一日目 ♡ー4

「なんだ窓野」

 先ほど買った文庫本を閉じ、廊下から呼び掛ける声に従って教室を出ると、そこには幼馴染の窓野瑠璃と小柄な女子生徒が並んでいた。

 ブレザーのエンブレムの柄を確認する限りだと小柄な女子生徒は二年生だろうか。演劇部の部員以外で接点がある下級生は少ないので、知らない人物だろう。

「で、何の用だ」

「恋愛相談」

 はにかむ窓野に対し、僕は呆れる一方だった。

「お前の暇つぶしに付き合うつもりはない」

「連れないこというなよー。総司だって暇そうじゃんか」

 否定はできない。暇そうな時間を狙ってシフトを入れたのだから当然ともいえるのだが。

「あと、あたしの恋愛相談じゃないし。だいやちゃんの恋愛相談だから」

「後輩で遊ぶなよ」

「この人、滅茶苦茶モテるからさー。参考になるかもしれないよ」

 僕の言葉が耳に入っていないのか、窓野は後輩に、僕の説明をしている。

 とはいえ、窓野の後輩も状況を掴めていないのだろう。どこか困ったような顔をしている。

「おまえ、また勝手に話を進めてきただろう。その、後輩も困っているじゃないか」

「あ、わたし石波だいやっていいます」

 何とも頓珍漢なタイミングでの自己紹介だった。

 改めて、石波と名乗った二年生の顔を見る。しかし、なぜだろう。どこかあどけなさが残るその顔には、気のせいだろうか。見覚えがあった。

「だいやちゃん。こいつが愛川総司。まあ有名人だから知っているかもしれないけれど」

 窓野が石波に僕を紹介する間に、これまでの出来事を反芻する。

 ホームルーム。密会。部長会。図書室。

 ――そうか。

「……君、部長会に出てくれた子だよね」

「あれ、総司。だいやちゃんのこと知っているの?」

 窓野は、僕が石波の事を知っていたことに驚いているのか、目を丸くしている。

「部長会にいたんだよ」

 そこまでいって、はたと気が付く。

「そもそも、窓野。被服研究部の部長っておまえじゃないのか」

「そうなんだけど。入試の関係で代理をお願いしたんだよ」

 窓野は石波の肩を叩くと、

「いい子だよ。本当」

 自分でその言葉をかみしめるように、呟いた。

 そんな彼女の姿を見て、僕は尋ねる。

「だったら、たまには先輩らしく、窓野が話を聞けばいいだろうが」

「内容的に、私よりも総司に聞いた方が、気の利いたことがいえそうだったから。それに、ほら。このあいだも話聞いてくれたし。もともと総司ってモテるイメージあるしさ」

「あの時は、お前が一方的にいいたいことをまくし立てていただけだろうが」

 平日の夜中に電話をかけてきて、そのまま朝日が昇るまで話を聞かされたこちらの身にもなってほしい。

「それに、総司も部活辞めるまで、色んな奴から話聞いてたじゃん。こういうことは得意かと思って」

「……別に、得意ではないんだけどな」

 それが、当時の仕事だっただけだ。

 一応、石波の話を聞く。

 とはいえ、見知らぬ男に恋愛相談をするというのは、なかなかどうしてハードルが高いと思われるのだが、石波は大して気にする様子もなく口を開いた。

 石波の話をまとめると、自分が想いを寄せる相手が、親友とバッティングしたとのことだった。

 石波からは、どこか天然そうな雰囲気を浮かべながらも、発する言葉の端々からは、どことなく悲観的な印象を覚えた。

「石波さんの友達や相手がどういう関係なのか、僕は詳しいわけではないからあまり具体的なアドバイスはできないけれど」

 そんないい訳めいた前口上を述べてから、告げる。

「石波さん、君がするべきなのは考えることじゃなくて行動だよ」

「行動ですか?」

「そう。話を聞く限り石波さんは、とても真面目で真摯な人だと思う。自分の気持ちよりも他人のことを優先できるのは、石波さん自身がどう思っているにしろ素晴らしい点だ。

 けれど、石波さんはその性格を動かないためのいい訳にしてしまっているんじゃないかな」

 石波は息をハッと飲み込む。

「もう少し己に対して素直に行動してもいいと僕は思うよ」

 まとめてみれば毒にも薬にもならない、凡庸な意見だった。

「すまない。ろくなアドバイスができなくて」

「いえ、ありがとうございます。参考になりました」

 苦笑しながらも、感謝の言葉を述べる石波。

 石波は、僕と窓野にお礼を言うと、模擬店のシフトがあるからといって、教室を去っていった。

 石波が視界から去ったことを確認すると、窓野は「やっぱり相談して良かった」と、楽しそうにいった。

「相談する時なんて、基本的に自分の中に答えがあるからな。結局、相談なんてものは、選択からの逃避だよ」

「何?どういうこと?」

 僕の言葉が気に食わなかったのか、窓野は不満のこもった視線をよこす。

「言葉のとおりだ。これまでの人生の中で積み上げてきた己なりの価値観と、世間一般での正しさが矛盾していると、人は選択を他人に委ねる。僕がやっているのは本人の代わりに選択することだけだ」

 石波にしてもそうだ。

 彼女は説明をする際にアレコレといい訳を並べていたものの、結局は我が身が可愛いだけだ。傷つきたくない、ただそれだけ。

 故に石波は窓野や僕に相談をした。選択を他人に委ねることで、自分は責任から逃げたのだ。こうすれば後でいくらでもいい訳が効く。

 そんな説明を窓野にすると、

「総司は何でそんな捻くれた考え方するのかな。私からすれば、総司のアドバイスは人に勇気を与えているよ。他人のアドバイスに耳を傾けることだって、結局は本人が決めることだし」

 もっと総司は人を信じていいと思うんだけど、と窓野は締めくくった。

 それから窓野も用事があるのか教室を去った。


 教室から客足が途絶えたところで、改めて文庫本に向き直るものの内容はさっぱり頭に入らない。

 結局は本人が決めることだし。

 先ほどの窓野の言葉が脳内にこびりついて離れない。

 きっと、彼女は、自らの選択を後悔したことがないのだろう。故に、能天気な台詞を吐ける。

 選択には痛みを伴うことを。

 それならば、他者に隷属した方がよっぽど楽であることを。

 もっとも、それは豊倉と僕の関係のことかもしれなかった。

 思考が徐々に深みへと落ちていくところで、無粋な振動音が意識を現実へと戻した。その音は、ポケットの中の携帯端末から発せられている。

 豊倉からだろうかと思い、送信者の名前を見て少しだけ息が止まった。

 メッセージの送信者は、岸山恭介からだった。


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