一日目 ♧ー4
「体調は大丈夫か?」
手洗いから出ると、こちらに気づいた岸山は、スマホをブレザーの胸ポケットにしまった。
「……先ほどに比べればマシです」
「おっけ。腹痛くなったら、すぐにいえよ」
桐生と別れたのち、俺は岸山と共に被服研究部へと向かうことになっていた。
先ほどのような悲劇を二度と繰り返さないため、仕事内容を確認したところ、次の仕事は、生徒会が運営するSNSに文化祭の写真を載せることらしい。
これならばさして問題はない――と思いたい。
「さっきの配信見てたけどさ。あの焼きそばそんなに辛いの?」
「あれは食い物じゃありません。兵器です」
「マジか。あとで食おうと思って、桐生から焼きそば貰ったんだけどな」
辛い物が苦手だという話を聞いたが、正気だろうか。
「そういや、豊倉さんに鍵って渡したか?」
「いえ。まだ会えてないので、僕が持っています」
「おっけ。俺が渡すのもめんどいから、そのまま咲が持ってて」
そんな話をしつつ、被服研究部の教室に到着する。
被服研究部では、部員たちが自前で制作した衣装や、どこかの資料館から借りてきたであろう民族衣装が展示されていた。
その中の一部は実際に試着することができるらしく、現に黒板の近くでは写真撮影が行われている。しかし、チャイナドレスは如何せん際どすぎないか。
「折角ですし、四葉先輩も試着してみませんか」
被服研究部の生徒から、そんな誘いを受ける。
いや、僕はいいよ。と断ろうとしたところで岸山が、
「そうだな。ここで一枚くらい写真撮っておこうぜ」といった。
お前が決めるのかよ。と、怨嗟混りの視線で岸山を睨むが、気づく様子はない。
被服研究部の生徒も乗り気になっているらしく、既にいくつか服を見繕いだしている。
出来れば、あまり珍妙な格好ではないといいのだが。
「四葉せんぱいたちじゃないっすか」
間延びしたイントネーションで名前を呼ばれた。漆原だ。
「あれ、蒔絵ちゃんって被服研究部だっけ」
「生徒会であんまし出れてないんですけど、一応。せっかくなんで、きょーすけ先輩もチャイナドレスとか着てくださいよ」
「悪いけど、俺たちこの後もスケジュールが詰まっててさ。あんまり余裕ないんだよね」
ならば何故俺には衣装の着用を促したのか、はなはだ疑問である。
岸山に断られたのがショックだったのか、漆原はなおも食い下がる。
そんな二人の様子を見ていると、突然背後から、
「咲くん」
と、声をかけられた。
懐かしい声の響きに気をとられ、ワンテンポ遅れてから振り返る。彼女は俺の姿を認めると、ぱっと面を輝かせた。
小柄な体格、日本人形のようなおかっぱ頭、どこかあどけなさが残る顔立ち。
――石波だいや。
「だいや、おつかれ」
つい、癖で呼び捨てしてしまってから、はたと気が付く。
後悔した時には遅い。咲はだいやのことを『だいやちゃん』と呼んでいたのだった。
呼び捨てされたのが気恥ずかしかったのか、彼女の頬が少し赤くなる。
何とかリカバリしなければ。
「な、なんか珍しいね。咲くんがそんな風に呼ぶなんて」
もじもじと後ろで手を組むだいや。
――何だか、満更でもなさそうだった。なら無理に修正する必要もない。
そもそも思い返してみれば、幼馴染である彼女とは今朝、一度すれ違っている。そのときに呼び捨てした気がしないでもない。
「咲くん。ちょっと」
そういって、だいやはこちらにちょいちょいと手招きをする。あまり人に聞かれたくない話題について話すとき、彼女がする仕草だ。
俺は、漆原と岸山が相も変わらず話しているのを確認してから、彼女の隣へと移動する。
だいやも、周囲の人間を見渡し、誰もこちらに注目していないことが分かると、少しためらいがちに、
「咲くん。結愛ちゃんのことどう思っている?」と、尋ねた。
結愛。ここに来てまた知らない名前が出てきた。正直このあたりで一度、桜日校生の名前を整理したいところだ。
とはいえ、だいやに結愛って誰だよ、と聞くわけにもいかない。そのため、
「良い人だと思うよ」
と、無難な答えしか返せなかった。
「そ、そうだよね。うん。結愛ちゃんは良い人だし可愛いしわたしなんかよりずっと……」
わかりやすくだいやの顔色が曇った。これは相当落ち込んでいる。これこそリカバリが必要だ。
俺はだいやと目を合わせていう。
「でも、だいやが気にすることないよ。結愛さんには結愛さんの良さがあるし、だいやにはだいやの良さがある。人にはそれぞれ違った良さがあって、それは比べるようなことじゃないってことを教えてくれたのはだいやじゃないか」
「え、わたし咲くんにそんなこといったかな」
「ああ。いってたよ」
ただし四葉咲にではなく四葉成に、だが。
幼い頃、咲との間に絶望的な差を感じていた俺にとって、彼女の言葉は紛れもなく救いだったのだ。
「……ってどうした、だいや」
「ううん。いや、ごめんね。まさか昔の自分に励まされるとは思ってなかったから」
よくわからないが、本人が納得しているのならば、それでいいのだろう。
満足そうなだいやの横顔をなんとなく眺めていると、
「咲。写真撮ったし、そろそろ行くぞ」
振り向くと何故か岸山がチャイナドレスを着ていた。そしてその後ろでは漆原が満足そうな笑みを浮かべている。説得に成功したようだ。
しかし、岸山は俺とだいやを一瞥すると、
「や、悪い。邪魔したな。あとは俺がやっておくよ」
気まずそうに顔を逸らした。
「そんなことないですよ。次の教室に行きましょう」
「後輩の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬっていうからな。岸山恭介はクールに去るぜ」
格好つけたセリフも、その服装ではそれこそ格好がつかないと思うのだが。
とはいえ変に気を遣われるというのは、あまり居心地よくはない。
「わ、わたし、これからクラスの方へ行かなきゃだから。咲くんも先輩のところに行った方がいいよ」
「ああ。分かった」
先に教室を去った岸山を追うと、彼は二年三組の教室前にいた。
さしもの岸山もチャイナドレスで校内を巡る勇気はないらしく、いつの間にか制服姿に戻っていた。いつ着替えたのだ。
「これでも早着替えは得意なんだ。それもよりも咲。彼女はいいの?」
内心を見透かしたようなことをいう岸山に、俺はだいやがクラスの模擬店へと向かったことを伝える。
「じゃあしょうがないか。ならちょっと付き合ってくれ」
岸山が受付を担当している生徒に用件を伝えると、中から二人の生徒が現れた。
「忙しいところ、わざわざ時間を貰って申し訳ありません。ぼくは二年三組の補永刀麻といいます。昨日、岸山先輩が三組の教室を施錠した際の話をお聞かせ願いたいのですが」
補永と名乗る生徒は、岸山に対し随分と丁寧な挨拶をした。
いや、それにしても。
補永の付き添いなのだろうか。彼の隣にいる西洋人形を模したキャラクターのコスプレをしている彼女に、自然と視線が吸い寄せられる。
特に黄金とも呼ぶべき髪が否応なしに目を惹く。驚くべきことにウィッグや染髪ではなさそうだ。
横にいる彼女は、何か考え事でもしているのか、小刻みに足踏みをしている。
あまりまじまじと見るのも品がないとは分かっているのだが、彼女の外見は引力のような魅力を放っている。
彼女の方も、俺の視線には当に気が付いていたのだろう。目が合って、思わず気まずくなる。凛とした生気を発するその眼差しは、こちらに後ろめたさを感じさせるに、十分な効果を発揮している。
「えーっと。刀麻くん。なんで里音ちゃんはこっちを睨んでるのかな……」
鋭い視線に居心地の悪さを感じていたのは、岸山も同じようだった。
「岸山先輩にはいろいろお世話になりましたから。それと剣と呼んでください」
補永に代わって金髪の女子生徒、もとい、剣里音が答えた。視線の厳しさは相も変わらず、話し方にもどこか含みがあった。
「じゃあ、さっそく本題に入らせて頂きたいのですが」
「待て」
本題に入ろうとする補永の言葉を止めたのは、剣だった。
「どうした?剣も何か説明したいことがあるの?」
「岸山にじゃない。四葉に一つ聞きたいことがある」
「僕に?」
思わず、間抜けな声が出てしまう。
剣はいった。
こちらの後ろめたさを射抜くような、鋭い視線と共に。
「オマエ、本当に四葉咲か?」
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