二日目 ♤ー9
「なんか大変なことになっちゃったね」
愛川先輩が教室を去ったタイミングで盾屋さんが切り出す。
「あたし一つ思いついたんだけどさ。岸山先輩がいっていた『ウサギ』って、劇でウサギ役を演じる生徒の事なんじゃないの?」
「それはないよ」
「どうして」
「今回の舞台にウサギは登場しない。正確にいうのならば、作中に登場はするけれど誰も演じはしないんだ」
桜日高等学校演劇部発表会『不思議の国の被告人』。
あらすじはこうだ。
少女アリスは、ある日の昼下がり、執拗に時計を確認しながら人語を喋るウサギを目撃する。
驚いたアリスは時計ウサギを追いかけて、ウサギの姿が消えた穴へと向かう。ここまでは原作と一緒だ。
しかし、穴に落ちたウサギは転落死しており、アリスはその死体を発見することとなる。
トカゲのビルの勘違いにより、アリスはウサギ殺しの犯人として、トランプの女王の前で裁判にかけられることになる、といったストーリーだ。
「本当は、誰かがウサギも演じる予定だったらしいんだけど。『老若男女が訪れる文化祭の舞台で死体を出すってのはどうなんだ』って学校側から怒られたらしくてね。上手いこと演出でごまかすつもりらしい」
「ふうん。補永、随分と詳しいじゃん」
興味があって、演劇部の人からあらすじを聞いたんだよとごまかす。
「何はともあれ、着ぐるみを盗んだはずの恭介先輩が誰かに襲われたんだとしたら、本当に先輩が犯人かどうかも怪しくなるね」
情報の乏しいいまの段階で、不用意なことをいうわけにはいかない。
そんなことを盾屋さんと話していると、剣がようやく教室に戻ってきた。
「おい。愛川はどこに行った」剣は教室内を見渡す。
「演劇部の人に話を聞くからっていって、もう出ていったけど」
「なんで引き止めておかねえんだよ」
「なんで剣が威張ってるんだよ。三十分近く席を外してたのはそっちの方じゃないか。それに聞きたいことは大方聞けたし」
現に剣が帰ってくるまでの間に、愛川先輩が分かる範疇で、昨日、岸山先輩がどのように襲われたのかを聞いておいた。
「一番肝心なことを聞けてねえよ」
悪態をつく剣。
「そこまでいうんだったら、剣は何してたんだよ」
「……石波と話してた」
「それじゃあ、剣も人のことはいえないね」
そう指摘すると剣はむうと唇を尖らせた。
「――別にオレは石波とただ雑談をしてたわけじゃあない」
「へえ。どんな話してたの」
「あとで話す」
露骨にはぐらかされた。これ以上、この話題について追求しても仕方があるまい。ぼくにはそれ以上に、剣に聞きたいことがあるのだから。
盾屋さんが、仕事に戻ったことを確認してからぼくはいう。
「それよりも、聞きたいことがあるんだけど」
「何だよ。わざわざ連れ出して。逢引きのつもりか?」
はん、と鼻を鳴らす剣。ニヒルな態度を崩す様子はない。
ぼくは、剣と話す場所に一階の階段裏にある空きスペースを選んだ。ここならば、人目につかずに話すことができる。
「そろそろ一つ教えて欲しいんだけどさ。剣も隠していることがあるんじゃない?」
「……何を」
剣の視線が揺れたのをぼくは見逃さなかった。
仕方なく追求を続ける。剣と目を合わせながら。
「今日の朝、剣は、着ぐるみを盗んだ犯人の目的が、演劇部に危害を加えることであるのを前提に話を進めていた。
それに昨日の段階で剣は、着ぐるみを盗んだ人間が演劇部にいると考えていたよね。
剣。君は昨日の時点で、恭介先輩に脅迫状が届いていたことを知っていただろう?」
「……だから、トーマには関係ないといっただろ」
そういって、剣は視線を逸らした。
その反応が答えだった。
「だいたい、そんな答え合わせをする必要がどこにある?事件とは何ら関係がないだろう」
言葉とは裏腹に、どこかばつの悪そうな顔をする剣。
ああ。その顔は。
呼び起されるのは、泣き虫だった頃の幼い剣の姿。ぼくが探偵という存在に焦がれていた時のこと。
思い出されるのは、気丈な振る舞いを覚えた剣の姿。ぼくが小説家になったことを知った時のこと。
遅まきながらぼくはようやく理解する。
剣もぼくが小説を書いていることを知ったとき、似たような感慨を抱いたのだろうか。
自身の存在価値を見失ったかのような空虚を味わったのだろうか。
そんな考えを表に出さないよう意識しながら、剣と向き合う。
「――確かに剣のいうとおりだ。これは事件には何ら関係ない個人的なお願いだ」
そうだ。ぼくは君にそんな顔をしてほしくなかったのに。
剣の肩を抱いて、いう。
目を合わせて、告げる。
「教えて欲しい。ぼくは剣の相棒なんだから」
一瞬とも永遠とも見分けがつかない時間が、ぼくたちの間で流れたあと、剣は肩からぼくの両手を払った。
「……ある人物から、一つ頼まれごとをしていてな」
ため息をついて、剣はようやく腹を固めたのかぽつぽつと語りだす。
「愛川が去年、怪我したことは知っているよな?」
唐突な話題の転換に、疑問を覚えつつも答える。
「……まあ。リハーサルの最中に、愛川先輩が体育館放送室からステージに落ちたとか」
当時、現場を見たわけではないが、学校中が騒然となったのを覚えている。
「オレも最近知ったんだが、この事件は色々と憶測が流れていてな。その一つに愛川は事故にあったのではなく、誰かに突き落とされたという説がある」
その噂を剣の口から聞くのは初めてだった。
「その誰かってのは?」
「当時の部長で天岳って奴だ」
その名前には聞き覚えがあった。
「それで二人の間にはトラブルはあったの?」
剣は首を横に振る。
「残念ながら。ってのも変だけどな。二人の仲は良かった方らしい。むしろ何でそんなことになったのか、疑問に思っている奴らが多数だった」
「なるほど」
剣は壁に背を預けると、そのままずるずると腰を下ろした。
「ただ、演劇部自体に問題がないわけじゃあない。結構、人間関係が面倒でな。愛川が怪我をして以降、内部派閥が割れてしまったらしい」
「派閥はどんな感じに割れてるの?」
「そうだな。簡単にいうと、現三年生を中心とした年功序列派と、一、二年生を中心とした成果主義派に分かれている」
「言葉から察するに、最上級生である三年生に主要な役を優先するべきだって考えと、技術や素質で役を決めるべきって考えに分かれているって考えればいいのかな」
呑み込みが早くて助かると、剣は呟く。
「けれど、それと愛川先輩の事件にどう関係が?」
「昨年の文化祭で、例年ならば年功序列的に天岳が主演を務めるところを、成果主義派の茜によって、愛川が主演を務めることになったらしくてな。そこで一部の人間に溝ができた。それですったもんだがあって、天岳が愛川を突き落とした。
事件を踏まえて、現三年生――いまの愛川や岸山の学年だな――はこう考えたらしい。
『最初から、天岳を主役にしてれば――要はいままでどおりにしてれば、事件は起きなかった。成果主義を取り入れるべきではない』と。つってもこれは建前で、自分達が役をとれなくなるのが嫌で、体よく事件を利用しただけっぽいが」
「――なるほど、いまだ部内には、愛川先輩の事件の因縁が残っているというわけだ。ところで、茜先生はいまの部内の状況をどう考えてるのかな」
「面白くはないだろうな。とはいえ、茜本人、ここ数ヶ月は、自分の子どものこともあって、部活については、同じ考えの部長や岸山にまかせっきりになってしまったらしいが」
茜先生は文化祭の終了後――つまり来週から――出産のために休暇にはいることが、既に知らされている。本来ならば、休暇に入ることができるのは、もう少し後になるらしいのだが、先生は婚約者が一般人ではないなど、様々な事情から大事を取って、早めに休暇に入るとのことだった。
昨今は、教員の間でも育児休暇は取得しやすくなっているとはいえ、年度半ばに産休に入るとなると、引き継がなければいけない業務も多いのだろう。部活にだけ構ってはいられないというのも納得できる。
そこまで考えたところで、一つ疑問を覚えた。
「……あれ?恭介先輩は、三年生なのに成果主義の派閥なの?」
「らしいな。オレも詳しくは知らないが、それこそ愛川の一件と関係があるらしい」
ここで再び、愛川先輩の事件が顔を出す。ぼくの思考を察したかのように剣はいう。
「オレは演劇部部内が割れることになった原因。そして、岸山が成果主義派になった理由でもある、去年の愛川の事件について調べるように頼まれていた」
これで概ね事情が見えてきた。
部内での恭介先輩の立ち位置は、中々に厄介なところにあるらしい。現三年生でありながら、一、二年生の派閥に所属しているのだから。
ともなれば、恭介先輩のことをよく思わない人がいてもおかしくはない。
そして、その中の誰かが恭介先輩に対して嫌がらせとして、脅迫状を書いたり、ウサギの着ぐるみを被って襲撃をしたのだと考えることができる。
ただ、この場合、恭介先輩がウサギの着ぐるみを盗んだ理由についての疑問が、依然として残る。
そもそも、恭介先輩が盗んだはずの着ぐるみを何故、別の人間が持っていたのだろうか。
この謎については後に考えるとして、それともう一つ、気になることがあった。
この事件に関わる根本的なことだ。
「剣は、誰から昨年の事件について調べるように頼まれたんだ?」
話の流れから推測するに、剣に依頼をしたのは、演劇部の人間だろう。
まさか。それこそ恭介先輩自身が、剣に依頼をしたのではないだろうか。
剣が既に様々な事件を解決したことは、校内中に知られ渡っている。恭介先輩は、そんな剣を信頼して、事件についての調査を依頼したのだろうか。
しかし、そうだとしたら恭介先輩本人から、もうすこし事情を説明されていないとおかしいはずだ。
そう。まるで、恭介先輩には内密で昨年の状況を知りたいとでもいうような――。
そんなことを考えているぼくに対し、剣は一人の名を挙げた。
それは、ぼくの予想とは大きく異なる人物の名だった。
「四葉咲だ」
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