二日目 ♢ー10

 どうしてこんなことになったのでしょう。まったくもって急展開です。

「次はどこに行く?」

 咲くんがわたしに笑いかけます。

「だいやちゃん?」

「えっと……じゃ、じゃあ、一階の方へ」

 ぼうっとしている姿を見られたのが恥ずかしくて、慌てて言葉を返します。

 そんなわたしの様子がおかしかったのか、咲くんはくすりと笑みをこぼしました。

 その表情を見ると、恥ずかしさと謎の高揚感に胸の内がぐじゃぐじゃにかき回されます。

「わ、笑わないでくださいよ!」

「ごめんごめん」

 ふと気づけば、わたしの歩くペースに合わせて、咲くんの手が伸びてきています。

 どうしようか迷っているうちに、彼が私の手を握りました。

 指先から伝わる熱が、顔にまで登ってきます。

 思わず咲くんの横顔をうかがいますが、彼の表情が変化したようには見えません。

 緊張しているのはわたしだけです。

 これが高校二年生の恋愛ですか、自分ちょろすぎじゃないですかと自問自答したくなりますが、仕方ありません。嬉しいものは嬉しいのです。

 咲くんに右手を引かれながら、改めて彼の横顔をまじまじと見つめます。

 本当どうしてこんなことになったんでしたっけ?


 里音ちゃんと別れた後、教室に戻ったわたしを出迎えたのはあくあちゃんでした。

「あ、来た来た」

 あくあちゃんは、教室の隅でクレープを口にしながら、こっちこっちと手招きします。あくあちゃんの隣にはもう一人女子生徒がいました。

「あれ、名波さん珍しいね」

 名波さん――名波きらりさんが、あくあちゃんと一緒にいる光景というのは中々珍しい光景でした。

 名前こそ派手な名波さんではありますけれど、性格は生真面目な方で、小学校の頃から、無遅刻無欠席だと聞いたことがあります。

 とはいえ、さしもの名波さんも今日は文化祭とこともあってか、髪型をお団子にアレンジしています。可愛いです。

「突然、申し訳ないんだけど石波さん。少し頼みたいことがあって」

 お願い、と名波さんは手を合わせて頭を下げます。

「これから委員会の方で、校内に落とし物がないか見回らないといけなかったんですが、部活の方に出ないといけなくなっちゃって。誰かに代打を頼みたいんですが――」

「最初はあたしに話があったんだけどさ。あたし、いまからクラスのシフトに入っちゃってて。だいやは今日暇って聞いてたから、代わりに出れないかなと思って」

「別に構いませんよ。たしかに予定はありませんし」

 わたしが代打を引き受けると、名波さんはほっとしたように肩を落とします。

 一応、結愛ちゃんのことは気がかりではありますが、わたしが直接どうこうできる問題ではないのも確かです。

「ところで見回りってどんなことすればいいんですか」

「同じ学年の人が一緒に回ることになってて。学校を一周したあと、落とし物があったら生徒会室に届けてくれれば大丈夫」

 一緒に行動する生徒がいるんですか。知っている人だといいんですけれど。

「あ、噂をすればなんとやら」

 どうやら一緒に見回りをする生徒がわざわざ教室にまで来てくれたそうです。

 振り向いてみると、教室の入り口にはブレザー姿の咲くんが立っていました。

 その姿に、わたしの思考がストップします。

「あの、咲くんどうしてこちらに?」

 わたしの問いに咲くんは、

「えっと、僕が見回りの係なんだけど」

 とはにかみました。


 階段を下りて南校舎の一階に到着すると、まず目に入ったのは廊下の端にまで伸びる行列でした。

「何かすごい列できてますよ」

 本当だねと咲くんがうなずきます。少し背伸びして確認してみると、列は家庭科部の教室に伸びているようです。

 最後尾の生徒に、何がこの長蛇の列を作っているのか尋ねると、家庭科部の手作り生チョコレートとの返答がありました。

 生チョコレート。昨日の部長会で北見さんが宣伝していた商品です。

 買おう買おうとは思っていたのですが、昨日はタイミングがなかったんですよね。

 ついつい並びたくなってしまいますが、いまは見回りの最中。

 泣く泣く我慢しようと決心したところで、

「並ぼっか」と、咲くんが列の最後尾につきました。

「え、いいんですか?見回りの最中ですけれど……」

「別にそれくらいは良いんじゃないかな。仕事はしているわけだし」

 そういって、咲くんがブレザーのポケットを叩きます。ポケットの中には、これまでの見回りの最中に拾った、スマホや学生証などが入っています。

 わたしとしてもチョコレートを食べたい欲の方が強いので、咲くんの言葉に甘えることにしました。

「こうやって、話すのもなんか久しぶりだね」

「そうですね。一か月ぶりくらい……ですかね」

「そんなに経ってたんだ」

「仕方ないですよ。咲くんも文化祭の準備で忙しかったんですから」

 咲くんはそういえばと手を打つと、

「だいやちゃん『貝ヶ森絵画の審美眼』って読んだ?」

「あ、咲くんも読んでるんですか」

「読んでるんですかって。だいやちゃんが薦めてくれたんじゃないか」

「それはそうなんですけれど。わたしが薦めたのって、珠之先生のデビュー作だけだったじゃないですか。まさか、新作も読んでるとは思わなくって」

「当然。そうでもなければ、脚本のお願いなんてしないよ」

「え、咲くんが珠之先生に脚本を頼んだんですか?」

「だいやちゃんに薦められたあとすっかりはまっちゃってね。演劇部から今年は新作の舞台を演りたいって聞いてたからダメもとで頼んでみたら書き下ろしてくれて」

 なんて、話をしているうちに。

 あっという間に最前列にまで来ていました。

「だいやちゃん、どれにする?」

 咲くんは、並べられたチョコレートやケーキを、まるで宝石を眺めるように一つ一つ確認しています。

「あっ、これ美味しいんですよ!」

 わたしが指差したのは、昨日の部長会で北見さんが宣伝していた生チョコレートでした。

「じゃあ、それにしよっかな。だいやちゃんはどれにする?」

「そうですね……。折角ですので別のものを」

 咲くんは生チョコレートを、わたしはホワイトチョコレートを購入しました。

 家庭科部の教室を出たところで、咲くんは「こんなの貰ってるんだった」と思い出したようにポケットから二枚の食券を取り出しました。咲くんのポケットにはいろんなものが入っています。

「焼きそば屋さんの食券?」

「うん。生徒会の後輩からこの前貰って。折角だからお昼に食べようか」

 いわれてみれば時刻はまもなく十一時。お昼を買って食べるにはちょうどよいころ合いでしょう。

 中庭の店舗で焼きそばを買って、そのまま近くのベンチに二人並んで座ります。思えば昨日、瑠璃先輩と同じ場所で昼を食べましたが、まさか今日は咲くんとお昼を食べることになるとは。昨日のわたしにいっても信じなさそうです。

「いただきます」

 出来立ての焼きそばをふうふうと冷ましてから口に運びます。

 ウスターソースの味付けも辛すぎることなくほどよい塩梅で、箸が自然と伸びます。

「……やっぱ焼きそばってこれくらいの味付けじゃないとね」

 隣で咲くんがしみじみと呟きます。

 お互いに焼きそばを完食し、星型のシールによって封がなされたチョコレートの袋を開けます。

「あ、旨い」

 チョコレートを口にふくむなり、咲くんが顔をほころばせます。

 そんな彼を横目に伺いながら、わたしもホワイトチョコレートを食べます。ミルクの風味が鼻の奥まで突き抜けました。しかし、妙に甘く感じるのは気のせいでしょうか。

 咲くんを見ていると、ふと彼の指が視界の端に留まりました。

「咲くん、指汚れてますよ」

「本当だ」

 咲くんは指についたココアパウダーを、ポケットから取り出したハンカチでぬぐい取ります。真白なハンカチがうっすらと茶色く汚れました。

「そのハンカチ、女物ですよね」

「……ああ。この間、結愛さんから貰ったんだ」

 大したことではないとばかりに咲くんは答えます。その何気ない態度を、少し咎めたくなります。

「――咲くんはわたしとこんなことしていていいんですか?」

「こんなことっていうのは?」

 ああもう。

「……わたしとデートなんかしていていいんですかってことです」

 冗談っぽく呟いたデートという言葉に、自分のことながら少し恥ずかしくなります。そもそも、これはデートに数えていいのかという点はさておくとして。

「別にいいんじゃないかな」

「結愛ちゃんが悲しみませんか?」

「結愛さん?」

 咲くんは、どうして結愛さんの名前が出てくるのか分からないと、首をかしげます。

「僕的には文化祭の準備が始まってからは、だいやちゃんと話す機会もあんまりなかったから、一緒に文化祭回れて嬉しかったんだけど……。もしかして嫌だった?」

 こちらを心配するように、咲くんがわたしの顔を覗き込みます。

 なんですか。

 なんで今日の咲くんはこんなにぐいぐい来るんですか⁉

 いつもと何だか様子の違う咲くんにわたしも当てられたのか、気づいた時には、

「あんまり、そういうことばっかいってると、わたしも勘違いしますよ……」と呟いていました。同時に、自らの顔が急速に赤らんでいくのが分かります。

 それよりも意外なのは咲くんの返答でした。

「もっとも、僕としては勘違いしてもらっても構わないんだけど」

 咲くんの言葉の意味を理解するのに、数十秒ほどの時間を要しました。

「ほ、本当に勘違いしますよ……」

 か細い声で答えるのがせいいっぱいでした。

 いまの言葉に咲くんがどのような反応を浮かべているのか知りたくて、横目に彼の表情をうかがいます。

 すると咲くんは慌ててわたしから視線を逸らしました。その頬は赤に染まっています。

「……」

「……」

 お互いにどう話を紡げばいいのか分からなくて、沈黙が場を支配します。

 踏み込んでしまうと、確実に何かが変わるといった予感めいたものが、これ以上言葉を口にするのを躊躇わせます。

 このまま黙っていると、どうしても激しく高鳴る心音に意識を向けてしまいます。

 意識を逸らすために、改めて咲くんを見ます。

 咲くんは落ち着きなさげに何度か手足を組み替えると、やがて何かを決心したかのように口が開きます。

 その時でした。

「あ!だいやここにいた!」

 と、無粋な声掛けがありました。

 冷や水を浴びせられたかのように、体にまとわりついていた熱さが消えていきます。

「もー。見回りしてたんじゃないのかよ」

 どこか不満げに声の主であるあくあちゃんがこちらに寄ってきます。

 そういえばそうでした。完全に本来の目的を見失っていました。

「えっと、あくあちゃん。何か用?」

「部活。漆原さんがだいやに来て欲しいって」

 なぜここで漆原さんの名前が?わたしに何の用があるのでしょう。

「すみません、咲くん。部活の方でちょっと呼ばれてしまって」

「……もしかして、衣装の件についてかな」

 衣装の件?

 そういえば結愛ちゃんが衣装の破損について話していた覚えはありますが。

 あくあちゃんについていこうとしたところで、

「だいやちゃん」と、咲くんがわたしの名前を呼びます。

 肩越しに振り返ると彼は真剣な面持ちで、

「……文化祭が終わったあと、もう一回会えるかな」と、いいました。

 その瞳はわたしを真っすぐに捉えていました。

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