二日目 ♧ーK

 昨日の晩。

「ねえ、成。何してるの?」

「随分と元気そうだな、咲。何してるのって、それはこっちのセリフだ」

 振り向いて、背後から話しかけてきた咲に詰め寄る。

「――この便箋は何だ」

「成には関係な、」

 言葉を遮るように咲の肩を抑える。

「ここまで来て関係ないなんてことがあるか。お前は仮病を使って休んで、今日一日、俺を学校に行かせて何をしていた?」

「それは」

 咲は俺から視線を逸らす。困っているときに、そっぽを向くのは咲の癖だった。

「こっちを見ろ」

 咲の両頬を掴んで無理やり目を合わせる。すると、ようやく咲は諦めたように、

「天岳先輩に明日、文化祭に来てもらえるよう頼みにいっていたんだ。今日、天岳先輩の通っている大学が開校記念日で休みだったからね。ようやく時間がとれた」と手をはらいながら答えた。

 天岳。確か剣がいっていた名だ。

「わざわざ平日に会いに行かないといけないほど、天岳って奴は忙しいのか」

「と、いうよりも話してみた感じ、愛川先輩と恭介先輩に負い目があって顔を合わせられなかったといったほうが正しかったかな」

 どうにも三人の間には複雑な事情があるようだった。

「それで、この便箋は?」

「……恭介先輩が生徒会室に忘れていった便箋のコピーだよ。内容が内容だからね。天岳先輩に何か心当たりがないか聞こうと思って。もっとも望むような答えは得られなかったけど」

 咲がこのおぞましい文書を作成していないことに安堵しつつ、俺は尋ねる。

「そういえば、剣が天岳の名を出していたが……」

「一応、便箋のことを知った段階で、剣さんならこういうのも得意かと思って、調査を頼んでたんだよ。ありがたいことに天岳先輩と愛川先輩の間に因縁がないことを突き止めてくれた」

「得意?」

「――剣さんはトラブルを解決するのが得意でね。まあ、学園もののミステリに登場する探偵みたいな人なんだよ」

「ふうん」

 世の中変わった人間もいるものだと納得することにした。なにせこちらは、弟の影武者をやっていたのだから、とやかくいう筋合いはない。

「とにかく、剣さんのおかげで天岳先輩にまつわる噂はデマであったことが確認できた。これなら話を聞きに行っても問題ないと思ってさ」

「……それが俺を今日学校に行かせた理由か」

「そうだね」

 ため息をついて、咲はベッドに腰掛けた。

「結局、どうしてお前はこんなことを?誰から頼まれてこんなことをしていたんだ」

 これが一番咲に聞きたかったことだった。俺の問いに咲は、ぽかんと首を傾げると、

「僕が勝手にやったことだよ。だれかから頼まれたわけじゃあない」

 と、なんてことのないようにいった。

「お前は演劇部でも何でもないんだろ?どうしてそこまでする」

 咲の答えに納得がいかず、声量が少し上がる。

「秘密だよ」

 咲は悪戯っぽく笑ったのち、天井を仰ぐ。そしてそのまま大の字でベッドに倒れ込んだ。まるで、これ以上話すつもりはないとでもいうような態度だ。

 一日中たくらみに付き合わされた身としては、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。ここは揺さぶりをかけるとしよう。

「……そういや、お前。結愛って子と付き合ってるのか?」

「ちょっと、待って成。なんで結愛さんの名前が出てくるの?そもそも、何でそう思ったのさ」

 勢いよく起き上がる咲。混乱しているのか目がぐるぐる回っているようにも見える。

「――いや、なんかいい感じの雰囲気になったから」

「いい感じの雰囲気って何⁉変なことしてないよね⁉」

 咲は俺の肩を掴んで揺さぶる。

 体育館倉庫での密会を思い出す。――どうだろう。ライン越えはギリギリしていないか?

「で、実際のところはどうなんだ?」

「それっていわなきゃダメ?」

「それくらい聞かせろ。割に合わん」

 咲はしばらく沈黙すると、観念したように口を開いた。

「……僕が好きなのはだいやちゃんだよ」

「それは恋愛感情的な意味でいいんだよな?」

 うなずく咲の耳は真っ赤に染まっていた。初心な奴め。

「お前、だいやのどういうところが好きなの?」

「だいやちゃんはさ。人の話を真剣に聞いてくれるんだ。かといって、イエスマンってわけでもないし、時には折れることもある。そこに、媚がないんだ。あくまでも、だいやちゃん自身が、心の底から納得したうえで、決断している。

 本人は気づいてなさそうだけど、だいやちゃんは、本当に大切にしたいものが分かっている人なんだよ。だから、迷ったとしても最終的には、自分自身で物事を決めることが出来る。そういうところが、好きなんだ」

「他には?」

「他には、身長が低いことを気にしてるところとか、ブラックコーヒー飲める人を大人だと思ってたりするところとかも可愛いと思うんだけど……」

 思わず熱く語っていたことに咲自身も気づいたのか、語調が急速に小声になっていく。

「ま、その様子じゃあ、だいやと付き合ってるわけじゃあないんだな」

「いずれするつもりだよ」

 俺がからかうと咲は唇を尖らせた。

「いずれっていつだよ」

「明日」

 確固たる口調で咲はいい切った。

「随分と急な話だな」

「別に急じゃないよ。前々から考えていたことだから」

 ここまで来たらしょうがないと、咲は観念したように語り始めた。

「ねえ成。好きな子の喜ぶ顔が見たいからって理由だけで、小説家に脚本を依頼したり、入ってもいない部活のトラブルに介入したり、兄に入れ替わりをお願いするのって馬鹿らしいかな?」

 少し考えてから俺は答える。

「別に馬鹿らしくねえよ。――お前は馬鹿かもしれないけど」

「成にいわれたくないよ」

 咲は苦笑した。

「まあ、お前のいい分は分かったが――それと岸山の件にはどんな関係がある?」

 咲がだいやのために舞台を用意したことまでは理解した。しかし、岸山にまつわるトラブルに咲が介入した理由が俺には分からなかった。

「恭介先輩はここ最近、何か悩んでいるみたいだった。演劇部が上手くいっていないことも聞いていたし、できるだけ憂いを取り除いておこうと思ったんだけど」

「――それって、おまえがどうにかしないといけないことなのか?」

「折角の文化祭なんだ。楽しめないのはよくないでしょ」

 それに僕は生徒会長だからねと、当然のことのように咲はいった。

「公私混同も甚だしい企画をしておいてどの口がいう」

「そこは、僕もいち生徒ということで」

 呆れて物もいえなかった。まったく口だけは達者なのだ。俺がにらみを利かせると、咲は申し訳なさそうに頭をかいた。

 だがしかし、これだけはいっておくべきだろう。俺は咲に向き直り、今日学校で起きた出来事を説明した。

 俺が言葉を重ねるごとに、咲の顔色が強張っていく。

「そんなことが……」

 すべてを話し終えると、咲は顎に手を当て考えこむ。

「俺からのメッセージは確認しなかったのか?」

「ちょうど充電切れちゃってて……」

 詰めが甘いのは血筋か。とはいえ、いまさら後悔しても遅い。

「そうなるとまずいね。告白がどうとかいってる場合じゃない」

 神妙な面持ちで咲は呟いた。

「だが、それだと本末転倒にならないか?何のためにお前は準備してきたんだ」

「だからって、僕が動かない理由にはならない」

 意固地な奴だ。このまま正攻法を試したところでどうにもならないだろう。

 仕方ない。ここは弟のために一肌脱いでやるとしよう。

「それよりお前は明日、告白する前にだいやとデートでもして来い。雰囲気作っておかないと失敗するぞ」

「でも、明日は天岳先輩も学校に来るし、そんなことをしている余裕は……」

「なら、俺が代わりに案内しておくから。咲も少しは楽しんでおけ。折角の文化祭なんだから。楽しめないのは良くないんだろ?」

 意趣返しとばかりにそう答えると、咲はようやく首を縦に振った。

 同意も得ることが出来たし、部屋を出ようとしたところで、咲がいった。

「成、ありが――」

「礼はいらん」

 照れくさくなり、最後まで聞く前に言葉をかぶせた。

 咲の部屋から出たところで、そういえば俺からも一つ、聞いておきたいことがあった。

 突然振り返った俺に、咲は困惑しているようだった。

「おまえ、激辛焼きそばから逃げるために、俺を影武者に仕立てたんじゃないだろうな」

 俺からの問いに答えることなく咲は戸を閉めた。

 だろうな。


「皆さんにとっての危機とは何ですか?」

 桜日高等学校現生徒会長は、閉会式のスピーチをそう切り出した。俺みたいに声が裏返ることもなく、凛とした佇まいで確かに言葉を紡ぐ。

「もちろん、人によってその答えは様々でしょう。

 わたしはこの文化祭でいくつもの危機に直面しました。詳しい内容は伏せますが、多くの人の手助けがなければ、どれも解決することのできない事態でした。

 文化祭の成功は一人の手で成し遂げられるものではありません。協力してくださった、

 クラスメイトや先生方に感謝するとともに、これからの学校生活でも、共に支えあっていければと思います」

 そういって、咲はスピーチを締めくくった。

 その様子を、俺は体育館の後ろから見守っていた。

「お疲れ様です。成くん」

 声をかけてきたのは結愛だった。

「いいのか。部長がこんなところにいて」

「最後くらい、私も気を抜きたいんですよ。色々あったあとですし」

 結愛はそういうと、ふうとためいきをついて俺の隣に座った。

「本当に似てますね」

 結愛は改めて俺の顔をまじまじと見ながらいった。

 舞台終了後、咲はこれまで協力してくれた礼を結愛に伝えにいった。その際、何故か俺も付き合わされることになったのだ。

 俺たちを見比べて、唖然とする演劇部員や生徒会の面々の表情は中々に愉快だった。

 俺も演劇部員に舞台の感想を伝えていると、そろそろ閉会式が始まる時刻になった。そのまま、体育館へと向かおうとしたところで、

「すみません。四葉く――いえ、咲くん。少しお話が」

 結愛が咲を引き止めていた。

「――成。先に行ってて」

 結愛の表情を見やる。その表情はうっすらと悲壮に満ちつつも、眼差しだけは決意に満ちていた。

 その姿が現在と重なった。

 結愛は体育館の壁に背を預ける。

 檀上の校長の言葉を聞き流しつつ、咳ばらいをしてから俺はいった。

「……弟に付き合わせて悪かったな」

 結愛は目を見開くと、少し困ったように、

「まあ、最初から分かってたことではあるんですけどね」

「え、そうなのか?」

 そうなんですと、結愛は説明をはじめる。

「私もどうして部活の手伝いをしてくれるのか、咲くんに聞いたんですよ。そしたら咲くん『好きな人に喜んでもらいたい』なんて真剣な顔でいうんです。私に勝ち目がないことくらい分かりますよ。

 それにだいやもだいやですよ。あんなに想われてるのに『わたしには駄目です』とかいって。ちょっとムカついたりしません?」

 結愛は苦々しい口調でいった。そこで同意を求められても、女心はよくわからない。

「敵の恋を応援するなんて俺には分からん話だ」

「だいやちゃんは敵じゃなくて友達ですよ」

 それにと結愛は続ける。

「私が好きだったのは、『石波だいや』のことが好きな『四葉咲』くんなんですよ」

 そう語る結愛の口調はどこか楽しそうだ。

「どうしようもないほどのお人好しだからこそ、私は二人のことが好きなんです」

 それは俺も大いに納得できる意見だった。

「それに成くんも、女の子にそういうことを聞くのはルール違反ですよ」

 結愛はどこか悪戯めいた微笑みを浮かべる。

 そしてそのまま結愛は俺ににじり寄ると、

「折角ですし連絡先交換しましょうよ。これも何かの縁です」

 そういってスマホを取り出す。同じく俺もスマホを取り出して画面にQRコードを表示させる。

「申請送ったので確認してください」

 そういわれ表示された名前に困惑する。

「どうしました?」

「……いや、何でも」

 どうにも俺は変な勘違いをしていたらしい。

 追加されたばかりの彼女の名は逸見結愛と表示されていた。


【桜紅葉祭二日目(一般開放日)終了】

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