一日目 ♡ー5
「お疲れ」
岸山はこちらに気がつくと、手を振って自身の存在をアピールする。
岸山が待ち合わせ場所に指定したのは北校舎と南校舎をつなぐ、三階の外廊下だった。他に人の姿は無い。さながら文化祭の最中にわいたエアポケットとでもいうべきか。
真夏日も同然だった昨日とはうって変わり、今日の風はひどく寒々しい。ブレザーを着ていて良かった。
「部活の方はどうだ」
「まあ。ぼちぼちだな」
こうやって岸山と会話をするのは実に久しぶりだった。
だからだろう。僕も岸山もどことなく会話がぎこちない。
「愛川、こないだの模試どうだった?」
「A判定が出たから問題はない。もっとも岸山ほど頭は良くないから、気は抜けないけど」
「お前、相変わらず暗記だけで乗り切ってるだろ」
そんな社交辞令じみた、上滑りする会話だけが続く。
とはいえ、いつまでも益体のない話を続けるわけにはいかない。
ここまでの雰囲気を打ち払うように、大げさにため息をついてから僕はいう。
「いいから岸山、本題を言え。わざわざ呼んだのも、そんな話がしたいからじゃないだろ」
そう岸山を問い詰めると、彼は参ったなと頬をかく。
「だな。今日はお前に相談しに来た」
「何でお前らは僕を頼るんだよ」
豊倉、補永、窓野、石波に引き続き、岸山も、か。
僕の言葉に対し、頭の上に疑問符を浮かべている岸山に「こっちの話だ」といって、話の続きを促す。
すると、岸山は意地悪げに口角を上げ、
「脅迫状の件について、愛川、豊倉さんから探るように頼まれてるだろ」と、いった。
「お前、どこでそれを」
「豊倉さんは、そういう手回しを欠かさないからな。どうせ聞かれると思ってたから、先にいったまでだ」
そういって岸山は顔をしかめる。どうも豊倉に対して、良い感情を抱いていないらしい。
「『舞台を中止しなければ、悪漢岸山恭介は、愛川総司と同じ天罰が下るだろう』だっけ?まったく、どんなセンスだよ」
岸山は便箋に書かれていた部分だけ声音を変えて、内容をそらんじてみせた。
「つうか、俺が悪漢なら天罰食らわせていいだろ。俺を批判したいのか、舞台を中止させたいのか意味が分からん。中途半端だ」
「そういわれると、確かに雑だな」
僕が同意すると、岸山は苦笑した。
それから、岸山は一呼吸置くと、
「単刀直入に聞く。愛川は演劇部の中に犯人がいると思うか?」
「どうだろうな。ただの悪戯じゃないのか」
出来る限り平静を装って僕は答えた。
「かもな。だけど、もしもの可能性を考えるべきだ」
「……まず、犯人が演劇部にいるとは限らないだろ。それか案外、岸山のことが嫌いな奴が腹いせに書いたってオチかもしれないだろ」
「だけど、愛川が突き落とされた事件は、部内で処理された話だ。愛川の事件を持ち出す時点で犯人は二年生以上の演劇部だと考えている」
「なら、岸山。お前は誰が脅迫状を書いたと考えているんだ」
「俺は、去年、愛川を襲ったやつが犯人だと思っている」
岸山の出した答えは、皮肉なことに豊倉と一致していた。
「……考えすぎだろ。そもそも、それだと前にお前がいっていた話と矛盾するじゃないか」
「天岳先輩が、愛川を突き落としたって説か?それが間違ってるらしいって話を聞いてな」
「……そうか」
「そんでもって、愛川に一つお願いがあるんだけど」
「――何だ」
「俺が襲われないようにリハーサル中、見張っててくれよ」
岸山の唐突な申し出に、僕は沈黙するしかなかった。
「愛川が襲われたのは、リハーサルの時だったんだろ」
「そう、だけど」
風がふぶく。そのせいか、右腕に鈍い痛みが走った。
「だったら、俺が襲われるのもリハーサル中のはずだ。部活に顔出しがてら、犯人を捜してくれよ」
岸山は僕の肩をばしばしと叩く。僕はその手を振り払うと、
「――岸山。お前、河本辺りから、僕をリハーサルに連れてこいって頼まれているんだろ」
「まあな。後輩の頼みを無下に断る男じゃないんでね。――ま、前みたいに部活に戻れっていってるわけじゃあないんだから。ここは、俺の顔を立てるつもりで。頼むよ」
あまりにも僕が決まりの悪そうな顔をしていたのだろう。岸山は両手を合わせた。
これ以上、抵抗したところで、岸山は僕が首を縦に振るまで、手練手管、あの手この手を使ってくることは目に見えている。
「……分かった。リハーサルに顔を出してもいい」
諦めてうなずくと岸山は、言葉の内容が信じられないとばかりに、ぱちくりとまばたきをする。
「だけど、その代わり二つ聞きたいことがある」
「それくらいは当然答える。頼むのはこっち側だしな」
岸山がこちらの質問に答える気があることを確認して、僕は人差し指を立てる。
「一つ目。何で後輩に協力を頼まない?お前のことを慕ってる部員は多いはずだ。いくらリハーサル中とはいえ、事情を説明すれば理解してくれる奴もいるだろ」
河本の他にも岸山を慕っている後輩は多い。それに、二年より上の学年に犯人がいるのであれば、一年生に協力を依頼すればいいのではないだろうか。
「あくまで俺の考えは推測に過ぎない。愛川がいっていたように、案外、一年が犯人の可能性だってある。推測のまま行動して、事件を大事にはしたくない。
それに、演劇部の問題は俺たちの世代が原因だ。尻拭いくらいは自分でやっておきたいからな」
岸山の答えは、十分に納得できるものだった。
続いて人差し指に続き、中指を立てる。
「二つ目。何で僕に協力を頼む?去年の事故の件があるとはいえ、僕はもう部活を辞めている。いわば部外者だ。それに、」
それに、お前が本気になれば、脅迫状の犯人くらい自分で特定できるだろ。
――とは、いえなかった。
「部外者っていい方はないだろ。俺も愛川も、演劇部に起きた問題の元凶みたいなものだろうが」
僕がいい淀んだことも気にせず、岸山は不機嫌そうに呟く。
「……あと、これでも俺はお前のことを信頼している。下手に部活の奴を頼るくらいだったら、お前に協力してもらった方が安心だから」
そういわれてしまっては、こちらも返す言葉がなかった。
「……分かったよ。リハーサルの時に、体育館に行けばいいのか?」
「そ。十五時くらいには始まるから」
僕が部活に顔を出すのがよっぽど嬉しいのか、岸山はにやにやとした表情を崩さない。
この様子では、岸山自身、脅迫状のことはどうでも良いのかもしれない。
「じゃあ、そろそろ行くわ」
岸山は、腕時計を確認するとそう告げた。
「もう行くのか」
「お前みたいに俺は暇人じゃないんでね。部活も生徒会もあって忙しいの」
岸山はこちらに背を向けて、外廊下から立ち去ろうとしたところで
「――去年の事件。愛川は本当に犯人を知らないんだな」と、顔だけ振り向いて尋ねる。
いましがた思い出したかのような口調に反して、その視線はこちらに嘘をつくことを許しはしない、厳しいものだった。
「知らない。あれはただの事故だ」
「分かったよ。愛川がいうならそうなんだろ」
僕の答えを聞くと、岸山は取り繕うように破顔する。
本心を隠していることが分かる、そんな笑みだった。
「いい忘れてたけど、イチャイチャすんのも大概にしとけよ」
岸山は僕の首元を指さすと、ようやく外廊下を去った。
携帯のカメラモードを利用し、首元を確認する。
――先ほどから、何度か怪訝な視線を向けられているとは思っていたが、これが原因か。
首元には立派なキスマーク。
痣だけならまだしも、口紅までついていたのでは言い訳できない。豊倉め。
口紅を手の甲で拭ってから、ため息をつく。
「……行ってみるか」
そんな決意の一言は、誰に聞こえるでもなく、風に呑まれていく。
気が進まないことだけは確かだった。
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