二日目 ♤ーQ
「さて」
これまでのぶっきらぼうで粗野な口調とは異なり、剣は努めて冷静な声音でいう。
剣はとうに着替え終えて、いつも通りのブレザー姿になっていた。盾屋さんは剣の衣装を舞台に使うといって、持っていったそうだ。ぼくの知らないところで色々なトラブルが起きているらしい。
それはさておき。
「――岸山を襲った犯人が分かったと」
ぼくたちと向かい合うように座る愛川先輩がいった。
「ところで、岸山は呼ばなくてよかったのか?」
恭介先輩の不在を、愛川先輩は訝しんでいるようだった。
「ええ。それに恭介先輩も舞台の方で忙しいでしょう。あんまり邪魔するのも申し訳ないと思いまして」
「まあ、僕は暇人だからね」
剣の言葉に、愛川先輩が冗談めかして答えた。
「まあ、いきなり犯人を指摘したところで先輩が納得するとは思えません。まず事件の流れを順に整理しましょう」
「僕はそこまで頭の固い人間じゃあないつもりなんだけど」
愛川先輩は苦笑する。
「早速ですが、とりあえず昨日の出来事を順番に考えていきましょう。とりあえずここは着ぐるみを被った人物のことをXとしましょうか。
まず、Xはウサギの着ぐるみを被って、放送室に入った。
岸山先輩が気付いた時には、既に放送室の中に犯人がいたという」
「そのとおりだ」
「この時点で、既に一人容疑者を除外することができる」
剣の言葉に、愛川先輩は驚いたように目を見開く。
「愛川先輩は、体育館放送室に入ったことがありますよね」
「ああ。当然だ」
「なら確認ですけど、愛川先輩は放送室にどうやって入りますか?」
「入るってそれは、ドアノブをひねって扉を押して入るけれど……」
「肝心なのはその後です。時に愛川先輩。身長はおいくつで?」
「一八〇センチだが」
「ちなみにオレは一七〇センチです」
愛川先輩は話が脱線に向かっていると思ったのか、眉をひそめながら答えた。
「それだけ身長が高いと、教室に入るとき、頭を下げて入りませんか?」
「それはそうだが」愛川先輩は言葉を区切ってから、剣の質問の意図に気づいたようだった。
「なるほど、着ぐるみを被って放送室に入ると、ウサギの耳がドアに突っかかるといいたいわけだね」
「でも、剣。着ぐるみを着た状態で無理やり入ったという可能性は?それに、恭介先輩に気づかれないように放送室に入ってから、着ぐるみを被るというのは可能性も考えられるんじゃないの?」
ぼくの質問に剣はうなずく。
「たしかに無理やり入れないこともない。だが、岸山は『気づいた時には教室の中にウサギがいた』といっていたんだろ?
放送室に入るのに手間取っていたら、いくらなんでも岸山だって気づくはずだ。それに、覆面の役割を果たす着ぐるみを被らずに教室に入るのは、Xにとってもリスキーすぎる」
そうぼくに説明してから、剣は改めて愛川先輩に向き直る。
「話を戻しますが、先ほどオレたちも体育館放送室に訪れて事件のシミュレーションを行いました。実際にオレも着ぐるみを被って、体育館放送室へと入りました。その時、オレもドアに引っかかった。
ともなれば当然、オレよりも身長が高い松林先輩がウサギの着ぐるみを着たまま教室に入ることはできない。この時点で、松林慎之介は犯人から除外される」
「……こういうのも何だけど、僕は松林が一番怪しいと思っていたよ」
「残るは、名波と河本の二人ですが、ここは話を先に進めます」
剣は愛川先輩の言葉を無視して、説明を続ける。
「Xの様子に嫌な予感を感じた岸山は、警戒しながら近づいた。けれど、Xは突然、岸山に掴みかかり取っ組み合いとなった。
その結果、Xは着ぐるみを脱いで、そのまま投げつけた――んでしたっけ?この時点で名波きらりも犯人から除外される」
これを見てくださいといって、剣は床に置いてあった着ぐるみの頭部を机の上に乗せた。
そして剣は、着ぐるみの内側部分を愛川先輩に向けた。
「見てのとおり、着ぐるみの中には、ずれを防止するためにヘルメットが備え付けられています。これがかなり小さいんですよ。ヘルメットを外すと、髪は確実に乱れます」
「――そして、これは先ほど先輩から貰った情報にあった名波さんの写真です」
そういって、ぼくは名波さんがSNSに投稿した画像を愛川先輩に見せる。
お団子ヘアを作って、友達と抱き合う名波さんの写真だった。
「見てのとおり、名波の髪は乱れていない。写真が投稿されたのは午後三時三十五分――事件を起こしてから五分以内に髪をセットして教室へと向かい、友人と写真を撮ったなんてのは不可能でしょう。よって名波も犯人候補から除外される」
じゃあと、愛川先輩は息を飲む。
「犯人は河本なのか?」
「違います」
再度、剣は愛川先輩の言葉を否定する。
「それはいったい、どういう」
「先輩の疑問はもっともですが、まずはこれを確認していただこうかと」
そういって、剣が指差したのは、着ぐるみの内側、ウレタン部分についた四つ分の楕円形の茶色い汚れだった。
「――この汚れは、指紋かな?」
剣がうなずく。
「先輩もこういった汚れを、文化祭中に見たことがあるのでは?」
剣の問いに、愛川先輩は少し考えこんでから、答えた。
「家庭科部が販売していた生チョコレートか」
「そうです。正確にいうのであれば、生チョコレートについたココアパウダーの汚れですね。あのチョコはかなりパウダーがふりかけられていましたから、食べると否応なしに指が汚れる」
ですが、と剣は言葉を続ける。
「怪我をした指でそのままチョコレートを食べるとは思えません。それに四本分の指の汚れが付いている時点で、指に絆創膏をつけてからチョコレートを食べたという可能性は否定できます」
「だけど、汚れが付いたのは着ぐるみが盗まれる前だったという可能性は――」
「チョコレートが作られたのは文化祭前日の放課後です。その時点で、既に着ぐるみは盗まれています。どう考えてもそれはありえない」
取り付く島もないとばかりに、剣は愛川先輩の言葉を否定する。
「よって、指にけがをしていた河本も犯人候補から除外できます」
剣は休憩するように小さく息を吐いた。
一瞬の沈黙を経て、愛川先輩が口を開いた。
「ならば、犯行を行える人間は誰もいない、ということになりはしないか」
愛川先輩の問いに、剣はニヒルに笑う。
「いえ。一人いるじゃないですか」
「剣さん。まさか、僕を疑っているんじゃないだろうな」
耐えきれず、愛川先輩は剣に不満をこぼす。
「いいえ、そもそも愛川先輩は着ぐるみの頭がステージに落ちるのをその目で見ているでしょう?その状況は、放送部の動画にも残されている時点で、先輩のアリバイは当然証明されている」
「じゃあ、いったい誰が犯人だというんだ」
口を歪める愛川先輩を前にしても、剣は余裕そうな態度を崩すことはない。
彼女が導き出した答えに、ぼくはただ耳を傾けるだけだ。
「岸山恭介自身です。――着ぐるみを被ったXは彼だったんですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます