一日目 ♤ー4
体育館へと到着すると、館内には演劇部に所属する生徒たちが、午後から行われるリハーサルのために集まっていた。セットを準備する生徒たちの中に目的の人物を見つける。
彼はこちらに気づくと手を挙げた。
「お、補永か」
「お疲れ様です。松林先輩」
松林先輩は、快活な笑みでぼく達を出迎えた。松林先輩に会うとその体格に圧倒される。
身長は百九十センチあるらしく、ぼくはどうしても見上げる形になる。
一方で剣は「……こんちは」と、挨拶を小さく口にする。彼女は、松林先輩のようないかにも体育会系の人間が苦手だった。剣も女性にしては背が高く、百七十センチはあるのだが、流石に松林先輩にはかなわない。
剣の態度に、松林先輩はさして気分を悪くする様子はない。おおらかとでもいうべきか。
「だいたいの話は、補永のクラスの文化祭委員から聞いている。着ぐるみがなくなったんだってな」
お前らも大変だな、と同情するように首肯する松林先輩。
事件の流れについて確認すると、先輩の言葉のどおり、既におおよその事情は盾屋さんから説明されているようだった。
挨拶もほどほどに、本題へと入る。
「着ぐるみを見たのは、確か午後七時四十五分くらいだったな。」
現場は、体育館横の水道。松林先輩が水を飲んでいる最中だったという。
そして北見さんが着ぐるみとすれ違った時刻が、確か午後七時三十五分頃。なるほどつじつまはあう。
「着ぐるみを被ってるなんて、変な奴もいると思ってな。声かけたんだよ。返事はなかったがな」
返事はなかった。北見さんの証言と同じだ。
先ほど、北見さんから聞いた情報を思い出し、こちらからも質問を投げかける。
「その着ぐるみですが、何か荷物は持っていませんでしたか?」
「荷物?そんなものは持っていなかったと思うが……」
首をかしげる松林先輩。
ともなると、着ぐるみは荷物をどこに置いたのだろうか。
「結構遅い時刻まで残ってたんですね」と、剣が松林先輩に尋ねる。
「いや、一年共がヘマしてな。色々確認をしていた」
「完全下校まではあまり時間がないのに」
「まあ。そこは色々あってな」
剣の問いに対し松林先輩は、言葉を濁した。
桜日高等学校の完全下校時刻は午後八時ちょうど。片付けなどもあるため大半の部活動は基本的に午後七時に終了する。
剣も奇妙なことを聞くものだ。
「こんな話をしてると、なんだかミステリ小説みたいだな。文化祭ってのがいい」
そういって松林先輩はいくつか、小説のタイトルを口にする。それらは全て文化祭が舞台となっている作品だった。クドリャフカに、マジョリカ、オクロックに小夜子などなど。
「今回の舞台は結構出来が良いミステリでな。補永もミステリ好きなら見に来るといい」
その言葉には渇いた笑いを返すほかなかった。
「先輩はどんな奴が犯人だと思います?」
改めて、ぼくは松林先輩に冗談めかした口調で尋ねる。
「そうだな。こういういい方は良くないかもしれんが――愉快犯ってオチはつまらんだろう。文化祭にひと噛みしたいんだったら、部活やクラスの方に精を出せばいいだろうしな」
松林先輩は顎髭を擦りながら答えた。誰もが文化祭に正攻法で関わりたいわけではないとは思うが、あえて追及はしない。
「ま、なんにしても犯人には何かのポリシーがあると思うぞ」
「例えば部員の誰かに恨みがある奴とかですかね」
唐突に剣が口を挟んだ。
部員?恨み?
なんだろう。その言葉選びは。いまの剣の言葉は、これまでの話とあまりにも噛み合っていない。
それはさながら、剣の中では既に結論が出ていて、その答え合わせをしているような。
思わず、剣の方を見る。彼女の視線は、松林先輩を真っすぐに捉えていた。
松林先輩の方へと向き直ると、先ほどの剣の失礼な挨拶には何もいわなかった先輩が、いまの発言には、眉根をひそめていた。
「ったく。どこまで話を聞いているかは知らんが、余計なことを聞くんじゃない。それはこちらの問題だ」
「必要なことを聞いたまでです」
怒気をはらんだ松林先輩の問いに、剣はどこ吹く風といわんばかりに答える。
二人の間に険悪な空気が流れだしたところで、松林先輩は時間が押しているからと、強引に会話を打ち切った。
居心地悪くなったぼくたちは早々に体育館を後にした。
「剣。さっき松林先輩に何を聞こうとしたんだよ。それに、北見さんにも『演劇部の人間が怪しい』とかいっていたし。らしくないじゃないか」
「トーマには関係ないことだ。オマエは、着ぐるみの居場所を考えてくれればいい」
「む」
剣の棘のあるいい方に少し傷つく。
剣にはこれ以上の説明をするつもりはないらしく、機嫌悪そうにそっぽを向いた。
こうなった時の剣は厄介で中々機嫌を直してくれない。コスプレ衣装もあいまって、格好だけ見れば、さながらおとぎ話に登場するわがままなお姫様だ。
なんとなしに剣の横顔を窺う。
凛とした相貌には、幼い頃のいたいけな印象は一切なく、昔の剣はいないのだなと少し寂しい気持ちになる。
横顔をじっと眺めていたのが、剣にとっても気にかかったらしく、
「珠之宝賀先生としては、この着ぐるみ事件どう考えてるんだ?教えろよ。オレにばかり聞いてないで」と、不満げに呟いた。
「流石に情報が少なすぎるよ。分かるのは犯人が男子生徒であるくらい」
「これじゃあミステリ作家も形無しだな」
「剣はミステリ作家を何だと思ってるんだよ」
ぼくがそう問いただすと剣は、ペンネームを本名のアナグラムにしているような単純な奴に聞いても無駄かと、ひとりごちた。
ペンネームがアナグラムの作家すべてに謝ろうよ。
とはいえ、珠之宝賀、TAMANOHOUGA、HONAGATOUMA、補永刀麻。知り合いが見れば一発でネタが割れるのは間違いない。
現にそれが理由で、ぼくが作家になったことが剣に露見しているのだから。
そのことを考えると、ぼくは剣が珠之宝賀の正体を突き止めた時のことを思い出してしまうのだった。
「これ書いたの、トーマだろ」
高校に入学して早々、そういって剣はぼくに一冊の文庫本を差し出した。
『離れ行く季節に』著者、珠之宝賀。
同時に自分でも己の表情がこわばったのが分かった。
「……どうしてそう思ったのかな」
否定しないんだな。剣はそう呟くと、いつもの粗野な口調ではなく、落ち着いた声音で淡々と説明を始める。作中の舞台がぼくたちの住んでいる街や学校と酷似していること。登場人物が探偵役をつとめるきっかけとなった事件が剣と同じこと。そして、作者のペンネームがぼくの名前のアナグラムであること。
剣は常日頃から、学校内外で起こる事件を解決してきたこともあってか、この程度の推理は造作もないようで、ぼくは彼女の言葉を否定するすべを持たなかった。
ただ一つ、剣の言葉遣いや口調が、出会った頃と同じ、寂しげな口調に戻っていた点だけがいつもと違っていた。
「……なあ、トーマ。私はもう必要ないのかな」
剣は、珠之宝賀の正体がぼくであることを証明し終えると同時に、泣き笑いを浮かべる。
「私はトーマに格好良いっていってもらうために探偵を目指したんだ。それなのにトーマが自分で理想の探偵を作りだしたら私のいる意味なんてない」
剣は文庫本を握りつぶしてしまいそうなほど、力強く握った。
考えるよりも先にぼくはその手を取る。不安に揺れる彼女と目が合った。
「……そんなことない。剣がいたから、剣が誰かのために謎を解くから、その姿に憧れてぼくも頑張りたいって思えたんだ」
孤独だった彼女に探偵という役割を与えたのは、ぼくだ。
「ぼくにとって理想の探偵はいつまでも剣里音だよ」
そう伝えると剣は目を閉じた。
「相変わらずトーマはオレを口説くのがうまいな」
しばらくして、再び見開かれた剣の瞳には確固たる意志が戻っていた。
「変ないいかたしないでくれ。誤解を招く」
「まったく。これだからトーマは」
呆れながらもどこか嬉しそうに剣は笑うのだった。
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