一日目 ♡ー6(2)

 二年にあがると、演劇部を取り巻く状況は一変した。演劇経験者である教師が新たに顧問となり、経験未経験問わず、多くの一年生が演劇部に入部した。メディアへの露出は増加し、県内で放送される特集に僕と岸山が応じる機会もあった。

 そして、これが個人的には一番の驚きだったのだが、次期部長に任命されたのは僕だった。

 てっきり、部長を務めるのは、昨年の活動を牽引していた岸山だとばかり思っていたのだが。

 学校帰りに寄った、たこ焼き屋前のベンチで、僕は岸山にそう伝えると、

「やっぱ、経験の違いなんじゃねえの」と、岸山は答えた。

「俺は高校から演劇始めたし。愛川のほうが人に教えるのも上手いしな」

 そういって岸山は、食べるか?と、買ったばかりのたこ焼きを差し出す。ありがたく一つだけ貰う。

「今年度は演劇未経験の一年も多い。お前みたいに、全員が全員やる気があるわけじゃないだろうし。正直、僕には荷が重い」

「あんまし気にすんなって。お前の中学の時の後輩だっているんだから。そもそも、俺と愛川と天岳先輩がいれば何とでもなるだろ」

 岸山もたこ焼きを一つ口に入れる。随分と熱そうだ。

「それに、今年からウチの部活見てくれてる先生は、演劇やってたんだろ?前よりかは良くなるだろうさ」

「だが、茜先生はかなり厳しい。三年が反感を持たないといいんだが」

「天岳先輩もこないだ厳しめに指導されてたしな。まあ、色々と事情があるんだろうが」

 岸山のいうとおり、天岳先輩が指導を受けている姿を、僕も何度か目にしたことがあった。

 もっとも天岳先輩に限って、先生に反感を持つというのは色々と考えにくいが。

「てか、愛川。お前は先生との折り合いはどうなんだ?俺は結構気に入られているっぽけど」

「別に悪くないと思うが。部活中は厳しいけれど、それ以外はそうでもない」

 部活の休憩の際に、先生から話しかけられたことを思い出す。


「愛川くんって俳優の五十嵐清に似ていますよね」

 休憩中、茜先生からそう話しかけられた。

「褒めてるんですか。それに僕と五十嵐清ってそんなに顔似てないでしょう」

 茜先生があげた俳優は、つい最近離婚が大々的に報じられた俳優だった。

「私好きなんですよ。五十嵐清。結婚するならああいう人がいいです」

 冗談めかしていってのける先生。

「それは冗談としても、愛川くんと五十嵐清って、雰囲気が一緒なんですよ。間の取り方や、演じる時の表情なんかが」

「……随分と詳しいんですね」

「ええ。あの人、私が所属していた大学のサークルのOBでして、色々懇意にさせてもらっていたんです。まあ、もともと推しではあったんですが」

 推しが褒められたことが嬉しいのか、先生は微かに笑う。

「才能がある人は好きですよ」


 そんな話をしたことを岸山に告げると、

「やっぱ先生から見ても、愛川って凄いんだな」としみじみとした口調でいう。

「評価してくれるのはありがたいけれど、僕がこうなれたのも全部、天岳先輩のおかげだよ」

 実際、茜先生に褒められた間の取り方や、表情については全て天岳先輩から教わったものだった。

「だな。あの人には頭が上がらない」

 岸山は同意するように首を縦に振った。

 岸山は立ち上がるとたこ焼きの入った容器をこちらに渡す。

「残りは愛川が食べてくれ」

 最後に口にしたたこ焼きは、酷く冷めていたあげく、たこが入っていなかった。


 部内の空気が悪化したのは、文化祭で行われる発表会まであと二ヶ月というところ、夏休みの最中の事だった。

 例年、文化祭で行われる発表会の主役は、前年度の部長が行うことになっていた。

 にもかかわらず、天岳先輩は主役に選ばれなかった。

 選ばれたのは僕だった。

 今回の舞台は動物を擬人化したストーリーで、主役の性別を問わないのが災いしたのかもしれない。

「厳正な審査結果ですよ。三年生にはそう伝えたはずですが」

 職員室で選抜の意図を問うと、茜先生は至極冷静にそう答えた。

「それじゃあ納得できません。例年どおりならば、天岳先輩が主役を務めるはずでは」

「愛川くんも分かっているでしょう。天岳さんは確かに意欲旺盛です。ですが、それに見合う技量を持っていない」

「それは」

 脊髄反射的に茜先生の言葉を否定しにかかる。

 しかし、最近の天岳先輩の様子を思い返すと、反論の言葉は飲み込むしかなかった。

「確かに愛川くんが入部した頃の演劇部でしたら、天岳さんが主役を務めていたんでしょう。

 ですが、現在の演劇部は昨年度までとは状況が異なります。求められているのは愛川くん、そして岸山くんなんですよ」

「――天岳先輩は必要ないっていうんですか」

 僕の言葉に茜先生は、数秒だけ沈黙すると、

「彼女も演劇部の一員である以上、必要ないということはありません。

 しかし、私は桜日高等学校演劇部顧問として最高のパフォーマンスを観客に見せる必要があります。そこに私情を挟んだと思われるわけにはいかないんです。愛川君。君ならわかってくれますよね」

 だったら、と僕は口を開く。

「せめて、僕に何かあった際、代役を天岳先輩にお願いすることはできませんか」

 自分でもひどく幼い願いであることは分かっていたものの、そう頼まずにはいられなかった。

 これには茜先生も渋々といった様子で検討すると答えた。

 満足の行く答えを得られたところで職員室を後にすると、天岳先輩とばったり出くわした。

「愛川。ちょっといい?」

「すみません。先輩。急いでいるので」

 言葉を遮るように、僕は先輩の横を通り過ぎる。

 天岳先輩の口が何かいいたげに開いたのを見なかったことにして。


 日が経つにつれ、部内には学年ごとにある噂が流れていた。

「愛川も酷いよな。あれだけ天岳と仲良くしといて、いざ偉くなったらさようならとか」

「経験者だからって、調子に乗ってるのが目に見えてイタい」

「顧問に取り入ってまで、主役をやりたいかね」

 三年の間では、僕を非難する声が上がっていた。

 いつの間にか、三年の間では僕が茜先生に取り入って、主役の座を得たことになっていた。

 昨年度は散々遊んでいた癖によくいえたものだと思わないでもなかったが、僕が変に反抗することで、天岳先輩の迷惑となることは避けたかった。

「愛川先輩は気にしないでいいですって」

「天岳先輩も去年は散々遊んでいたんですから、因果応報じゃないんですか」

「天岳先輩の方こそ、愛川先輩に合わせるべきだと思います」

 一年の間では天岳先輩の努力不足をあげつらう声が上がっていた。

 『今年の三年は昨年度の春まで遊んでばかりいた』という話が残っていたためか、昨年、天岳先輩は努力していたことを知らず、そう口にする後輩が後を絶たなかった。

 いまの僕は部長という立場もあって、天岳先輩や自身に対する口さがない言葉を聞く機会が否応なしに増えていた。

 岸山の方でも、後輩や先輩方の誤解を解くよう努力しているとは聞いていたものの、事態の解決には困難を極めているとのことだった。

 そしてその噂は、文化祭での発表会前日になっても払拭されることはなかった。

「すみません。愛川くんも気にしないでくださいね」

「――そんなに心配すんな。すぐに僕もリハーサルに行くから」

 相談という名のもと、部に対する不満を口にした後輩が部室を去ったのを確認して、作り笑いをほどく。

 誰も彼も相談という名目で、持論を展開しては帰っていく。結局、自身のことを他人に肯定して欲しいだけなのだ。真の意味で相談したい人間なんて誰もいない。

 口から洩れる息はあまりにも重い。

 そろそろ、舞台の準備のために、体育館へと向かおうとしたところで、部室の戸が開いた。

「――天岳先輩」

「愛川、少し話そうか」

 天岳先輩に案内されたのは、体育館上手側の二階にある体育館放送室だった。

 戸を開けるとまず目につくのは、正面奥にある放送機材だ。マイクやつまみが取り付けられた放送専用の机の手前には、古びたパイプ椅子が二脚ほど並んでいる。

 入ってすぐの左手側の棚には使われない機材が積まれており、半ば物置状態となっていた。

「ここからだと舞台が見えるんだ」

 先輩のいう通り、放送機材の横の窓からは舞台が見渡せる。

「先生から聞いたよ。愛川の代役を私にするようにと」

 舞台上で準備をする部員たちを見ながら天岳先輩はいった。

 天岳先輩には黙っておいて欲しいと、茜先生に頼んでいたわけではない。

 とはいえ当の本人から、直接聞かれると、どうにも罰の悪さを覚える。

「ええ。もしも何かトラブルがあった場合ですが」

「何で岸山じゃなくて、私を代役に?」

「去年までは、前年度の部長が主役を演じるって取り決めだったじゃないですか。それで」

 当然のようにそう答えて、激しく後悔する。

 天岳先輩は、酷く冷めた瞳をこちらに向けていた。

「愛川は、本当にそれでいいと思っているのか?」

 先輩の唇がわななく。

 何も悪いことはしていないはずなのに、責められているような気がして、どうにも落ち着かない。

 そのためか、天岳先輩の言葉にうなずくタイミングがワンテンポ遅れた。

「――前にもいっただろう。評価は正当にくだされるべきだと」

 尋常ではない様子の天岳先輩を落ち着けようと、思わず肩に手が伸びる。

 だがその手は先輩自身の手によって振り払われた。

「分かるんだよ。いまの愛川は姉さんにそっくりだ。君にまでそんな目を向けられたら私はどうすればいい?」

 泣き笑いの表情を浮かべながら、天岳先輩は僕を窓にまで追いやる。

「教えてくれ、愛川。私には君たちに並べるくらいの才能があるのか?」


 それから語るべくことは何もない。

 僕は体育館放送室から落下して、腕を骨折した。

 天岳先輩は舞台に立たなかった。

 岸山は僕の代役を見事に勤め上げた。

 そして、文化祭終了後。

 天岳先輩を含む三年生が演劇部を卒業し、

 それと同時に、僕は演劇部に顔を出すことはなくなった。


 演劇部の間に残ったのは、天岳先輩が僕を突き落としたという噂だけだった。

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