一日目 ♧ー3

 目の前に積み上げられるは、赤き地獄であった。

 本来ならばウスターソースによって彩られているはずの麺は、禍々しい赤色に染め上げられており、食欲を刺激するはずの香ばしいかおりは、いまや劇物のごとき刺激臭へと変化している。

「それでは、四葉会長、実食です!」

 放送委員の声と共に、俺は箸を恐る恐る地獄へと近づける。

 まったく、どうしてこんなことになってしまったのだろう。



 桐生に連れられてやってきたのは、体育館横に設置された屋台だった。

 段ボールで作られた立て看板によると、どうも焼きそばの屋台であるらしい。

「昨日も説明しましたが、四葉先輩には放送部の企画に出てもらいます」

「企画?」

 桐生に思わずオウム返しをしてしまう。

「ええ。放送部の方にも既に屋台へと来ていただいています」

 桐生が指し示した先には、マイクを持った男子生徒と本格的なテレビカメラを持った女子生徒がいた。

 これからの日程を確認する様子を装って、文化祭のパンフレットを確認すると、放送部が文化祭の様子を動画サイトで生配信しているとのことだった。

 へえ。桜日高校は、こんな取り組みもしているのかと感心したのもつかの間。

「さあさこちらへ」と、放送部の生徒に、屋台の隣に設置された簡易ステージへと案内された。

 もっとも簡易ステージとはいっても、長机が一台とパイプ椅子が三つほど並べられただけなのだが。

「んじゃ、昨日の打ち合わせどおり、四葉先輩が焼きそばを食べるってことでいいんですよね」

 席へ着くと、リポーターを務める鳥井という生徒が俺に確認を促した。

 企画だなんていうからこちらも身構えてしまっていたのだが、何のことはない。ただ食事をして感想を述べればいい。

 大勢の人前に立つわけではないから、開会式よりもリラックスして臨むことができる。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 俺がそう答えると同時に、

「地獄級一丁!」

 そんな野太い声が屋台の方から聞こえてきた。

 何故だろう。とてつもなく嫌な予感がするのだが、聞き間違いだろうか。

 配信が始まるまで、いましばらく待機といった状況になると、「おつかれさまです。四葉くん」と声をかけられた。

 声のする方へ振り向くと、長い黒髪の少女が髪の先端をいじっていた。白い肌も相まってか、清楚系という言葉が一番イメージに適している。

「時間が少し空きまして。様子を見に来たんですけど」

 そう答える彼女に、俺が「ありがとう」と返すと嬉しそうに笑った。清楚であるはずなのに、浮かべる笑みはどこか蠱惑的も思える。

 彼女の様子から察するに、咲とは親しいのだろう。

「漆原さんから聞いたけど、四葉くんも大変なことやるんですね」

「そう?」

 たかだか食レポだろ。まあ、芸能人のように言葉巧みなコメントはできないだろうが。

「いや。前に恭介先輩と一緒に話したときに、二人して『辛いものは苦手だー』っていってましたから。もしかして練習とかしたんですか?」

 俺はともかく、咲は辛いものが苦手だ。カレーはバーモントカレーの甘口しか食べられない。

 そして練習という言葉が引っかかる。

 そんなことを考えていると、彼女は屋台のほうを見て「これは……」と、顔をしかめていた。

 つられて鉄板を見れば、白いハチマキを頭に巻いた生徒が『危険。人にかけるべからず。特に目』とラベルに書かれた深紅のソースをなみなみと麺にかけていた。

 ただならぬ気配を悟ったのだろう。

「じゃ、四葉くん。私、演劇部のほうに行かないといけないので。また後で」と彼女は逃げるように去っていった。

 そういえば名前を聞きそびれたなと、どうでもいいことを考えつつ、取り残された俺は近くにいた桐生に尋ねる。

「あの、桐生くん。僕が食べる焼きそばって」

「はい。激辛焼きそばです」

 桐生はさもありなんといった様子でそう答えるのだった。



「続いては、一年三組さんの『金井さんちの焼きそば屋』に来ています!」

 放送が始まると、リポーターが模擬店についての説明を意気揚々と始める。ちなみに金井とは、一年三組の担任のことらしい。

 リポーターがひととおり模擬店の説明を終えると、カメラがこちらに向けられた。

「今回は、特別企画『生徒会長、地獄級焼きそばを食す』ということで、特別に激辛焼きそばを用意させていただきました!」

 その言葉と共に目の前に山盛りの焼きそばが置かれる。

 咲の奴、こんなイベントを楽しみにしてたのかよ。

 この通称地獄級焼きそば。試作中に、男子生徒たちが遊びでつくったものらしい。頼むからそのクリエイティブ精神をこんな場所で発揮しないでくれ。

「四葉会長、完食の自信は?」

 んなもんねえよ、といいたくなるのを我慢して、

「……一生懸命頑張ります」と、突き付けられたマイクに答えるのが精一杯だった。

 俺の言葉に満足したのか、リポーターはスコビル値がいくつだとか、ブートジョロキアがどうだとかといった説明を嬉々として続けている。

 その横で、俺は背後にたたずむ桐生に耳打ちする。

「なあ、これ本当に食べていいやつなの?」

「口に入れても大丈夫な奴です」

 食べられるとはいってくれねえのな。

「それに昨日の試作品よりは辛くないはずです」

 昨日も食ったのかよ。

 じゃあ、咲が体調を崩したのって、この激辛焼きそばが原因なんじゃねえか?

 いまからでも、普通のソース焼きそばに変えてくれねえかな。

 願いを込めた視線を桐生に向けるものの、彼がそのことに気づく様子はない。

「それでは、四葉会長実食です!」

 その声と共に、俺は箸を恐る恐る焼きそばへと近づける。

 まったく、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 焼きそばから目をそらすと、見物に来た物好きな生徒たちが、まだ食べないのかという視線をこちらに向けていた。

 こうなってはうだうだしていても埒が明かない。抵抗しないことが一番の抵抗と聞いたこともあるし。

 覚悟を決めて口にする。

 ……。

 意外と大丈夫。

 そんな余裕めいた考え浮かんだ瞬間、口内が爆ぜた。

 そして痛みは全身へと連鎖していき、臓腑が破裂する。

 にわかに死を覚悟すると、さながら走馬灯の如く思い出がよぎる。茫漠とした意識の中、昔読んだ、じごくのそうべえという絵本を思い出していた。地獄に落ちたそうべえたちは色々あって鬼に飲み込まれるのだが、彼らは鬼の身体から脱出するために、腹の内側から鬼をつつくのだ。

 そんな感じで、腹の内側から多くの人間につつかれているような痛みが走る。

 いや、つつかれているなんて生易しいものじゃない。刺されているといった方が正しい!

 っていうか、なんか目が痛い。肌が痛い!

 こうなると、いますぐにでも吐き出してしまいたいのだが、自身の醜態が多くの人間に見られるとになるとそうもいかない。

 退くも地獄、進むも地獄といった感じだ。

 震える箸さばきで焼きそばをつかみ、機械的に口の中に入れていく。

 焼きそばを口にするごとに体が異常を告げる。額には脂汗が滲み、いまや全身に寒気すら覚えている。

「おっと、四葉会長ペースが落ちています!」

 おぼろげに、頑張れー会長ーとギャラリーから声援も聞こえる。

 ああ逃げ出したい。開会式のどこが人生最大の危機だ。

 意識が徐々におぼつかなくなる。

 そしてすべてがまっしろになった。


 放送部の配信終了後。

「お疲れ様です」

「……あ、あぁ、ありがとう……」

 体育館の入り口で座り込んでいる俺に、桐生が差し入れとして牛乳をくれた。

「完食されましたけれど、大丈夫でしたか」

 桐生によれば無事完食したらしい。

 らしい、というのも後半、焼きそばを食べた記憶が無い。いまだに桐生の言葉を事実として認識できていない自分がいる。

「……大丈夫じゃない」

 すでにもうおなかが痛い。

「自分も半分が限界だったので……。我ながら恐ろしいものを作ってしまいました」

 自分で食べられないものを人様に食わせるな。

 つうか、桐生が作ったのかよ。そう考えると、なんとも憤懣やるかたない思いに駆られる。

「それにしても、企画を受けてくださりありがとうございました」

 改まった口調で桐生は礼をいう。

 咲であれば「気にしないで」とでもいうのだろうが、生憎いまの俺にそんな余裕はない。

 そのためか思わず、

「……なんで、俺に企画を頼もうと思ったんだ。別に岸山でもよかっただろう」と、素の口調で尋ねていた。

「先輩が生徒会長だからというのもありますが……。何よりも四葉先輩自身がこの文化祭でいろいろなことに挑戦してみたいとおっしゃっていたので。――って四葉先輩?」

 苦笑する俺の様子が変だったのか、桐生が顔色を窺う。

「なんでもない」

 その言葉は、咲らしいなと思っただけだ。

 積極的に物事へと挑戦していく姿は、俺の知る四葉咲像と一致する。

 だからこそ、昨日、鬼気迫る表情で咲が俺に影武者を頼んだことが、違和感としてより際立つのも事実であった。

「あと、あの激辛焼きそば。好評そうですので明日、一般の方にも販売しようかと考えているのですが」

「やめとけ」

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