて消えた。空気玉は、どこから出ているのか分からぬが、湖中の至るところにある。一呼吸分もあれば十分だ。








 

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