二日目 ♡ー10
豊倉を待つ間、先ほど、部員から得た情報は要約して補永へと送っておいた。
その作業を終えてからほどなくして、豊倉が現れた。
「君の方から話があるだなんて珍しいですね。愛川くん」
「忙しい中、来てもらって悪い」
本当ですよ、と豊倉は低い声で答えた。衣装の件だってどうすればいいか決まっていないのにと付け加えつつ。
豊倉とこうやって顔を合わせるのは実に昨日ぶりだった。待ち合わせ場所には、人気の少ない北校舎の特別講義室を選んだ。
「……それで、首尾は順調ですか?」
「それは、どちらの」
「当然、脅迫状の方ですよ」
「いまは、岸山の事で手いっぱいで」
豊倉は髪の先端を弄りながらそうですかと答える。
「では、岸山くんの件について解決の目途は立ちそうなんですか?」
「……そっちもまだだ。一応、僕以外にも調べてくれている人はいるんだが」
まあ、どちらでも構いませんがと豊倉は肩をすくめた。
「……岸山の件に興味はないのか?」
「ないわけではありませんよ?私はそれよりも脅迫状の方に興味があるだけです。私としては、そちらの調査の方に集中して欲しいところだったんですが」
豊倉の言葉には棘があった。僕が黙ったまま何もいわずにいると、豊倉はそれを何かの合図だと勘違いしたのか、互いの肩が触れる位置にまで急接近する。
豊倉の吐息が耳にかかる。そのまま白く細長い指が僕の目尻に触れた。指は徐々に下へと降りていき、頬、顎、喉仏をくすぐるようになぞる。
その手を僕は掴む。
「今日は、そういうことをしに来たわけじゃあない」
「それは残念です。欲求不満だったのに」
くすくすと嗤う豊倉。それから、ふうとため息をつくと、
「仕方ないですね。愛川くんの話を聞いてあげましょう」
豊倉は路傍の石に向けるような冷たい双眸で僕を見据える。子供の遊びに付き合ってやろうといわんばかりの態度だ。
「豊倉は、昨日事件が起きる前に、松林がどこにいたか知らないか?」
「リハーサルが始まる前でしたら、体育館放送室を片付けるように岸山くんが頼んでいる姿を見ましたが。その後どうしたかまでは知りません」
「放送室?」
「別に変わったことはしてないと思いますけどね。本当にただ片づけをしてごみを捨てただけだと思いますけど」
「それなら、どうして、松林はそのあと部活に姿を見せなかったんだろうな」
豊倉は何も答えず沈黙を保ったままだった。その表情から彼女が何を考えているか読み取ることができない。
「豊倉なら知ってると思ったんだが」
彼女の立場ならそれくらい把握しているものだと思っていただけに、この反応は少々期待外れだった。
「松林くんが何をしていようと彼の勝手です。必要がない時にわざわざ関わることはしませんよ」
豊倉は手持ち無沙汰とばかりに自身の左手の薬指を弄ぶ。爪には人工的な透明感があることから、何かしらのネイルを塗っていることが分かった。
「わざわざ関わることはしない、か」
「何か私が変なことをいいましたか?」
「だったら、何故松林に無能などといった?」
僕の問いに豊倉の手が止まった。
「いってませんよ。そんなこと」
「――必要があればお前はいうだろ」
「私のいうことを信じてはくれないんですね」
やれやれと降参するように豊倉は両手を挙げた。
「――松林くんは口ばかりですからね。端的にいえば軸がない。上っ面だけ真似たところで、意味がありません。もっとも、彼自身本当はそのことを自覚しているでしょうけれど」 ようやく豊倉は自身の考えを口にした。辛辣な言葉ではあるが、彼女の評価は的を射ていた。
しかし、次に続けた言葉は僕の想像を超えていた。
「その辺、松林くんも天岳さんと同じですよね」
豊倉は吐き捨てるようにいった。
「どういうことだ」
豊倉は余計な口を滑らせたとばかりに口元を抑える。露骨な表現に苛立ちが募る。
「……言葉のとおりですよ。天岳さんも松林くんも、自らの能力の低さを棚に上げて、知ったような口ばかりきく。私としてはそういった人間を許すことができません」
「だからって、個人を貶める必要はないはずだ」
「そうでしょうか?いつだって無能な人間は、自らの劣等感を認めたくないばかりに成功者をあげつらう。そういった人間にはお灸をすえて、身の程を弁えさせるべきです」
「じゃあ、お前は天岳先輩も無能だといいたいのか」
衝動的に豊倉の胸ぐらをつかむ。彼女はひるむことなく、僕を見つめ返す。
それから数秒間、お互いに睨みあう。
先に動いたのは豊倉だった。
耳元で破裂音が鳴った。豊倉が僕の頬を叩いたのだ。
「愛川くんなら理解してくれると思ったんですけれどね」
「共感はできない。ただそれだけだ」
僕が胸倉から手を離すと、豊倉は襟を正して、ふっと微笑んだ。それは先ほどまでの冷徹な表情とは異なる、寂しげなものだった。
そして、そのまま豊倉は僕の顔を見ることなく特別講義室を後にした。
一人残された講義室で僕は机に腰掛ける。
いまだに痛みが引かない頬を撫でていると、背後で戸が開く音がした。
「……まだ何かいい足りないのか?」
豊倉かと思い振り返ってみると、そこにいたのは、心底呆れた表情を浮かべている岸山だった。
「……何だ。岸山か」
「もう少し反応してくれよ」
岸山はそのまま僕の隣に座った。
「お前、僕と豊倉の関係のこと知っていたのか」
「ったく。お前もよくやるよ」
その言葉は肯定と同じだった。
「いつから見てた」
「最初は放っておこうと思ってたんだがな。ころ合いを見計らって乱入しようと思ったら、修羅場っててビビったぜ」
「悪趣味だな」
「悪趣味なのはお前の方だろ。何でよりにもよって豊倉なんだよ」
それは、と言葉に詰まる僕を気に留めることなく、岸山はいった。
「大方、豊倉と天岳先輩が似ているから付き合ってるんだろ」
「実際、そんなに似てないだろう。あの二人は」
僕の反論を、岸山は手をひらひらと振って封じる。
「愛川。ああいう手合いとは関わらない方がいい。碌な目にあわない」
「それは岸山が決めることじゃないだろ」
冗談気味にいい返したその時だった。
「――いい加減にしてくれ、愛川。あんな奴と付き合うことが、部活辞めてまでやるようなことなのか?」
怒気をはらんだ岸山の声に、臓腑が冷えわたるような感覚に襲われる。
「さっきの豊倉の言葉を聞いてお前も分かっただろ。お前と豊倉は根本的に相容れねえよ」
岸山は冷静を装って話すものの、言葉のトーンからは怒りが隠しきれていない。
「愛川。お前がやっているのはただの逃避だ。選択することから逃げているだけだ」
それは奇しくも、昨日僕が窓野にいった言葉と同じだった。
思えば豊倉と関係を築いた時から分かっていたことなのだ。いまの僕がしているのは選択ではなく逃避だということは。
心地よいぬるま湯につかっていたら、いつの間にか出れなくなっていた。ただそれだけの話なのだと。
「で、俺はそんなお前にいい話を持ってきてやった」
うって変わって岸山はお茶らけた口調でいった。
「随分と押しつけがましいな」
「会えば、お前も俺に感謝するはずさ」
いや、俺というよりあいつにかなと、よくわからないことを呟く岸山。
その様子に僕は困惑していると、ついてこいとばかりに岸山は顎をしゃくった。
特別講義室を後にして、僕はしぶしぶ岸山の後ろをついて歩く。到着したのは生徒会室だった。
待たせた、と岸山は生徒会室の戸を開く。
中にいたのは桜日高等学校のブレザーをまとった男子生徒。
そして、白色のトップスにタイトスカートとフェミニンな装いを身にまとった女性だった。
「俺も驚いたよ」
岸山の声に気がついたのか、女性がこちらを向く。いましがたまで彼女が会話をしていた相手は確か生徒会長の四葉だっただろうか。
「久しぶりだね。愛川」
彼女が僕の名を呼ぶ。
落ち着きながらもどこか優美なその口調は。
紛れもなく。
忘れもしない。
天岳先輩のものだった。
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