一日目 ♡ー6(1)

「君すごいな」

 部活が終わり、学校を出ようとしたところで背後から呼びかけられた。

 振り返って、まず目についたのは、赤に近い茶髪。桜日高等学校は進学校ゆえに校則には厳しい。となると、彼の髪色は、地毛でもない限り許される代物ではない。

「愛川くんだっけ。あのセリフ、いつ覚えたの」

 思わず顔を逸らした。誰も見ていないと思っていたからこそ、台詞をブツブツと暗唱していたのだから。

「昨日の夜」動揺を悟られないよう僕は、平静を装って答える。

「マジで?台本配られたの昨日なのに?もしかして前から演劇とかやってた?」

「一応、中学の時から」

 面倒な奴に絡まれたと思い、歩調を早める。

 だが男はペースを崩すことなく横をついてくる。名前は確か岸山恭介といったか。

「岸山くんは、中学の時は何部だった?」あまり適当に扱うのも気が引けて、半ば社交辞令的に尋ねる。

「岸山でいいよ。タメだろ」

 苦笑する岸山。

「中学まではバスケ部だった」

「続けようとは思わなかったのか」

「できればそうしたかったんだけど、怪我しちゃってな。まあ折角だし、違うことに挑戦してみようかなって」

「その挑戦が、あの部活でできると思うか?」

「……あきらかにやる気なさそうだったもんな」

 岸山も今日の部活動の惨状を思い出したのだろう。大げさに天を仰ぐ。

 本日の主な活動は、走り込みや発声練習などの基礎的なメニューをこなしたあと、夏休みに地域のイベントで発表する舞台のための脚本を読み合わせることになっていた。

 だがしかし、実際に行われたのは、携帯用ゲーム機を用いたゲーム大会だった。一応、体面を保つために、部活が終了する直前にグラウンドを一周走ったり、部長も練習に取り組むよう呼びかけてはいたが。

「つうか愛川くんこそ、なんであの部活に入ったんだよ」

「楽そうだから」

 桜日高等学校は、部活動への参加が強制されている。どうせ入るのであれば、ある程度の知識と経験がある部活に入った方がマシだと考えただけに過ぎない。

 そのことを岸山に説明すると、

「なんか、普通だな」

「岸山くんみたいに、世の中、チャレンジ精神に溢れている奴の方が少ないんだよ」

「何だよ。その才能をもって、部活を改革しようとか思わねえの?部長はやる気あるっぽいし。協力してくれそうじゃん」

 何の疑問もなく、そういい切る岸山。その言葉を聞いて、僕とは根本的にタイプが違うのだなと納得する。

「……僕に才能なんかない」

 そう否定するのが精一杯だった。

「俺みたいなビギナーからすれば、愛川は天才だよ」

 僕の言葉を聞いていなかったのか岸山は、さも当然のようにいった。

「折角だから三年間楽しくやろうぜ」と、岸山は、長年の友人のように僕の肩を叩くのだった。


 それからというものの、自然と岸山と過ごす機会は増えていった。それも当然といえば当然だろう。基本的に先輩方は、部活動に積極的ではない。

 となると、岸山が演劇について聞く相手は、経験者である僕と、部長である天岳先輩に限られていた。

「天岳部長も褒めてたぜ。やる気のある一年が入ったって」

「それは岸山だけだろ。僕は、三年間を適当に過ごせればいい」

「そう思ってんのは、お前だけだよ。先輩に比べりゃお前の方が数百倍はやる気あるっての」

 そんな話をしていると、天岳先輩が部室に入ってきた。

「才能の愛川に、努力の岸山じゃないか。二人して何を話してたのかな」

「何ですかその二つ名」

「自分が考えたんだけど。どう?」

 何ともセンスを疑う二つ名だった。

「最近の部活の話をしてたんですよ。入部した頃より雰囲気良くなったって」

「それは岸山のおかげだよ」

 そういって、天岳先輩は岸山の肩を叩いてから、窓の縁に腰掛ける。

 確かに天岳のいうとおり、岸山の働きかけもあってか入部当初に比べ、部内の雰囲気は変わってきていた。

 要はあるべき姿に戻ってきたというべきか。岸山を中心に、練習に真面目に取り組む生徒が増えているのは事実だ。

「それに愛川みたいに経験者が入ってくれたのも助かっている。いままで、ウチの部活は全員初心者だったから」

 天岳先輩は僕に一瞥を向けると微かな笑みを浮かべる。

「経験者とはいっても、僕はそこまで上手いわけでは……」

「愛川は自己評価低すぎなんだよ。天岳先輩もそう思いません?」

 岸山は、天岳先輩に視線で同意を求める。先輩はそれを見やると小さくうなずいた。

「愛川。君は中学の演劇部で、自分の演技に自信を持つようにといわれなかったか?」

「……ええ、まあ」

 なんてことのないように答えたものの、内心、天岳先輩の的確な批評に少し驚いていた。

「舞台というのは虚構の登場人物と現実に住む私たちが交差している特異な空間なんだ。

 虚構をもっともらしく成り立たせるためには、どうしても私たちという現実を混ぜる必要がある。

 そこに矛盾があったら困るんだ。例えば、受け身な性格の登場人物が、声量良くはきはきと話していたりしたら、愛川はどう思う?」

「……違和感ありますね」

「そう思うだろう。観客が舞台に見るのは、役者ではなくキャラクターなんだ。だからこそ、観客たちに違和感を抱かせてはいけない。そのズレを認識した途端、虚構は崩壊してしまうよ」

「なんか難しいこといってますけど、つまるところ舞台上で活躍するキャラクターと、自分の演じ方にギャップがあったら駄目ってことですよね」

「岸山のいうとおりだ。演技というのはかなり厄介なものでね、どれだけ隠していても『自分』が滲みだしてしまう」

 天岳先輩は僕を見ると、

「確かに、愛川は繊細な役を演じるのが上手い。だけど愛川の場合、キャラクターに寄り添っているのではなく、自身の性格をそのまま削って演じているんだ。

 自身を削るというのは諸刃の剣でね。そのまま自身を削りきってしまうと、大事な時に大切なものを見失ってしまう。

 だからこそ愛川は、演技の幅を広げるためにも、そして己を守るためにも、もう少し自分を認めてあげた方がいいと思うんだ」

 天岳先輩の発言は随分とスケールが大きいように思えたものの、言葉の意味は違和感なくすっと胸に入った。

「……ありがとうございます」

「もっとも、いまの言葉だって姉の受け売りみたいなものなんだけどな」

「へえ。先輩のお姉さんも演劇やってるんですか」

「ああ。いまは教師になるために勉強しているが、また姉が演じる姿を見たいよ」

 懐かしむように天岳先輩は目を細めた。

「二人とも期待しているからな」

 立ち上がった天岳先輩のスカートがひらりと揺れた。


 僕と岸山が発表会に出ることが決まると、天岳先輩は自分の事のように喜んでくれた。

 特に岸山の成長には目を見張るものがあり、高校まで演劇未経験であったにも関わらず、文化祭で行われる発表会に出演することとなった。

「ですが、天岳さん。俺なんかが準主役でいいんでしょうか」

「岸山の能力が正当に評価された結果だ。行き過ぎた謙遜は卑屈でしかない。岸山はもっと自分を誇るべきだよ。

 ――それよりも岸山。天岳さんって呼び方は変えてくれないか?どうにも気恥ずかしい」

「年上と尊敬してる人はさん付けで呼ぶってのが俺ルールなんで。勘弁してください、天岳さん」

 岸山はニヒルに笑った。

「……僕は呼び捨てなのかよ」

「いや、愛川は愛川だろ。同級生をさん付けとか、なんか嫌だし」

「……」

 そんな会話がありつつ、文化祭当日。

 舞台袖で出番までスタンバイしていると、何やら岸山が不審な動きをしている。

 ぶつぶつとセリフを呟きながら歩き回っているかと思えば、次の瞬間には口をきつく閉じ硬直している。

 見ているこちらの方が、不安になってきた。

「緊張しているのか」

「あのなあ。もうちょっと聞き方ってものがあるだろ」

 いま愛川が話しかけたせいで、台詞が一つ飛びかけたじゃねえかと愚痴る岸山。

「岸山が緊張するだなんてらしくないな」

「愛川は俺を過大評価しすぎ。これでもビビりなんだよ」

「だったら、緊張したまま演じればいい。お前の役は、人見知りの転校生だろ。虚構をもっともらしく魅せるには、真実を混ぜるに限る」

「いいたいことは分かるけどさ。俺はこれが初めて人前で演じる舞台なわけ。なんか緊張を紛らわすコツとかねえの?観客をジャガイモだと思う方法以外に」

 それなら、一つ簡単なコツがある。

「たかが文化祭の舞台だと思うこと」

「あのなあ。いくら何でもそんないい方はねえだろ」

 僕の言葉が気に入らないのか岸山は腹立たしそうにいう。

「たかが文化祭の舞台だからこそ――ハードルは低い。客だって劇団四季だとか二.五次元舞台を期待しているわけじゃないんだ。

 僕たちは僕たちなりの演技を見せればいい。要は気張るな。気楽に行こう」

 発破をかけるように岸山の背をたたく。

 すると突然、岸山は笑い出した。

「……なんだよ。笑ったりなんかして」

「いや、愛川がそういうことをするほうが、よっぽどらしくねえなって思ってさ」

 笑ったおかげで緊張もとけたのか、岸山の表情は幾分か柔らかくなっていた。

 館内に天岳先輩の長台詞が響き渡る。まもなく出番だ。

「じゃあ行くぞ」

 岸山が小さくうなずいたのを確認して、僕は舞台へと足を踏み出した。


 結論からいって、文化祭で行われた発表会は大成功だった。

 偶然文化祭に訪れていたメディア関係者の目に留まったこともあり、文化祭での発表以降、市民ホールなどで上演する機会もあった。

 これまでの活動から考えれば、十分に大躍進といってもいいだろう。

 市民ホールでの発表会からの帰り道、二人並んで歩く岸山と天岳先輩の後ろを僕はついていく。

「自分も姉さんみたいに舞台の上に立って、誰かを楽しませるのが子供の頃からの夢だったんだ。

 二人も見ただろう?自分達の舞台を見て顔を輝かせていた子供の姿を。今日の舞台は間違いなく誰かの胸に届いたんだ」

「ちょっと、天岳先輩、泣かないでくださいよ。まだまだこれからなんですから」

 悪いといって、天岳先輩はブレザーの裾で顔をぬぐった。

「愛川はどうだった?」

 振り向いた二人が同時に口を開いた。天岳先輩の瞳はまだ濡れている。

「僕も良かったと思います。文化祭の発表会で指摘された点は無事直せましたし」

「だな。ラストの愛川見て、俺も少し泣きそうだった。きっと先輩のアドバイスのおかげで良くなったんですよ」

 な、とこちらに同意を求めるように僕の肩を叩く岸山。認めるのは何とも照れ臭かったが、否定することはできなかった。

「来年もこの三人で舞台に出たいな」

 天岳先輩は小さくそう呟いた。

「当然ですって」調子よく岸山は答える。

 岸山がこちらに目くばせする。僕も小さくうなずいて、

「絶対出ましょう。今度はもっといろんな人に見てもらうんです。できるなら、天岳先輩が主演で僕と岸山が準主役で。そうやって桜日高等学校の演劇部は凄いんだって知ってもらいましょう」

 僕の言葉を聞いた途端、二人は笑った。天岳先輩の頬が赤く染まっているのはきっと夕日のせいではない。

 そんな先輩の横顔に少し、見惚れる。

 僕と岸山と天岳先輩で並んで歩く。

 青春なんて時代が全ての人間に等しく与えられているのだとしたら、僕たちにとっての青春は、この時だったのだろう。

 こんな美しい時間がいつまでも続くのだろうと、信じて疑わなかった。

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