二日目 ♢―8
十月十六日の朝は、真冬もかくやというべき気温でした。
あれだけ行くのを楽しみにしていた遊園地だったのに、いざ当日、雨が降って台無しになってしまったような、そんな感覚。
そんなわたしの事情など知ったことないとばかりに、学校へと続く道を歩く人の姿はいつもより多いように見えます。
「だいやちゃん。クマすごいよ?寝不足?」
こちらを慮るような口調で、あくあちゃんが尋ねます。
「昨日も遅くまで学校残ってたんでしょ?」
「遅くっていっても、七時くらいまでだよ。そんなに長居してたわけじゃないって」
「……被服研究部の方じゃなくて、演劇部の手伝いしてたんだよね?」
あくあちゃんの問いにうなずきます。
演劇部がリハーサルをしている最中に、事故が起きたことはすでに学校中に知れ渡っていました。
あの後。
体育館の方が何やら騒がしくなっていることに気づいたわたしは、裏口からそのまま館内へと向かいました。
「なんか変じゃない?」
館内は異様な雰囲気に包まれていました。多くの生徒が、何やらステージに注目しています。
野次馬になるよりも、委員会の仕事に戻った方がいいかと一瞬考えましたが、委員会を担当している先生も館内にいましたから、良しとしましょう。
騒ぎの中心地となっているステージを見ると、上手側には、エプロンドレス風の衣装を身に着けた結愛ちゃんの姿が見えました。
同じくステージ上にいる咲くんは何かに気づくと、気まずそうに結愛ちゃんから視線を逸らします。
その様子を見て、わたしも結愛ちゃんの服の異変に気付きました。
慌ててわたしはステージへと上がります。
「あれ、だいやなんでここに――」
「あの、結愛ちゃん裾が破れて……」
わたしがそっと耳打ちすると、結愛ちゃんはようやく、自分の着ている服の状況を理解したのか、顔を赤らめました。
「と、とりあえずわたしのジャージで良かったら、巻いて!」
わたしがジャージを脱ごうとしたところで、
「いいから!俺のブレザー使え!」
いつの間にかステージに上がっていた咲くんが、自身のブレザーを、結愛ちゃんに渡しました。
「ねえ、何があったの?」
咲くんのブレザーを腰に巻いたところで、結愛ちゃんが尋ねます。
「……着ぐるみの頭が落ちてきたんだよ」
結愛ちゃんのいうとおり、ステージ上にはウサギの頭部が転がっています。
「小道具のティーセットが壊れて、私の衣装も……」
結愛ちゃんの衣装をよくよく見てみれば、エプロンドレスがすっかり茶色く汚れてしまっています。ティーセットが壊れた際にお茶がかかってしまったのでしょう。
しかし、この汚れでは、洗濯しても落ちるかどうか。
「こっちもだいぶ壊れているな……」
しゃがみ込んで、セットの破片を見ながら咲くんがいいます。彼のいうとおり、セットも一部、着ぐるみが落ちた際の衝撃によって壊れてしまっているようでした。
「……さて。この状況をどうするか」
汚れてしまった衣装に、壊れたセット。
惨憺とまではいかずとも、酷い状況であることには変わりありません。
「――このまま、おろおろしていても仕方がありません。やれることをやりましょう」
結愛ちゃんは、床に散らばったティーセットの破片を拾いにかかります。
彼女の肩は微かに震えていました。
片づけを手伝って、そろそろ学校を出ようとしたころには、時計の針は七時を回っていました。窓から覗く外の世界は、既に夜の支配が始まっています。
「そろそろ帰ろう。だいやも途中まで一緒だよな」
「わたしはいいです」
咲くんのお誘いをわたしは断ります。その誘いには、ひどく後ろ髪を引かれましたけれど。
「咲くん。今日は結愛ちゃんと一緒に帰ってあげてください」
何ともないようにふるまっている結愛ちゃんですが、内心では少なからず不安と動揺に襲われているはずです。
「こういうときに一人で帰るのは少し堪えますから」
わたしの言葉に、咲くんはどこか困惑しつつもうなずきます。
そうこうしているうちに、結愛ちゃんがジャージに着替えて戻ってきました。
わたしに代わって咲くんが一緒に帰ることを結愛ちゃんに伝えます。
「だいやも、途中まで一緒に」
「わたしは、少し用があるから。先に二人で帰っていていいよ」
結愛ちゃんの言葉を遮るようにして、二人の背を押します。その行動に驚いたのか、結愛ちゃんは顔だけ振り向くと、不安げな面持ちでこちらを見ます。
わたしはそれを、微笑みを浮かべることでいなします。
自らの胸の内がじくりと痛んでいるのに気づかないふりをして。
「おはようだいや」
「……おはよう」
委員会活動があるあくあちゃんと別れ、教室に向かうと、その入り口にはいま一番顔を合わせたくない友人が、顔を伏せてわたしのことを待っていました。
「昨日はごめん」
開口一番、結愛ちゃんはわたしに謝罪します。
「結愛ちゃんが謝ることじゃないよ。悪いのは、着ぐるみを落とした人でしょ?」
「そのことじゃない」
低い声で結愛ちゃんは続けます。
「昨日、四葉くんにわたしと帰るようにいったのは、だいやだよね」
「……」
言葉を返すことはできません。彼女のいうとおり、咲くんに一緒に帰るように頼んだのはわたしなのですから。
結愛ちゃんは沈黙を肯定と受け取ったのか、わたしをキッと睨みつけると、
「……こんなの全然フェアじゃあない」
そう小さく呟きました。
「……咲くんが結愛ちゃんに教えたの?」
「違う。あの状況だったら、四葉くんは帰りにだいやも誘うはずだよ」
実際、そのとおりでした。わたしが裏で手を引いていたことなど、最初から見え透いていたのでしょう。
「まあ、だいやには今日もチャンスがあるわけだし、それくらい余裕があるってことだよね」
唐突に結愛ちゃんはそう呟きます。
「――どういうこと?」
「私は今日一日中部活があるから、四葉くんと長時間一緒にいることはできない」
「だから、結愛ちゃんは何が――」
「告白するなら今日中だっていってるの」
「……別にわたしは」
「いいの?私は今日の放課後、四葉くんに時間貰ってるんだよ?結局だいやは選択を放棄して傷つきたくないだけなんじゃないの?」
あからさまな挑発に、顔がかっと熱くなります。自身の中に渦巻く、あらゆる限りの悪罵をぶちまけてしまいたい。そんな衝動に駆られかけました。
しかし。
「――ごめん。いいすぎた」
そう答える結愛ちゃんの顔色を見ては、到底怒る気にはなれませんでした。
彼女の顔をよくよく見れば、目の下にはうっすらと隈ができています。
「舞台の方はどうなったの?」
重たくなった空気を払しょくするために、話題を変えます。
「衣装については、先生がいま業者の方に連絡してくれている。だけど代わりの衣装が用意できるかどうかは分からなそう。
それに恭介先輩も病院に行ってから学校に来るみたいだし、これじゃあ舞台もどうなるか……」
結愛ちゃんの言葉が徐々に小さくなっていきます。
なんと返せばいいのでしょう。
なんとかなるよ?きっと大丈夫?
慰めにもならない言葉に、何の意味があるのでしょうか。
「だいやは舞台のことは気にしないで」
とはいわれても。
「何か手伝えることがあったら教えて」
そう伝えるのが、いまのわたしには精いっぱいでした。
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