二日目 ♡ー9
補永と話し合った結果、僕が演劇部の人間に事情聴取を行うことになった。とはいえ、容疑者はすでに絞られている。
体育館へと向かうと一人目の容疑者は、ステージ横、セットの前で自身の髪型が崩れていないか携帯の画面で確認していた。タイミングを見計らって、声をかける。
「忙しい中、時間を貰って申し訳ない。舞台の方は大丈夫か?」
衣装以外は問題ないですよと答えたのは、二年の名波だった。
「昨日の今日でどうにかなるものなのか」
「ええ。恭介先輩が有事の際にと、昨年のトラブルを踏まえて、セットが壊れた際のトラブルシューティングを作っておいてくれてましたから。それに、脚本家の方が何でも替えの台本を用意してくれたみたいです」
岸山も脚本家もよくやるものだ。
「それで、先輩はいったいどのようなご用件で」
「ああ。昨日のことについて、少し聞きたいんだが」
昨日、岸山が襲われた際、殆どの演劇部員にアリバイが存在した。
アリバイを証明したのは、放送部が行っていた生配信だった。
配信の画面は体育館のステージ全体を捉えており、そこに、大半の演劇部の生徒が写っていたのだ。
その結果、画面に映っていなかった人物、つまり、事件が起きた際に所在が確認できなかったのは、岸山を除いて三人だけだった。
まずは一人目の容疑者、名波きらり。
「それだったらわたしよりも結愛さんに聞いた方がいいんじゃないんですか」
「あいつに話を聞くと厄介ごとが増えそうで嫌なんだ。それだったら、名波に聞いた方が話が早いと思って」
適当なおためごかしで、無愛想な名波の言葉を受け流す。
名波は先日、岸山に告白してふられたという。
そんな噂を聞いて僕は以前、岸山が高校の間は彼女を作らないと公言していたことを思い出した。どうにも、手痛い別れをしたらしい。
確か、去年の文化祭が終わったあたりの頃。僕が豊倉と関係を持つ少し前だ。
ともあれ、名波がふられた腹いせに、短慮な行動に走ったというのは想像しやすいストーリーだった。
「……分かりました。どこから、話せばいいですか」
「とりあえず、昨日、着ぐるみが舞台に落ちた時、名波が何をしていたか教えてほしい」
「そうですね。着ぐるみが落ちたのが確か、昨日の午後三時半ごろと聞きましたから……その時間は、クラスの片づけで出たごみを捨てるために、体育館の裏口横にあるごみ捨て場にいました」
意外にも名波は協力的な姿勢を見せた。
「そのとき、名波の姿を見た人はいるか?」
「――ええ。一応」
どこか後ろめたそうに名波は答えた。
体育館の裏。いかにも怪しい場所だ。仮に名波が犯人だとすると、名波は岸山を襲撃後、体育館の裏口から外へと逃げた。その姿を誰かに見られたのであれば、ここで下手に嘘をつくわけにはいかない。
僕がそう考えていると、突然、名波は「そうでした」と思い出したかのように手を叩く。
「そういえば、教室に戻ったあと、写真を撮ったんですよ」
「写真?」
「はい。友達と一緒に。撮ってすぐにSNSに投稿しまして」
これですよと、名波は携帯を捜査して僕に写真を見せる。
口元をピースサインで隠しながら、友人と抱き合うようなポーズの名波。髪は文化祭用に整えているのか、二人ともおそろいのハーフアップのお団子ヘアになっている。
「――この写真、投稿したのが午後三時三十五分なんですよ」
唐突に名波が口を開いた。
「愛川先輩もお分かりだとは思いますが、体育館から、二年三組のある北校舎の四階まで走って五分はかかります」
それがどうした、と口にしかけたところで名波の言葉の真意を理解した。
「恭介先輩を襲ってすぐに、教室に戻るというのは流石に厳しいとは思いませんか?」
「……そうだな」
名波本人も自身が疑われていることには当に気づいていたらしい。
無実の証明。気前よく話に応じてくれたのはそれが理由か。どうにも食えない奴だ。
舞台に着ぐるみの頭部が落ちたのが昨日の午後三時半。放送部の映像が残っている以上、この時間は動きようがない。名波犯人説を疑うのであれば、五分以内に校舎の四階に戻る方法を考えなければいけないわけだ。
他にも名波が撮影した写真を確認していると、
「あっ、愛川先輩。どうしたんですか、急に用があるだなんて」
と、背後から呼び掛ける声があった。声の主に、名波はむっとした表情を隠さない。
「すまない、河本。急に呼び出して」
別にいいっすよ、と彼は笑う。
二人目の容疑者。河本耕平。
岸山を慕う彼にも残念ながらアリバイはなかった。
「……愛川先輩、もういいですか?私、このあと委員会の仕事がありまして」
河本が来るなり、名波は、一刻も早くこの場を去りたいとばかりに不躾な言葉をよこす。
「ああ。ありがとう」
そう告げると、名波は足早に体育館の出口へと向かっていった。
名波の姿が体育館から消えたのが遠目にも確認できた所で、
「名波さん。もしかしてなんか怒ってませんでした?」
と、ひそめた声で河本が尋ねる。僕がうなずくと河本は、
「やっぱし、俺嫌われてるんですかね……」と、諦観まじりのため息をついた。
「へえ。心当たりがあるのか?」
半ば面白がってそう尋ねると、
「まあ、名波さんって松林先輩の派閥ですから」と、答えた。
年功序列と実力主義。以前、岸山が現在の部内の状況をそう語っていたことを思い出す。年功序列派の名波と実力主義派の岸山を慕う河本とは相性が悪いのだろう。
「でも、名波は二年生だろ?どちらかといえば豊倉や岸山のような、実力主義派じゃないのか?」
「――ま、結局は私怨ですよ。恭介先輩に振られた腹いせってところでしょう」
そう説明されると納得するのは容易かった。
ところでと前置きをしてから、僕は本題を尋ねる。
「河本は、いまの部活の状況どう思っている?」
「……別に、特別問題があるわけじゃあ」
河本に足りないのは動機だった。
事件時、河本は備品のお茶を貰うために、家庭科部へと向かっている。しかし、家庭科部の生徒に確認を取ったところ、彼が教室を訪れたのは、事件が起こる十分ほど前の午後三時二十分のことだったという。かといって、河本は教室に長居するわけでもなく、目的の物を受け取るなり、早々に教室を後にしたとのことだった。
それからの河本の足取りは、事件後まで掴むことができない。つまるところ、アリバイがないのだ。
とはいえ、彼が犯人だった場合、岸山を襲うに足る動機が思いつかないのも事実だった。
「いいよ、正直にいってくれて。ここだけの話にしておくから」
河本は少し考えこむように顎に手を当てると、
「……まあ、面倒だと思ってます。愛川先輩が辞めて以降、派閥割れが酷くて。部長や恭介先輩が努力してくれてるのは知ってますけど……」
ためらいながらも河本はいった。
「――正直、恭介先輩も自分勝手すぎるところはあると思います。独断専行しすぎというか。もっともそれでだいたい何とかなっちゃうところが、あの人らしいとは思うんすけどね」
「なるほどね。具体的には?」
「それこそ昨日ですよ。リハーサルの準備の分担を恭介先輩が勝手に決めて。恭介先輩、自分がオーバースペックだってこと分かってないんですよ。自分ができることは誰でもできると思っているのか、わりと無理難題振りますし。そのせいで、松林先輩もよく怒ってますからね」
その場面を思い出したのか、河本は額を抑えている。
「とにもかくも、恭介先輩が原因で余計なもめごとは増えているってのは、否定できませんね」
河本はいまの演劇部の現状に不満を抱いており、その原因の一端に、岸山の存在があると考えている。
「ところで、その手はどうしたんだ?昨日、会った時にはしてなかったと思うんだけど」
河本の右手の人差し指と中指には絆創膏がまかれていた。
「昨日の放課後、清掃作業中にざっくりとやっちゃいまして」
そうか、と納得したようにうなずいておく。
しかし、実のところ、岸山を襲った際にできた傷ではないかという疑念を否定することができなかった――この考えはいささかこじつけが過ぎるだろうか?
そう考えていると、セットの影から、大柄な男がぬっと姿を現した。
彼が最後の容疑者。
「久しぶりだな。松林」
「……ああ、愛川か」
こちらの顔を見ることなく、松林慎之介は投げやりな口調で答えた。
松林が僕に少なからず敵対心を抱いていることは、部に所属している時から気づいていたものの、ここまで露骨だとは。
「なあ、松林。昨日、岸山が怪我をした時の話を聞きたいんだが――」
「知らん。俺に何の関係がある」
吐き捨てるように松林はそういうと、そのままこの場をあとにする。
遠目に松林の様子をうかがうと、体育館の入り口で何やら衣装の確認を行っているらしい。
この調子では話の聞きようがない。
以前、豊倉から聞いた話によれば、松林は今回の舞台の準主役である帽子屋を巡るオーディションで、岸山に大差をつけて負けたらしい。三年間の集大成が端役では彼のプライドが許せなかったのだろう。
河本を見ると、彼は気まずそうに顔を伏せていた。
「……松林なら行ったぞ」
「あざっす」
はああと大袈裟なため息をつく河本。
「……そんなに仲が悪いのか?」
「ですね。恭介先輩と仲がいいやつは、全員敵だと思ってるんじゃないんすか」
なげやりに河本はいった。
「つっても、正直いまはギスギスしてる場合じゃないんですけど。恭介先輩は病院寄ってから来るらしいですし、衣装もどうなることやら」
館内にいる生徒は全員、演劇部の部員だ。その光景に思わず記憶を刺激される。
「そういえばこんなごたごた、去年もあったな」
「え、そうなんすか?」
何気なく呟いた言葉が聞こえていたのか、目ざとく河本が反応する。
「……ほら、去年、僕が怪我しちゃったからさ。代役をどうするか開演直前まで色々あったんだよ」
僕がいえた義理ではない話なので、言葉が濁る。
「――まあ去年だって何とかなったんだから、今年も何とかなるだろ」
無理やり会話を打ち切るため、何の根拠もない気休めの言葉を吐いたところで、
「松林先輩、いまの言葉は酷くないですか?」
ふと、体育館の入り口の方から、凛とした声が上がった。
声を上げていたのは、逸見だった。
「――またやってますよ。あの二人」
この程度のことは部内では日常茶飯事なのだろう。河本は呆れているようだった。
「ちょっと、見てくるよ」
そういって、二人のもとへ向かう。聞こえてくる声から判断する限り、逸見が松林に口ごたえをしているらしい。全く、厄介ごとを増やして。責任感があるのは結構なことだが、果たせぬ責任まで負う必要はないのだ。
「逸見、松林、どうした」
我ながら余計だとは分かっているものの、二人の間に割って入る。
松林は僕の姿を認めるなり、
「愛川、お前が代わりに話を聞いてくれ。仲いいだろ」
松林は煩わしそうに、僕に面倒ごとを放り投げる。彼は逸見に構っている暇はないのか、早々に別の部員と打ち合わせを始める。
僕は逸見を連れて体育館の隅に移動した。
「……それでどうした。逸見」
僕の問いに逸見は少し黙り込む。
ようやく口を開いたかと思うと、
「やっぱり、松林先輩のことは好きになれません」と呟いた。
「それはどういう理由で?」
「恭介先輩に対する松林先輩の態度です」
「それは確かに、松林の奴は岸山に敵対心むき出しだけど。それはいまさらだろ」
「確かにいまさらですけど。だけど、恭介先輩を貶めるようないい方が許せなくて」
自分のプライドをへし折った奴が痛い目に合ったのだ。僕が松林の立場だったら喜んでしまうのも無理はないと思う。もっとも品がないのは確かだが。
「お前もそれくらいで事を荒立てるな。いまは先生も、岸山もいないんだし、おまえがしっかりしないと」
「すみません。総司くん」
昔馴染みでもある逸見は、僕に敬語を使わない数少ない年下だった。
「自分が情けないです。早く、総司くんみたいにしっかりしないと」
「別に僕みたいになる必要はない。お前はお前なりにやればいい」
安心させるように逸見の肩を叩く。むしろ僕みたいにはなるなといいたいところだ。
とはいえ、幸運にもこれで松林の動機も確認できた。
名波は、岸山に振られた腹いせに。
河本は、岸山の態度に疑問があり。
松林は、岸山への敵愾心が原因で。
つまり全員事件を起こす動機はあるというわけだ。
まったく、この調子では話を聞く前よりも、事情がよっぽど複雑化しているような気がするのだが。
「まだ話してるんすか」
僕たちを心配したのか、河本が駆け寄ってきた。
「逸見先輩もまた何やってんですか。この間も恭介先輩や四葉先輩に怒られたばっかじゃないですか」
逸見は、すみませんと河本に頭を下げる。
「いいっすよ、謝んなくて。悪いのは松林先輩なんですから」
そんでも、と河本は続ける。
「松林先輩が荒れるのも理解できますよ」
「どうして」
すると、突然河本はこんなことを呟いた。
「この間、部活終わりに松林先輩、裏で散々才能がないだとか、無能だとかいわれてましたから」
いかにも松林が傷つきそうな言葉だ。いや、そんなことを面と向かっていわれたら、誰だって、ショックを受ける。
「……誰が松林にそんなことをいった」
河本の口からこぼれたのは豊倉の名だった。
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