第41話 新たな片思い
栗栖さんは俺のことが好きだと言う。そして、俺に好きな人がいても待つと言う。
「待たれるの、好きじゃ無いんですけど」
俺は言った。
「プレッシャー?」
栗栖さんがチラッとこっちを見た。俺は小さく頷いた。
「小さい時から誰か待たせるのが凄く嫌で」
そう言いながら思い出していたのは、少し困ったような兄貴の顔だった。
兄貴は頭が良くて、計画的で、いつも準備万端だった。状況のよく分からない俺はいつも、あの人を待たせてばかりいたのだ。それが恥ずかしかったり、悔しかったり、役に立てない自分が嫌で仕方が無かった。
待っている兄貴。
困ったような顔をする兄貴。
焦るけど、何もできない俺。
過ぎる時間。
今なら分かるんだ、仕方が無いってこと。年齢差があったんだから。
でも身体に染み付いたあの焦りは、今さらどうしようもなく一生消えることは無い。多分末っ子ポジションの人はみな感じたことがある焦りだろう。ただ一つ、俺が兄貴を好きだったということを覗いては。
全て、そのことが問題を複雑にしていた。今さらどうにもできない。過去や過去に感じたことはどうにもできない。
でも、俺自身が変わってきたから、感じることが変わってきている。
今、俺また兄貴を待たせている。待たせているのに…焦りは無い。申し訳なさも、もう感じない。
一緒に仕事しようって言われて、待たせているけどあんまり焦ってない。
うん。
俺、確かに変わった。
栗栖さんが、感じが変わったと言うけれど、そうだね、変わったんだ。
色々な事が起きて、俺、変わっていってる。
原田さんが、俺に依存しているのは兄貴の方だと言った。そう言われるまで俺は、そんなことは考えた事がなかった。
俺は『実の兄』を独占したいと思うような、大きな身体でまるごと抱きしめられたいと思うような、兄貴の結婚相手に嫉妬するような不道徳な人間だ。そんな俺を誰かが必要とするはずがない。
ましてや兄貴が。
それが俺の中のスタンダードだった。
原田さんが言ってくれたことが、その見立てが合っていたとしても違っていたとしても、とにかくそういう見方、考え方があると知ったことが、俺をこんなにも、変えたんだ。
俺が変わったということは、俺が感じる世界が、変わったんだ。
固定観念から俺を解き放つ、原田さんが俺の『うさぎ』なんだ。
あの人が俺を、外の世界に連れ出す。
「ねえ、広彦くん」
声をかけられて、ぼんやりしてしまっていたことに気が付いた。
「あ、すみません」
「いいよ、いいけどさ」
栗栖さんがちょっと拗ねていた。
「俺と居ながら、好きな人のことを思い出すのは良くないよ」
ふざけた感じでそんなことを言う。
「いや、好きな人とかじゃなくて、子どもの頃のこととかを思い出してしまって」
そう言い訳をしたら、「ホントかなあ」などと疑ってきた。まあ、半分本当で半分嘘だ。
「ま、いいか」
栗栖さんが呟く。アパートが、見えてきていた。
「今日は会えて良かったよ」
栗栖さんがそう言った。俺も、会えて良かったと思ったが、それは彼の「会えて良かった」という気持ちとは全く違っていて、何も知らずに3か月も会えなかったら変に不安になっただろうとか、もっと酷い考え方をするとすれば3ヶ月会わなくて良いんだとか、そういう自分勝手な類の気持ちに過ぎなかった。
「しばらく戻らないけど、また会いたいな」
彼はそうも言ってくれた。けど、俺は曖昧な表情しかできなかった。元々は俺の片思いというか、一方的にファンになっているみたいな状況で始まった関係だったのに、こんなふうに逆転していくなんて誰が想像しただろう。
「じゃあ」
お互いに、ちょっと会釈をしてそれぞれの部屋へ帰った。
俺の脳に占める彼の割合はかなり少なくなってしまっていた。そしてその事を、栗栖さんも今日、多少は感じたことだろう。
3か月は栗栖さんと会うことが無い。
その3か月の間に、また俺に何か変化があるのかも知れない。
いや、もう無いのかな。
原田さんとの出会いのインパクトは大きすぎる。何度もあることじゃない。
会いたい。
会えなかったから、余計にそう思った。
早く会いたい。
会って、彼のおかげで変化した俺を見せたい。
心からの感謝を伝えたい。
また俺は片思いを始めてしまったことに気が付いた。原田さんは女性が好きで、俺は原田さんが好き。またもやどうにもならない関係へと進み始めている。
なんでなんだ。栗栖さんを好きになれば、俺は一人きりを免れる。免れると言うのに。
いや、でもそれは。
でもそれは、兄貴を想いながら何人か付き合った学生時代と変わらない。そんなことをしても結局誰も幸せにはなれないと、分かったんだ。そんな想いも全部、原田さんに伝えたい。彼は茶化したりしないだろう。そして驚かず、引かず、ただ聞いて、そして、ただ冷静に分析を始めるような気がする。そして俺に、アドバイスするだろう。告白してきた相手には冷た過ぎるようなアドバイスを、温かくて無責任な笑顔で。
でも俺は、そうすることで自分なりに納得して次に進めるような気がしていた。兄貴に依存していた時とは違って自らの足で進んでいけるような。
好きで。
すごく好きで。
俺にとっていつも、誰かを好きになることは別れの始まりだ。
1人の部屋で、ベッドに腰掛けて俺は少し泣いた。自分のことはだいぶ馬鹿だと思った。
携帯が鳴った。
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