一日目 ♡-3
音楽室のカギを職員室へと返却したのち、考えをまとめるために図書室へと出向く。
図書室は、昨年まで文化祭のあいだ荷物置き場として使われていたため、人の姿は無いと思っていたのだが、どうやら今年は図書委員主催でバザーをやっているようで、にわかに賑わっていた。これでは、集中しようがない。
とはいえこのあと行くところもない。そう考え図書室に入ると見知った顔から声をかけられた。
「愛川先輩じゃないっすか」
「あれ、河本って図書委員だったのか」
河本耕平。一年には数少ない面識のある後輩で、僕自身、岸山の紹介でこれまでにも幾度か顔を合わせたことがあった。
本人の言によると、何でも二年前、僕と岸山が出演した舞台を観たことがきっかけで、この桜井高等学校に入学を決めたらしい。もっとも、河本が入学した頃には、僕は部活を退部していたのだが。
「よければ何か買っていってくださいよ」
「仕方ないな……」
出品されている商品の中から、最近出版されたアンソロジーの文庫本を手に取った。
「ああ。その本。今年の舞台の脚本を書いてくれた作家さんの短編が載ってるんすよ」
「――えっと、珠之なんとかっていう名前の」
そういえば読んだことがない作家だ。あとで暇つぶしがてら読むことにしよう。
改めて、河本を見やる。
岸山としても、やはり自分を慕ってくれる後輩はかわいいものらしく、会話の中で河本の名前はよく上がる。
何でも休みの日は一緒に遊びに行くこともあるようで、河本は岸山と十分親しい人間であるといえる。現にどこか軽く聞こえるその口調は、どう考えても岸山の影響だろう。
岸山の近況を探るうえで、河本は要確認の人物であった。
丁度いい。それとなく探りを入れよう。
「なあ、河本。前にいってたオーディションの方はどうだったんだ?」
「流石に駄目でした。恭介先輩は褒めてくれたんすけど」
照れたように河本は頭をかく。
「あいつは人に甘いからな。話半分に聞いておいた方がいいぞ」
「な。酷いこといわないでくださいよ」
ショックを受ける河本。ころころと表情が変わるその姿は、見ている分には面白い。
「そもそも、岸山本人はどうなんだ。人にかまける割にどっかぬけてるんだから」
……この質問は、少し露骨すぎただろうか。
しかし河本は気にすることなく答える。
「そんなことないですって。あの人が気配りの天才なのは、愛川先輩が一番よく知ってるでしょうよ」
ここで河本は何かを思い出したかのように、そういえば、と続ける。
「でも恭介先輩、最近ちょっと機嫌が悪そうでした」
脅迫状の件が原因だろうか。
「昨日の部活終わりにちょっと揉めてたのを見たんですよ」
「へえ、岸山にしては珍しい。誰と揉めたんだ?松林か?」
もしここで、岸山が部員に対して厳しい発言や行動をとっていたのであれば、逆恨みした部員が脅迫状を書こうと思うのではないだろうか。
そう期待して、河本の言葉を待っていると、
「茜先生とです」と、答えた。
そうか、と僕は小さくうなずく。これでは参考にならない。後で豊倉に先日の練習について確認しておくとしよう。
「つっても、今日には何ともなかったかのように、ケロッとしてましたけど」
岸山らしいといえばらしい。
つまり変わったことはない、ということになるのだろうか。
「それよりも愛川先輩こそ、何で図書室に来たんです?見たことろ、バザーが目当てってわけでもなさそうですけど」
「ちょっとした雑用」
まさか、脅迫状が云々で、お前の師事する先輩が誹謗中傷されていて、なんて説明をするわけにもいかず、適当に言葉を濁す。
「ま、この調子じゃ図書室を使うわけにもいかないから。また放課後にでも来るよ」
「そんなつまんない雑用なんかより、部活に顔出してくださいって。折角の文化祭なんですから」
「何か教えて欲しいんだったら、岸山の方が分かりやすいぞ」
「いや、OBとして遊びに来てくれるだけでいいんですって。俺や部長以外にも、先輩のファンはいますから」
そもそも、俺みたいな男のファンの方が少ないんですって、と付け加える河本。
「OBって……。僕は途中退部した不良なんだから。そんな適当な奴が部活に顔を出すわけにはいかないよ」
――もっとも、これはいい訳でしかないのだが。
「愛川先輩、考えすぎですよ。そんなこと気にする奴、ウチの部活にはいませんから。ってか、愛川先輩、元部長なんですから松林先輩とかに注意してくださいよ。あの人すぐに後輩いびり出すんですから」
僕の内心を知ってか知らずか、河本は呆れたようにいう。
そして河本は「これは、ここだけの話にしておいて欲しいんですけど」と、前置きをすると
「恭介先輩、愛川先輩が部活に戻ってきてくれるんじゃないかと期待してたんですよ。今回の舞台だって、『俺より愛川先輩が演った方が面白くなった』なんていってましたし」
「岸山も嫌な奴だな。いまの部員を信用してないってことだろ」
「うがった見方をし過ぎですよ。単に愛川先輩が演じてるのを見たいって話でしょうよ」
河本は静かに呟いた。
「そもそも、岸山もいまさら、何をいってるんだろうな」
部活に行かなくなって、部活に戻る気がないことは何度も岸山に伝えている。
「そんだけ恭介先輩としても、愛川先輩のことを頼もしく思っていたんじゃないんすか」
「あいつが?それこそらしくないだろうよ」
大抵のことは一人でこなせる奴だ。僕を必要とする理由が分からない。
それを聞いた河本はかぶりを振っていう。
「愛川先輩は『頼もしさ』を実務的な意味で解釈してるんでしょうけど、多分、恭介先輩のいうところの『頼もしさ』って、そばにいてくれると安心する的な意味だと思いますよ」
まさか、と僕は笑う。
一年前の舞台。事故によって怪我をした僕の代役を務めたのは岸山だった。
岸山は、あれだけ、「愛川がいねえとやりづらくて仕方がない」といっていた癖して、難なく自身の性質とは真逆の陰鬱な役を演じきった。
そんな彼の姿を観客席から観た僕は確信したのだ。
僕がいなくとも岸山は、舞台を続けるだろうと。
「それこそ、いまさらだろうよ。僕の分まで、岸山が頑張ってくれるはずさ。あいつの方がよっぽど僕より、才能もあるしな」
センチメンタルに浸りつつ、ふと教室の壁時計を確認すると、時刻は間もなく十一時に迫ろうとしていた。そろそろ、クラスの模擬店のシフトに入らなければいけない。
クラスの模擬店という言葉と共に、ふとここで一つ思い出したことがあった。
「そういえば河本。ウサギの着ぐるみって見た覚えあるか?」
「なんすか?それ」
「いや、豊倉のクラスの模擬店で使う予定だったらしいんだが、今日の朝、無くなったらしくて」
補永から聞いたことを説明するも、河本はいまいちピンときていない様子だった。
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