二日目 JOKER

「じゃあ、何で事件は起こったの‼」

 舞台の中心でアリス――逸見結愛がそう叫ぶ。

 始まった舞台に監督は必要ない。

 事故が起きた時はどうなることかと思ったが、終わり良ければ総て良し。結果としてはまずまずといえよう。

「隣、失礼します」

 唐突な一声で思考が中断される。

 横に座ったのは補永だった。

「助かったよ。代わりの脚本まで用意してもらって申し訳――」

「着ぐるみの盗難、ひいては昨日、舞台に着ぐるみの頭部を落下させた犯人が誰かわかりました」

 私の言葉を無視して、補永は冷え切った口調でいった。何故、彼が突然そのようなことを口にしたのか理解できずに困惑していると、

「分かり次第、報告しろといっていたのは貴方でしょう」

 いわれてみれば、確かにそんなことをいった覚えがあった。

「犯人は――」

「岸山だろ。それは分かっているさ」

 その程度の真相には早々に自分でたどり着いていた、

「その様子だと、愛川には既に真相を伝えたんだろう。大方『岸山恭介の目的は、部内の関係修復が目的だった』というような、ね」

 補永は何も答えない。

「でも、私にもいくつか分からない点があってね。よければ説明を聞かせてもらっていいかな?」

 しぶしぶといった様子で、分かりましたと補永はうなずく。

「まず、一つ目。どうして岸山は着ぐるみを選んだのかな?」

「持ち運びが容易く、かつ事態を深刻なものではないように見せられるからです。他にも被るだけで顔を隠せるのも理由の一つでしょう。

 つまりは印象の問題ですよ。どこかふざけた印象がある。現に着ぐるみを被った恭介先輩を見た生徒は『ふざけているのかと思った』といってましたからね。

 それに舞台に落ちてもジョークの一環で済まされる。

 仮にブロックでも落ちてくれば、そこには明確な殺意があるように思えるでしょう。

 しかし、ファンシーなウサギが落ちてきたところで、どこか愛嬌がある。事態が急激に緩慢なものになる。岸山先輩は、それを狙ったんでしょう」

「……それはなかなか無茶な話じゃないかな」

「ですが、今日の騒ぎを考えてくださいよ。舞台に物が落ちてきたというのに、事態の中心になっていたのは、恭介先輩の怪我とセットと衣装の破損だけです」

 そういわれてしまうと納得するほかなかった。

「文化祭という空気もその原因でしょう。多少のトラブルくらい祭りの喧騒の中ではかき消される。

 話を戻しますが、恭介先輩の怪我は嘘だった。となると、実際の被害は逸見さんの衣装が破損して、セットが壊れるで済んでしまった。それゆえに話がこじれたんですよ。

 もし、岸山先輩の目論見どおりの場所に着ぐるみの頭部が落ちていたら、誰が怪我をしたでしょう――いや、それどころではなかった。最悪の場合、人が死んでもおかしくはなかった」

 故に岸山があのような短慮に至ったのには少し驚いたのだが。

「これでお分かりだとは思いますが、岸山恭介が狙っていたのは演劇部の修復ではない」

 補永はこちらを見ることなく、舞台に視線を向けながら告げる。

「彼の真の目的は貴方に危害を加えることだった」

「……舞台には他にも生徒がいた。岸山は、無差別、あるいは別の誰かを傷つけたかった可能性もある。それなのになぜ私がターゲットだと?」

「体育館放送室からは、舞台が見下ろせます。狙いをつけるのは簡単です。それに舞台に着ぐるみが落ちたのは、貴方が他の生徒から離れていたタイミングでしたよ」

 それにと、補永は呟いた。

「これも犯人が着ぐるみを選んだ理由の一つですが――犯人としては、被害者に少しでも危害を与える確率をあげたいと思うのが心情でしょう。なら、何を落とすべきか。思わず被害者自身が見たくなってしまうようなものを落とせばいい」

「そのための着ぐるみ、ということか」

 はいと補永はうなずく。

「貴方は既に剣や盾屋から話を聞いて、着ぐるみが教室から無くなっていたことを知っていた。仮に二人から話を聞いていなくとも、自分の所属するクラスから、着ぐるみが無くなっているんだ。どのみち貴方の耳にも入るはずだ。

 そんな、無くなったはずの着ぐるみが頭上から落ちてきたともなれば、注視したくもなるでしょう」

「……実際、その通りだったよ。逸見さんが庇ってくれなければ大変なことになっていた。君のいうことはもっともだ。

 けれど、補永くん。君のいったとおり、実際には、衣装やセットが壊れるくらいで、誰かが怪我をしたわけでもない。それならそれで別にいいじゃないか」

「そうです。こんなものはただの舞台裏。真相を明るみにする必要も本来ないでしょう」

 ただ、と補永は続ける。

、剣と違ってこのような結末を容認するわけにはいかない。すべての真相は明るみにするべきだ。それが望まないものであっても」

 補永は息を吐いて、椅子にもたれかかった。不遜なその態度は、彼の本性を表しているようだった。

「まず、オレが気になったのは愛川先輩がこの事件の解決に執着していた点です。その理由として、我ながらひどく単純な考えではありますが、愛川先輩は恋人のために事件解決に動いているのかと考えました」

「そう。それが二つ目の疑問だよ。どうして、私が愛川と付き合っていると分かったのかな?」

「認めるんですね」

 補永はこちらに一切視線をよこさないままに尋ねる。

「その方が話も分かりやすいでしょう。続けてください」

「疑いの発端は、キスマークでした。昨日の部長会で愛川先輩と話す機会があったのですが、その際、愛川先輩の首元にリップ付きのキスマークがありました。――これが愛川先輩に恋人がいるのではないかという推測のスタート地点でもあります。

 釈迦に説法ですが、桜日高等学校で色付きリップの使用は校則で禁止されています」

 それに昨日は校門前で衣装検査が行われていましたし、と補永は補足する。

「てっきりオレは、逸見さんと愛川先輩が付き合っているものかと勘違いしていたんですが。よくよく考えてみたら、彼女は開会式に参加している。思い返すと開会式の時、逸見さんは、オレの隣にいました」

 オレの勘は当たらないんですよと自嘲した。

「他にも根拠はあります。愛川先輩は脅迫状の件を、部長会の準備をしている際に知ったといっていました。愛川先輩は、開会式に参加せず部長会の準備をしていたとも」

 ですが、と補永は続ける。

「愛川先輩が鍵を借りた記録は貸出名簿に記録されていない。どころか、昨日、朝の段階で音楽室のカギを借りた生徒は存在していない。

 そして、愛川先輩は脅迫状について、部長会準備の段階で演劇部の人間から聞いたと答えました。ともなれば話は簡単です。演劇部に所属しながら、貸出名簿に名前を書かずに鍵を借りることができる人間は、貴方以外いないんですよ」

 そういって補永は、ようやく私を見た。





「そのとおりだよ」

 ここまで完膚なきまでに当てられるとむしろ爽快ですらある。

 補永がいったいこの事件をどのように考えていたのか興味が湧いた。

「じゃあ、補永くん。脅迫状は何のために書かれたのかな?」

「当然ですが、自分が被害者となる事件に脅迫状を書く意味なんてありません。

 脅迫状は、本当に脅迫状だった。但し、脅迫するのは岸山恭介に対してではない。

 あの内容が公開されると困るのはただ一人。

 豊倉――いえ、時期的には天岳茜先生と呼ぶべきでしょうか」

 婚約してまもなくに、教え子に手を出していたのがばれるのは不味いでしょうと、補永はこちらを咎めるようにいった。

「いつだって不味いだろうよ」

 こちらもつい投げやりになって、乱暴に返答する。

「ですが、補永くん。不貞行為と殺人未遂。どちらの罪が重いかなんて自明でしょう?」

「そうですね。恭介先輩の選んだ手段は最低最悪で到底許されるべきではありません」

 意外なことに補永は私の言葉に同意した。

 このまま話を有耶無耶にしようと私が口を開きかけたところで、

「――ならば、茜先生。恭介先輩が何故、そのような手段を選んだのか考えはしましたか?」

「私は、愛川から求められた。それに答えただけだよ。年齢や立場を超えた真っ当な恋愛関係だとは考えないのかな?」

「恭介先輩が、乱暴な手段に出ている時点でその可能性は否定できますよ」

「それもそうか」

「とぼけてないで教えてください」

 一呼吸おいて、私は答えた。

「そんなの楽しいからに決まっているだろう?」

 補永の表情が強張ったのが分かった。

 それから、補永は一度浅く息を吸うと、

「貴方は自分の利益のためだけに愛川先輩を利用したんです。それは到底許されるべきではない」

 と、弾劾するような厳しい口調でいった。

 その態度に疑問を覚えた。

「ねえ、補永くん。君はどうして先ほどまでの推理を剣に伝えなかったんだい?助手役に徹するにしてもヒントくらいは出せただろうに」

「……彼女は、あれでも感受性が強いんですよ。軸となる依り代がなければ、結構脆い。この事件の真相を突き止めた場合、剣は貴方と愛川先輩のような関係性を、オレとの間にも見出す」

「私がいえる義理じゃないが、それはただの過保護だろう」

 そこまでいいかけて、はたと別の可能性に気づく。

「――違うか。剣が脆いなんてのはいい訳に過ぎない。実のところ、君は剣に見捨てられるのが不安なんだ」

 舞台中でなかったら、きっと声を出して笑っていただろう。

 同族嫌悪。

 実にシンプルな断罪の理由だ。

「それが理由なら仕方がない。誰だって客観的な己なんてまざまざと見たくないからね。対象を排除することで『自分はコイツよりマシだ』と、人々は心の平穏を得ることができる」

「違います」

 強い口調で補永は答える。それと同時に周囲から怪訝な視線を集めることになった。

 周囲からの注目が途絶えたところで、補永は続ける。

「貴方は、欠落を満たすためならば他人を使うことすら厭わない。オレと剣はお互いに、尊敬しあっている。自らの欠落を愛川先輩を支配することで満たそうとする貴方とは違う」

 私は笑っていう。

「いいや。それは君だって同じだろう、補永くん。否定する気はさらさらない。君と私は、才能を手元で操りたい、支配したいという点において思想が一致している」

 お互いに意見を譲り合うことなく、平行線の会話が続く。

「そもそも、剣が君と共にいる理由だって、本当に尊敬なのかな。剣が君のことをただ憐れんでいるという可能性だって否定できないだろう?」

「……」

 ようやく、補永は沈黙した。

「――私もね。大人になれば、劣等感なんて抱えずに生きられると思っていた」

 目を閉じる。目蓋の裏に映るは、私の後ろをついて歩く妹の姿。

 彼女は、私のことを特別だといった。私のようになりたいとも。

 いつだって他者から与えられる賞賛の言葉は、自らの価値を肯定する。

 私を褒めたたえる他者は、私よりも愚かで劣ってなければいけない。そうでなければ賞賛ではなくただの憐れみになってしまうからだ。

 どれだけ優れていても飴と鞭を使い分ければ、いともたやすく屈服する。

 五十嵐にも飽きていたところに丁度、愛川が現れた。彼は私の支配欲を満たすのに十分すぎるほどに魅力的だった。

 にもかかわらず、無能であるはずの妹が才能に意見している姿が許せなかった。

 愛川が妹に心酔していたことは分かっていた。

 だから、私は彼女に主役の座を与えなかった。彼女にはオーディションがどうこうと説明したが、立場を使えばそれくらいの操作くらいわけのない話だ。

 結果として、愛川を手中に収めるきっかけになったという点では、感謝しなければならないだろう。

「――劣等感を払拭する方法は簡単だ。自身が特別と認めた人間を支配して、手懐けてしまえばいい。君もやっていることだ」

「確かに、オレが剣の才能にほれ込んでいることは認めましょう。しかし、それはあくまで対等な存在として認めているからです」

 先ほどと同じことをいう補永。無視して話を進める。

「君は剣を十分に支配できているかどうかが分からない。故に似たような存在である私を否定することで、自分は間違っていないんだと不安から逃れようとしている」

 やるなら徹底的にですよと私は自身の胎を撫でながらいう。

「時に、補永くん。私のお腹の中にいる子の父親は誰だと思います?」

 途端に、補永の顔が青ざめた。

「――どこまで貴方は、人を縛らないと気が済まないんですか」

「冗談ですよ。もっとも、信じるも信じないも補永くん次第ですが」

 愛川曰く、人は自分の信じたい真実のみを信じる。

 仮にそうであるのならば、補永はいったいどのような真実を私に見出すのだろうか。

「それで、補永くん。わざわざ私に話をしに来たということは、何か目的があるんでしょう?」

「……ぼくにも分からなかった点が一つあるんですよ」

 ほう、と私はうなずく。ここまで理路整然と説明しておいて、なおも分からない点があるというのは正直なところ少々意外だった。

「恭介先輩の真の動機です。茜先生。恭介先輩は何故、あのような犯行を企てたんですか」

「――愛川と私を引き離すためで説明がつくだろう」

「それだけだったたら、恭介先輩は愛川先輩に忠告をすればいいだけです。しかし、恭介先輩はあなたに直接危害を加えようとした以上、豊倉茜個人に何らかの恨みがあるはずです。

 ですが、恭介先輩の計画は行き当たりばったりな部分も多かったです。その計画の甘さは、恭介先輩は最後まで――文化祭前夜まで、貴方を襲うかどうか悩んだからだと思われます。

 故に動機が生まれるとしたら、文化祭前日の夜、先生と先輩が一緒に帰った時だけだ。

 茜先生。あなたは、恭介先輩にいったい何といったんですか?」

 なんだその程度のことか。

 私は告げる。さながら明日の天気を尋ねるほどの気楽さで。

「才能のない君に興味はない」

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