一日目 ♡ー7

「おお、本当に来るとは」

「お前が誘ったんだろうが」

 僕の言葉に、岸山はやれやれと肩をすくめる。飄々としたその態度が気障ったらしくて、少し苛立つ。

「で、僕はどうすればいい?」

「俺の出番はもう少し後だから。それまで、適当に過ごしてくれ」

 岸山は、チョコレートをつまみつつ、体育館に備え付けられた時計を見るとそう答えた。

「食べるか?」

「いらん。それよりもお前は何するんだ」

「体育館放送室で音響のテスト」

 岸山は振り向きざまにそういいながら、放送室の方へと向かった。

 館内を見渡すと見知った顔も、見知らぬ顔も、みな同様に各々の作業を続けている。

 もう、ここに自分の居場所は存在しない。そんな当然の事実にすら一抹の寂しさがないといえば嘘になる。

 とはいえ多くの部員が作業をする中、ただ待っていろというのも何だか居心地が悪い。

 それにステージでは、豊倉を中心にリハーサルが行われている。ステージ上から呆けた己の姿を見られるのは何となく気恥ずかしいものがあった。

 そんなことを考えていると、突然背後から、

「愛川先輩、なんでいるんですか」と驚いた声が上がった。

「ああ。古谷」

 古谷は、主に照明を務める二年生である。彼女は僕と同じ中学出身ということもあり、部に在籍していた時には何度も世話になった。

「これまで全然部活来てくれなかったのに、今日はどういう風の吹き回しですか」

「岸山に誘われてちょっと」

「あたしが説得するよりも、岸山先輩の一声ですか……」

 がっくりと肩を落とす古谷だった。

「それより、何か手伝えることはないか?岸山から顔を出すようにいわれたけど、やることがなくて」

「じゃあセットの搬入、手伝ってもらえますか?人手が足りないんですよ」

 分かったと、古谷の言葉にうなずいたと同時に、一瞬、ステージ上の豊倉と目が合った。不満そうに眉をひそめながら、こちらを見る豊倉。

 大方、古谷と会話していたのが気に食わなかったのだろう。何となくいい気味だと思いながら、古谷と共にステージ下手側の控えスペースに向かう。

「今年の舞台はどうだ?」

「ぼちぼちです。逸見さんや恭介先輩が頑張っているのは分かりますけれど」

 古谷は随分厳しい評価を下す。そういうところは中学の時から変わっていない。

 控えスペースに到着すると、小道具班の部員たちが四人ほど、舞台に使う小道具の準備をしていた。彼らは僕に気づくと軽い会釈をした。自己都合による退部をした身としては、いささか気まずい。

 小道具の準備をしている部員の一人は何故かお茶を汲んでいた。

「彼は何をしているんだ?」

「今回、実物のお茶を使うんですよ」

 なにせ、今年の舞台は不思議の国のアリスがテーマですからと答える古谷。なるほどお茶会か。いわれてみればステージ上には豪奢な長机がセッティングされていた。

「そういえば河本君に、予備のお茶を家庭科部から貰ってくるように頼んだんですが。どこで油を売っているんでしょう」

 いわれてみれば河本の姿が見えない。どこにいるのだろうか。


 その時だった。

 ゴトンと、ステージの方から強い衝撃音がした。

 同時に、陶器が割れ、人が倒れたような音が上がる。

「なんだこれ」「みんな大丈夫⁉」「怪我した人はいませんか?」「上から落ちてきたんだけど……」「先生大丈夫ですか?」「問題ない」「でもこれじゃあ衣装が……」

 驚いてステージの方を見やると、中心に落ちていたのは、巨大なウサギの頭。

 着ぐるみの頭部だった。

 そして。

 その横には豊倉が倒れていた。

 ――この関係は私たちだけの秘密ですよ。

 ――私と君は人前で話しちゃいけません。

 ――私に何があっても愛川くんは動いちゃ駄目ですよ。

 交わったその日、裸身の彼女と交わした約束を思い出す。

 豊倉の言葉に従うのならば、ここで僕は動くべきではないのだろう。

 だけど。

 それじゃあ何も学んでないじゃないか。

 ためらうまでもなく、僕はステージ中央へと向かう。

「豊倉大丈夫か⁉」

「……問題ないです。逸見さんが庇ってくれましたから」

 逸見に支えられながら、豊倉は腹を擦りながら答えた。

「――私のことより問題なのは衣装の方です」

 起き上がった豊倉のいうとおり、アリスの衣装はすっかり茶色く汚れてしまっていた。よく見ると裾部分も破れてしまっている。見るも無残といった様子だ。

 ステージを見れば、砕け散ったティーカップが着ぐるみの下敷きになっている。着ぐるみが落ちてきた際に、ティーカップに入っていたお茶が衣装にかかってしまったと考えるのが妥当だろう。

 館内に目を向けると、音に驚いた生徒たちが何事かとステージ前に続々と集まりだしていた。

 これ以上騒ぎが大きくなる前にと、僕は部員たちに確認する。

「誰か、この着ぐるみがどこから出てきたか見た奴はいないか!」

「……上から落ちてきました」

 そういっておずおずと手を挙げたのは、一年の女子生徒だった。

 言葉につられるようにして上を見る。

 ステージ上手側、舞台袖は二階建てになっており、二階には体育館内放送用の放送室がある。

 放送室には、ステージの様子が見えるよう窓が設置されている。

 そして。

 その窓が開いていた。

『体育館放送室で音響のテスト』

 そんな、岸山の言葉が頭をよぎった。

 自分の中で答えが出る前に、体は動きだしていた。

 上手側に準備されたセットを倒しつつ、幅の狭い階段を駆け上り、体育館放送室の前に到着する。

「岸山!何があった!」

 ドアノブを捻る。しかし、開かない。

 ドアをノックする。否、激しく何度も、何度も叩く。

 最悪の事態を想像する。喉奥に氷の塊を詰められたような、そんな感覚。

 これも全て、去年の事故が原因なのか。

 このザマじゃあ何が護衛だ。僕は岸山から目を離すべきじゃあなかった。もっと脅迫状の事だって真剣に考えるべきだったのだ。

 だとしたら、僕は――

「うるさいな」

 七面倒くさそうな声をあげながら岸山が戸を開けた。一見、何の問題もなさそうで安堵する。

 頭を引っかけないように注意しながら、放送室へと入る。

「さっき、ステージに着ぐるみの頭が落ちてきたんだが。何か知らないか」 

「だろうな、それなんだが――」

 岸山がそう答える瞬間、側頭部を抑えたのを見逃さなかった。

「おい。本当に大丈夫か」

 思わず岸山の頭に触れる。すると彼は顔を歪めた。よくよく見てみれば、岸山の顔色は随分と青く、額には脂汗が浮き出ていた。

「教えろ。いま、ここで何があった?」

 岸山の肩を抱き、彼の瞳を真っすぐに見据える。

 こちらの追求に岸山は戸惑いつつも、少しためらいながら答える。

「――ウサギに襲われた」


【桜紅葉祭一日目(校内開放日)終了】

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