一日目 ♢―6

「ありがとうございましたー」

 礼をしてお客さんを見送ります。昼食後のデザートとして食べる人が多いのか、クレープの売れ行きは順調です。

「石波さん。先に上がっちゃっていいよ」

 時計を見れば時刻は十四時。そろそろ交代の時間です。

「森野さん一人で大丈夫?」

「私はこのあと友達が来るから大丈夫。それに石波さんも委員会の方で用事があるんじゃなかったっけ」

 いわれてみればそうでした。このあと委員会で、明日の一般公開に向けて体育館を整備する仕事があります。

 森野さんのお気遣いに感謝し先にシフトを上がります。

 部活とクラス。二連続でシフトに入るのは流石に疲れました。ですが、このような苦労をしたのも全ては明日のため。

 明日はシフトをほとんど入れていませんから、一日中遊んですごすことができます。あくあちゃんと一緒に文化祭を回るのもいいですし、なにより演劇部の舞台もあります。

 それでは最後にもう一仕事、頑張っていきましょう。


 ジャージに着替えるために更衣室に入って、まず目に入ったのはロッカーの前に佇むおとぎ話の主人公でした。

 どこかお姫様然とした青いドレススカートに白いエプロン、縞模様のソックス。

 その姿はさながら幼い頃にアニメで見た不思議の国のアリスのよう。更衣室であるにもかかわらず、彼女が立っている場所だけメルヘンな空気が漂っているようにも感じられます。

 里音ちゃんのクラスの生徒なのでしょうか。興味本位に顔を覗き込みます。

 女子生徒もわたしの存在に気づいたのか、ロッカーに取り付けられた鏡越しに目が合いました。

 その瞬間、世界を動かす砂時計が止まってしまったような、そんな感覚に襲われます。

 お互い、どうにも気まずくて、口を閉ざします。

「だいや。少しいい?」

 静寂を打ち破ったのは、女子生徒――結愛ちゃんの方でした。

「だいやは、このあと用事ある?」

「委員会の方で、仕事があるけれど、まだ大丈夫。結愛ちゃんこそ時間大丈夫なの?」

「うん。――それよりだいやに、ちょっと聞きたいことがあって」

 更衣室にいるのは、わたしと結愛ちゃんだけ。内緒話をするには、うってつけでしょう。

 ましてや、いまからするような話をする場合においては、特に。

 結愛ちゃんは一度、浅く息を吐き、わたしの方へ向き直ると、意を決したようにいいました。

「だいや、四葉くんのこと好きだよね」

 結愛ちゃんの乾いた唇から洩れたその言葉を聞いた途端、のどに冷たい塊を詰められたような感覚に襲われます。

 口調こそ、こちらの様子を慮るような声でしたが、視線だけは、しっかりと私を見据えています。

「そんなことないよ。咲くんとは幼馴染で仲が良いから、そう見えるだけじゃ――」

「嘘はつかないで」

 結愛ちゃんは、わたしの言葉を遮るようにいいました。

 ……これ以上、黙っていても仕方がないでしょう。

「――いつから気づいていたの」

「なんとなく、だよ。だいやも四葉くんのことをよく見ていたでしょ。

 もっともいまのいままで核心はなかったんだけどね。だいやって嘘をつくとき、唇をかむ癖があるから」

 そういわれて、わたしは初めて無意識に、唇をかみしめていたことに気づきました。

「ねえ。だいや本当にいいの?」

「いいってどういう」

「私が四葉くんと付き合ったら、だいやは後悔しないの?」

 その言葉を聞いて、胃の底が急速に冷えていきます。

「……応援するよ。結愛ちゃんならきっと大丈夫だよ。わたしなんかより、結愛ちゃんの方が咲くんとお似合いだろうし」

「――そういういい方はやめて。好きじゃないから」

 いままで温厚に話していた結愛ちゃんが、初めてその口調を崩します。

「私さ。さっき、四葉くんに告白しようとした」

 唐突に、結愛ちゃんはそう切り出しました。

「でも駄目だった。間が悪くて」

 だから、と結愛ちゃんは言葉を続けます。

「明日の発表会が終わった後、もう一回四葉君に告白してみる」

「……どうして発表会のあとなの?」

「四葉くんに私の姿を見て欲しいから。それに、四葉くんが手伝ってくれなかったら、今回の舞台は成り立たなかったし」

 自分でいって恥ずかしくなったのか、結愛ちゃんは少し顔を赤らめます。

「そう、なんだね」

 わたしもぎこちない返答しかできませんでした。

 愛想笑いを浮かべていると、結愛ちゃんがこちらをじっと見つめていることに気づきました。

「どうしたの。結愛ちゃん」

「……だいやは、無理してない?」

「無理って、何が」

「こうやって、だいやは、私の話を聞いてくれるけど、嫌だと思ったら正直にいって欲しくて」

 こちらを気遣うように結愛ちゃんは優しくいいました。

 それがなんとも眩しくて、わたしは結愛ちゃんから視線を逸らします。

「……ごめん。さっきから上から目線ないい方しちゃって。でも私は、だいやと対等でいたいってそう思うんだ」

 自分の発言に思うところがあったのか、結愛ちゃんはそう付け加えました。

「……結愛ちゃんはすごいよ。わたしが結愛ちゃんの立場だったらそんなこといえない」

「そんなことない。私はいい人じゃないよ」

 思わず、否定したくなりましたが、結愛ちゃんは自己嫌悪するようにうつむいていました。

 これ以上、この話題について話してもお互いに否定しあうだけでしょう。

 話題を変えるために、わたしは一つ気になっていたことを尋ねました。

「結愛ちゃんは失敗することが怖くないの?」

 先ほど結愛ちゃんは告白に失敗したといっていました。どのような状況で行ったのかは分かりませんが、わたしだったらきっと耐えられないでしょう。

 それこそ、二度と告白なんてしないと考えてしまうほどに。

「怖いけれど、それよりも後悔したくないんだ。失敗したり傷つくことにおびえて、動かなかったら、きっと将来、自分のことが許せなくなる」

 結愛ちゃんは何か思うところがあったのか、拳を握りしめていました。

 その姿にわたしは、どうしようもないほどの差を感じます。そのくじけない強さはわたしが持ちえないものだから。

「だから、だいやも後悔しない道を選んで欲しい」

 後悔するのはもうこりごりなんだ。そういって、結愛ちゃんはわたしの頭を軽く撫でると、被服室をあとにしました。


 対等。

 ジャージに着替えながら結愛ちゃんの言葉について考えます。

 本当にわたしと結愛ちゃんは対等なのでしょうか。

 何にも行動しない、臆病なわたし。

 傷つくことを恐れずに、果敢に挑戦して、想いを叶えようと努力する結愛ちゃん。

 いったいどこが対等なのでしょう。

 何をもって結愛ちゃんは、わたしを対等だといったのでしょう。

 鏡に映るわたしのジャージ姿は、どうにもみすぼらしく見えました。

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