二日目 ♡ーK

「お疲れ」

 高校生活、最後の舞台を終えたばかりの岸山は、気さくな口調でそういった。

 待ち合わせ場所は、昨日と同じ連絡廊下。屋上にでも呼び出せれば格好がつくのだが、残念ながら桜日高等学校の屋上は封鎖されている。

 遠くを眺めれば西に沈む日が街を茜色に彩っている。

 祭り騒ぎはもうおしまいだ。

「それで、愛川。話ってなんだ」

「全部聞いた」

 その一言で、岸山は全てを理解したらしい。

「へえ。誰から」

「――二年の剣里音から」

「あの子面白いよな」

 岸山は、崖際に追いつめられた犯人のように両手を上げる。降参のポーズだ。

「それで、何が聞きたい?」


 舞台が開演する数十分前に、剣から伝えられた言葉を脳内で反芻する。

「岸山恭介自身です。――着ぐるみを被ったXは彼だったんですよ」

「どういうことだ、剣さん」

 口ではそういいつつも、心の底では既に納得しかけている自分がいた。放送室に入ることができる人間がいないのならば、最初から放送室にいた人間が犯人である。実に単純な消去法だ。

「この文化祭で起きた一連の事件の犯人。着ぐるみ盗難事件だけでない。脅迫状の主も、放送室で襲われた事件も、舞台に着ぐるみの頭部を落としたのも――全て岸山恭介によって行われた」

 要はほとんどが狂言だったわけですと剣はいった。

 犯人は分かった。なら、次に気になるのは当然――。

「だったら、岸山はどうしてそんなことをしたのか、ですよね」

 剣はこちらの心を読んだかのようにいった。

「そうだ。岸山はどうして襲われたふりなんかしたんだ?それに事件が狂言ならば、着ぐるみを舞台に投げるなんて、真似をした?」

「そう慌てないでください。順番に説明しますから」

 剣は僕をなだめるようにいった。

「まず、岸山が襲われたふりをした理由ですが、彼には『着ぐるみが舞台に落ちても何らおかしくない理由が欲しかった』というのが答えでしょう」

「自理由?剣さん。まるで君は、着ぐるみを舞台に落とすことが岸山の目的だとでも――」

「その通りですよ。愛川先輩」

 剣は、出来の悪い生徒がようやく答えを導き出せたといわんばかりに静かな微笑を浮べると、いった。





「剣。恭介先輩が、舞台を破壊するために事件を起こしたことは分かった。だけど、舞台を破壊した理由はなんなの?」

 僕の疑問を代弁するように補永がいった。

 剣は壁に備えられた時計を見ると、

「時間も押してるし、端的にいおう。演劇部の人間関係の修復。岸山が舞台を破壊した理由はこれに尽きる」

「……その理由は、正反対なように見えるけれど」

 剣は僕に向き直っていった。

「文化祭前日にトラブルが起き、それを仲間たちの手で解決する。実によくある話ですが――よくある話が故に効果的だ。愛川先輩も覚えがあるでしょう?」

 人は成功体験に縋ってしまうものですしねと剣はいった。

 成功体験。

 それは、昨年の舞台のことを指しているのだろう。

『――まあ昨年だって何とかなったんだから、今年も何とかなるだろ』

 まさに僕が河本にいったとおりだった。

「噂によれば、岸山はトラブルシューティングを用意していたらしいじゃないですか。それも変な話です。まるでトラブルが起きると最初から分かっていたみたいだ」

「だけど、昨年は色々あったからトラブルシューティングを用意していたっておかしくはないだろう」

「昨年のトラブルは、愛川先輩。貴方が負傷したことだけです。セットは破損していないはずだ。

 にもかかわらず、何故セットが破損した際の対策まで用意されていたんですか?」

「それは」

 剣のいうとおりだった。

「もっとも岸山からしても、衣装の破損は予想外だったんでしょうけれど」

「あれは逸見が豊倉を庇ったことで起きたからな」

 そういった瞬間、何か違和感めいたものが頭の奥に引っかかる。

 それを具体的な形として認識しようとしたところで、

「じゃあ、剣。岸山先輩に出された脅迫状は何だったんだ」

 と、補永が剣に尋ねた。そうだ、それを聞き忘れていた。

「自分を犯人候補から除外するために、岸山が自作自演したんだろ。犯人が自分のことを脅迫するなんて意味がないからな」

 以上が、オレの考える事件の真相だ。

 長い語りを終え、剣は締めくくるようにそういった。


 話を分かりやすくするために、剣から聞いた推理を説明すると、

「……参ったな。そこまでわかるもんなのかよ」

 と岸山は頭をかいた。そこに悔しさや怒りといった感情は含まれていなかった。

「――剣の推理はだいたいあってる。それ以外に気になることがあったのか?」

「……ああ」

 本題へと入る前に聞いておきたいことがあった。

「なんでお前は、事件前に僕を呼んだ」

 岸山は小さく息を吐くと、そのまましゃがみ込んだ。

「アリバイ作りかな。何かあっても愛川なら、俺のことをかばってくれると思っていたし」

 その“何か”が、この一連の事件だった、ということなのだろう。

「昨日、事件を起こしたばかりのお前は青ざめていたし、尋常じゃないほど汗をかいていた。あれはどうやった?演技でどうにかなるものじゃないだろ」

「なんだよ。そこは誰も気付かなかったのか?」

 岸山はおかしそうにケラケラと笑う。

「――激辛焼きそばだよ。生徒会の後輩から貰ったんだ」

「焼きそばなんて、食べたら容器が残るんじゃ」

「焼きそばパンにして食った。昨日は購買もやってたしな。――どんな虚構も真実を交えれば本物っぽく見える。そうだろ、愛川?」

 そういわれてしまっては返す言葉がなかった。

 改めて僕は、しゃがみ込んだ岸山を見やる。

「……もし、計画が上手くいかなかったらどうするつもりだったんだ」

 剣から真相を聞いた時から、何か代案があったのだろうかと気になっていたことだった。

 しかし、帰ってきた答えは望みとは大きく異なっていた。

「別に、中止になっても構わなかった」

「中止って……。逸見や四葉くんが舞台の成功に向かって奔走していたのに、そういうことをいうのは、」

「たかが文化祭の舞台に期待する奴なんかいない。そうだろ愛川?」

 岸山は、僕の言葉を遮った。

「剣さんの推理で唯一、間違ってた点があるとしたらそこだよ。俺にとって大切なのはいまの演劇部じゃない。愛川と天岳さんがいた去年までの演劇部だ」

「だから、どうなっても良かったといいたいのか」

「そういうことになる」

 悪びれる様子もなく岸山はいった。

「――要は許せなかったんだよ。お前らがいなくなる原因を作っておいて、さも善人面しているのがな」

 吐き捨てるようにいった岸山を見て、ふと天岳先輩がこいつのことを潔癖と表していたことを思い出した。

「じゃあ、お前は僕のためにこんな事件を引き起こしたとでもいうのか?」

「なわけねえだろ。俺がやったのはただの自己満だ」

 そういって岸山は立ち上がった。

 幾度か制服をはたいた後、岸山はさもいま思い出したかのように尋ねた。

「愛川、去年のリハーサル前にお前を突き落としたのは、いったい誰だったんだ?」

 一瞬の間。どう答えるか、迷っている間に反射的に言葉が口を割って出た。

「何度もいっただろ。あれは事故だったんだ。犯人はいない。しいていうのならば、僕が犯人だ。――僕が僕自身の意志で飛び降りたんだ」

「……そうか」

 犯人はいない。

 奇しくもそれは、今年の事件と同じ真相だった。

「悪いことしたな」

 岸山は手を頭の後ろで組むと僕に背を向けた。そして、そのまま何事もなかったかのように、連絡廊下を去ろうとする。

 その後ろ姿に、思わず言葉が出た。

「岸山は、」

 自らのうちに渦巻くあらゆる感情を必死に抑えて、僕はいう。

「大学行っても、演劇、続けるのか」

 振り向いた岸山の表情は、いつもと同じ、シニカルで、しかし、ほんの少しの憐憫を込めた、本心を隠した笑顔だった。

「続けない」

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