二日目 ♢ーJ
「……これは」
中々に酷い。
そんな言葉が喉元まで出かかりました。
あくあちゃんに連れられて、部室へと訪れたわたしを待っていたのは、昨日の事故で破損してしまった青いドレススカート。
本日行われる、演劇部の舞台で使用されるはずだったものです。
改めて衣装を見ますと、スカートの裾が腰にまでかけてすっかり破れてしまっています。
縫ったところで応急処置にしかなりません。正直人前で着れたものではなくなってしまっています。
「石波せんぱい、これ何とかなりそうですかね……」
そうわたしに尋ねるのは、後輩の漆原さんです。
「この衣装を直すのはわたしも流石に……。」
「だいやが駄目じゃあ、お手上げって感じだね」
盾屋さんはやれやれと首を振ります。
業者さんから代わりの衣装を借りることができないと知った漆原さんは、最初、衣装の直しを盾屋さんに頼んだそうです。
「直すのはあんまし得意じゃなくてさ。だいやならできるかと思ったんだけど……」
続いて白羽の矢が立ったのがわたしということでした。
「石波せんぱいでも駄目ですか……」
「ごめん、漆原さん。瑠璃先輩がいたらどうにかなったかもしれないけれど」
がっくりと肩を落とす漆原さんの背を撫でます。
実際のところ、瑠璃先輩がいたら問題はたちどころに解決したことでしょう。ただ、その瑠璃先輩は本日推薦入試のため、学校にいないのでした。
つまるところ、この場にいるメンバーではどうにもならない状況というわけです。
「本当に、何とかなりませんか……?」
いつもの活発な漆原さんの様子とは異なり、唇を強くかみしめる彼女の表情は、悲しみに沈んでいました。
「ところで、漆原さんはどうして、そこまで衣装にこだわるの?」
盾屋さんによると、衣装を修復できないかといいだしたのは漆原さんだそうです。
しかし、わたしには漆原さんがここまで必死になる理由が、まだ分かっていないのでした。
「……今回の舞台を企画したの、実は四葉せんぱいなんですよ」
「そうらしいね。わたしも咲くんからさっき聞いたよ」
「四葉せんぱい、企画の段階からいろいろな方面に動いていて。作家さんのところにお願いしたりだとか、演劇部の方に積極的に顔を出したりして、舞台を成功させるために一生懸命だったんですよ。まるで、この舞台を誰かへのプレゼントにするみたいに」
漆原さんの言葉に、あくあちゃんがそういうことか、と呟きをこぼします。どういうことなのでしょうか。
だから、と漆原さんは口調を強めていいます。
「四葉せんぱいの努力を無駄にしたくないんです。頑張ったことが、努力したことが、身勝手な誰かのせいで成し遂げられないって、悔しいじゃないですか、嫌じゃないですか。――あたしは、舞台を壊した犯人のことを絶対に許せません」
「……漆原さんは優しいんだね」
思わずそう答えたくなってしまうほどに、彼女の言葉からは強い意志を感じました。
漆原さんの言葉にはとても共感できます。いまのわたしも漆原さんと同じ気持ちですから。
とはいえ。
何か力になりたいと思う気持ちはやまやまなのですが、これといった解決策が思いつかないのも事実です。わたしと盾屋さん、そして漆原さんの三人でうーんと頭を抱えていると、
「だいやちゃん。ちょいちょい」
先ほどから沈黙を貫いていたあくあちゃんが、ここで唐突にわたしを呼びました。
何か良い案でも思い浮かんだのかと考え、あくあちゃんに近づきます。
「だいやちゃんよ。これはチャンスじゃないかね」
「チャンス?」なぜかおどけた口調で話すあくあちゃんにオウム返ししてしまいます。
「ここは、四葉くんに良いところを見せるチャンスじゃないかといっているのだよ」
「うん――って、は、え?」
本当に突然、何をいいだすんですか‼
「さっきの様子見れば流石に分かるって。二人とも顔真っ赤だったじゃん」
くすくすと声を潜めて笑うあくあちゃん。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか」
「そんなことあるからいってるんだよ。ま、だいやちゃんがそういうならそういうことにしておきますか」
あくあちゃんは、なんていうか初心だねえとからかいます。
「……で、良いところを見せるチャンスってどういうことですか」
「そこはあっさりと食いつくんだ。ま、いいけど。――あたしが思ったのは、この衣装を直すことで誰が一番喜ぶかって話ですよ」
「それは、当然、演劇部の人たちなんじゃないんですか?」
特に結愛ちゃんだと思うのですが。
「いいや、違うね。あたしの考えによれば、衣装を直すことで一番喜ぶ人間は、四葉くんだよ」
「……ん?意味がよくわからないんですけど」
わたしの疑問を気にも留めず、だいやちゃんはいいます。
「恩を売るっていい方はあんまし良くないか――。つまりだね、この衣装を直せば、四葉くんがだいやちゃんに惚れるって可能性が十二分にあるわけだ。ま、やってみれば分かるよ」
どうだとあくあちゃんは胸を張ります。
「仮にそうだとしても、衣装を直すいい方法も思いついたんですか」
「そこを何とかするのがだいやちゃんの役目でしょ。あたしのアイディアで上手くいっても仕方ないし」
「そこはわたし任せなんですね」
とはいえ、あくあちゃんのいうことは、もっともでした。
「せめて自分が後悔しない選択をしなよ。だいやちゃん」
椅子に腰かけて、改めて考えます。
本当に何もできないのでしょうか。
どこかに打開策があるはずです。
きっと、どこかに。絶対、どこかに。
文化祭の思い出が走馬灯のようによみがえります。
部長会のこと、あくあちゃんと文化祭を回ったこと、瑠璃先輩と愛川先輩に相談したこと、結愛ちゃんと話し合ったこと、放課後まで片づけを手伝ったこと、里音ちゃんと話したこと、咲くんとデートしたこと――。
その記憶がモンタージュのように重なり合います。
ふと。
バチリとピースがはまる感覚がありました。
着想を何度も頭の中で反芻します。
もしかして。
この方法ならいけるのでは?
「盾屋さん」
考え込むようにして、口元を抑えている盾屋さんに呼びかけます。
「どした?だいや」
「今日、里音ちゃんが着ていた衣装って盾屋さんの物ですか?」
「エプロンドレスだよね?そうだよ」
「あれをお借りすることは出来ませんか?」
その質問で、盾屋さんはわたしの言葉の意味に気づいたのか、
「あぁ。なるほど」とうなずきます。
「面白いこと考えるじゃん。だいや」
「え、石波せんぱい。何か方法が思いついたんですか」
漆原さんが目ざとく反応します。
「ええまあ」
「本当ですか!教えてください‼」
漆原さんはわたしの肩を掴んで揺さぶります。
「……衣装がなければ作ればいいんですよ」
わたしを激しく揺さぶっていた、漆原さんの動きが止まりました。
「ですが、石波せんぱい。流石にいまからそれは厳しいんじゃ」
時計はまもなく一時を指し示そうとしています。
舞台の開演まではあと二時間。漆原さんが困惑するのも無理ないでしょう。
だから、わたしはこう付け加えました。
「学校にある衣装を集めて、アリスの衣装を完成させるんです」
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