第2話 臆病者
僕は、エレナを迎えに行かなければならない。彼女は僕に、そう言ったのだから。
今は緑の葉の茂る、桜の木陰にゆっくり腰をおろす。風は吹かず、上天気。
羽音がする。何かが木を中心に、円を描いて飛んでいる。空中で動きを止めたそれは、腕を組み、威圧するように僕を見ている。
「ツイテコイ」とそれは言った。
「え」
「エ、トハナンダ。ハイトイウイミカ」
僕は、その奇妙な生物の後ろをついて歩いた。大きさは、僕の手のひらほどしかない。小さな人間に、透明な羽の生えた姿をしている。肌は微かに桃色がかっていて、ハチドリのように、時々空中で制止する。
「あ、あなたは……」と背中に訊ねる。
「オマエノホウカラハナシカケルナ。コチラカラヒツヨウナトキニ、ヒツヨウナダケシャベル」
それから、黙って森の中を歩いた。普段なら僕の存在を察知したら姿を隠す動物たちが、不思議そうに僕の案内人を眺めている。突然、視界が白い靄に包まれた。
「ワタシヲミウシナウナ」と彼は羽音に被せるように言った。
「はい」
背筋がぞくっとする。彼をじっとみて歩く。彼は時々直角に曲がったり、来た道を真っすぐ折り返した。一体、どういう法則に従っているのだろう。僕ら人間にはわからないが、彼らだけが知る、ルールのもとで彼は動いているのだ。
思えば、寝てないな。未だ眠気が襲ってこないのは幸いだ。
視界が開けるのも突然だった。案内人は、安心したように息をついた。羽音があちこちから聞こえる。木の枝に数人、仲良く並んでいたり、手を繋ぎながら飛び回っている。きゃははと、年端のいかぬ少女のような声や、少年のような声、大人の声も、しわがれた声もある。
「森にこんな場所があったなんて」知らなかった。
木は、すべてが桜だ。桜色が、森を鮮やかに彩っている。季節外れだが、そんなことは、誰も騒いでいない。ここではそれが自然なのだ。奇妙なのは、花びらが舞い散っていないことだ。きちんと毎日、一枚残らずほうきで掃いているのだろうか。
しばらく歩き、開けた場所に出た。湖がある。
「ワタシガオマエヲミチビクノハココマデダ。アトハカッテニヤレ」
「あ、ありがとうございました」僕がそう言い終えた頃には、彼は既に空の高いところを飛んでいた。
よっぽど、人間が嫌いなのかな。
澄んだ水面。ここだ。ここに剣が眠っている。直感でわかる。も、潜ってみようか。
水面がざわざわしだした。巨人魚が、湖面の中心から飛ぶように姿を現した。大きなしぶきをたて、再び水中へ潜っていく。こちらへ泳いでいる。ひれは優雅に、ひらひらと動き、なんだか見惚れてしまう。鱗は太陽の光を受け、きらきら反射している。
人魚は上半身を、ゆったりと水中からあげた。顔、首、鎖骨、肩、胸、腹。わずかに乱れた髪を一つにまとめ背中へ流し、僕を見下ろした。通常の人間より、すべてが大きい。上半身だけで、僕の倍は丈がある。
「どうも。臆病者よ」と人魚は言った。
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