一日目 ♤ー3

「だから嫌だったんだよ……」

 部長会を終え、教室に戻ると、そこには西洋人形、もとい剣里音がいた。

 剣は屈辱に耐えるように唇をかみしめ、顔を真っ赤に染め上げている。目つきの悪さもメイクによって平時と比べると、穏やかなものに変わっていた。

「かわいいから問題ないって。いやはや、前からやってみたかったんだよね。剣なら絶対こういう格好も似合うって思っていたからさ」

「横暴が過ぎる……。この模擬店自体お前の趣味みたいなものだろうが……」

「趣味と実益は兼ねたいからね」

 剣の文句を耳ともせず、シスター服の盾屋さんは、慣れた手つきでテキパキと剣にメイクをこなしていく。

 お人形のようなフリルの衣装に、青いドレススカート。胸元に輝くエメラルドのペンダントのおもちゃも、いまはその価値を本物と同等にさせる。

 お世辞でなく、剣の姿は本当に似合っている。いや、似合うというレベルなんてものじゃない。

 彼女の格好は、数年前に放送していた、深夜アニメの主人公のコスプレだと思うのだけれど、二次元の世界から、三次元へとそのまま飛び出してきたといわれても、思わず納得してしまう出来だった。

 その出来にクラスメイトからも――主に女性陣から――ため息まじりの感嘆が漏れる。

 衣装の完成度の高さに、思わずぼくは盾屋さんに質問する。

「この衣装は盾屋さんが作ったの?」

「もちろん。我ながら最高傑作」

「着るかどうかわからないものをよく作ったな」

 自信ありげに答える盾屋さんに対し、剣は憎たらしげに口を挟む。

「そこは愛よ」なんてことの無いように、盾屋さんはいう。

「っていうか、そもそも何で剣がコスプレしてるんだよ。散々しないっていってたのに」

「着ぐるみがないんだからしょうがないでしょ。剣はうちの稼ぎ頭として頑張って貰わないと」

 剣は何もいわず、ただただ頭を押さえている。本当に目が死んでいる。

 盾屋さんはそんな剣の様子を気にすることなく、ぼくの方へ向き直った。

「じゃあ、次は刀麻の番。はい、これに着替えてきて」

 そういって盾屋さんから、燕尾服のような衣装を押し付けられる。

「ちょっと。ぼくもコスプレするの?聞いてないんだけど」

「あんたみたいな何の特徴もない奴が、剣の横を歩いていたら、悪目立ちするでしょうが」

「……」

 ごもっともだった。

 衣装を受け取り男子更衣室で着替えた後、ウィッグなど、細かいセットは全て盾屋さんに任せる。

 彼女のお人形になること数分。

「はい、これでばっちりでしょ。流石あたし。天才ね」

 盾屋さんから渡された手鏡に映っていたのは、青い髪色の執事だった。

 一瞬、鏡に映っている自分を己と認識できず、なんとも落ち着かない気分になる。

「なんだか、服に着られているみたいで恥ずかしいけれど……」

「そこは慣れよね。おまえら全員、俺を見ろ!って、心持ちの方が案外緊張しないものよ」

「意外とさまになっているな、からかってやろうと思っていたのに」

 ぼくの装いが似合っていたのが不満なのか、剣は口をとがらせている。

 どうやら、そこまでひどい姿ではないようで、少しばかり安堵する。

 改めて、剣は盾屋さんの方へ向き直った。

「それで、盾屋。着ぐるみについて知ってそうな人間の情報は集まったのか?」

 どうもぼくの準備ができたところで、確認をする手はずになっていたようだ。

「あたしが確認できた中で、着ぐるみを見たといっていたのが、二年四組の北見千佳と三年で演劇部の松林慎之介先輩。それと、教室の施錠を確認してくれた三年の岸山恭介先輩が話を聞かせてくれる」

「よりにもよって北見と岸山か」不満げに呟く剣。

「松林先輩なら何度か話したことがある。岸山先輩は名前しか知らないや」

 ぼくたちの答えを聞いた盾屋さんは、納得したように手を打つ。

「おっけ。恭介先輩は、あとで教室に来る用事があるから。その時に話を聞くってことで」

「じゃあ、早速、聞き込みに行ってくるよ」

「ありがと。ついでに、これ持って行って」

 盾屋さんがぼくに押し付けてきたのは、『2-3不思議の国のカフェテリア~チェシャ猫を添えて~』と書かれたプラカードだった。本来なら、チェシャ猫の前には、時計ウサギとでも記されていたのだろう。上からテープを貼って無理やり修正したあとがあった。

「昨日の放課後、せっかく一人で作ったのに……。犯人許すまじ」

 というか、不思議の国のアリスがモチーフの模擬店だったはずなのに、チェシャ猫が添え物扱いでいいのだろうか。

「改めて確認だけど、アンタら二人の仕事は宣伝。着ぐるみ探すのがメインじゃないんだからね」

 そっちが着ぐるみ探しを頼んできたんじゃないか、という言葉をぐっと飲みこむ。

 頼んだよ刀剣コンビの言葉と共に、盾屋さんは手を振ってぼくたちを追い出した。

「まずはどうする?」

「とりあえず、北見さんの所に行こうか」

 ポケットから四つ折りになったパンフレットを取り出す。

 家庭科部の教室は北校舎一階。調理室の隣にある。

 ぼくは、プラカードを掲げると、模擬店の宣伝をしつつ、剣と共に家庭科部の教室へと向かった。

「部長会の方、成果はなかったのか?」

 移動の最中、剣が思い出したように尋ねた。

「残念だけど、特になし。一応、演劇部の関係者に、詳しいことが分かったら、教えてもらえるようには頼んでおいたけれど」

 とはいえ、愛川先輩自身もいっていたように、成果があるとは思えないのも事実だった。

 そもそも、演劇部の人間が犯人という説自体が、盾屋さんのいいがかりみたいなものだし。

 家庭科部の教室に到着すると、教室前には文化祭開始直後だというのに、既に人だかりができていた。

 ぼくは、人だかりの中に目的とするぴょこんと飛び出た黒いリボンを見つける。

 北見さんの代名詞的アイテムといえば、やはりあのリボンだろう。間違いなしに校則違反である代物なのだが、彼女は教師の小言を知らぬ存ぜぬで一年間貫き通した結果、いまや立派なアイデンティティとして定着させた。

 それでいいのかよ、と思わないでもないのだがいまはその話をする時ではない。大方、今日は、コスプレ衣装として、服装検査を通過したのだろう。

 そんなことを考えていると、接客中の北見さんと目が合った。

「あー!りおんちゃん!」

 ぼくたちの姿を認めるなり、北見さんは他の客に一切構うことなく、こちらへ駆け寄ってきた。

「うお。このコスプレ凄い。りおんちゃんは何でも似合うね」

「そうだな」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねる北見さんを、剣は雑にあしらう。以前、剣が北見さんが疑われたカンニング事件を解決して以来、妙に懐かれているらしい。

 正直なところ、ぼくは北見さんのことが、少しばかり苦手だった。

 あらゆるイベントに全力投球。ハイテンションの権化。コミュ強の化身。

 悪い人ではないのだが、話すと疲れてしまう。ペースを持っていかれるとでもいうか。

 剣曰く『その場のノリで生きている奴』らしい。その言葉にはぼくも同意だ。

 家庭科部の教室の内部には、製菓の販売所と買ったばかりの製菓を飲食するスペースが置かれていた。ぼくと剣は、北見さんに案内されるがまま、洒落たデザインの席へと着く。

 さきほどの部長会での宣伝が功を奏したのだろう。席から見る限り、先ほどから、生チョコレートを中心に、多くの製菓が売れている。

 北見さんは、コーヒーとチョコレートを携え、剣の正面に座る。ぼくは剣の隣に座っているのだが、構図のせいで、なんだか三者面談をしている気分だ。

「これ、食べていいよ」

 その言葉と共に、北見さんからコーヒーとチョコレートが差し出される。チョコレートは部長会でも振舞われたものだ。剣と共にお礼の言葉を述べる。

「盾屋ちゃんから聞いたけど、着ぐるみのことを話せばいいの?」

 ぼくは、クラスから着ぐるみが逃亡したことを、手短に説明する。

「あー。あれって三組の出し物だったんだ」

 説明を聞いた北見さんは、納得したように手を叩いた。

「ほら、演劇部がアリスっぽい感じの劇やるじゃん。私てっきり、演劇部が使うものだと思っていたんだよね」

 彼女は納得したように、うんうんとひとしきりうなずいたのちに、

「それで、どこから話せばいいのかな?」と、ぼくたちに尋ねた。

「そうだな……。着ぐるみを見る前、北見は何をしていたんだ」

「部活。家庭科室で、お菓子作ってたよ」

 北見さんの話に耳を傾けながら、剣も、チョコレートを口に入れる。

 すると、わずかにではあるが、剣は顔をほころばせた。どうやら彼女も気に入ったようだ。

「着ぐるみを見たのは、確か午後七時三十五分くらいだったかな。本当、帰る直前」

「結構、遅いな」

「いくつかのお菓子は、前日に準備にしないと味が落ちるんだよ」

 そのチョコレートを作ってたんだよと北見さんは、剣の手元のチョコレートを指さす。

 コーヒーを一口すすってから、北見さんは続ける。

「で、色々片付けが終わって、あくあ――四組の子ね――と一緒に帰ろうと思って、四組の教室に向かったんだ」

 ここで、北見さんはもったいぶるように一拍置くと、

「その時なんだ。ウサギと階段ですれ違ったのは」と仰々しくいった。その口ぶりは、まるで宇宙人やUMAを見たといわんばかりだ。

「格好はどんなだった?」

「頭の部分だけ着ぐるみを被っていて、両手には結構でかいダンボールを抱えててさ。かなり重そうだったね」

 なるほど。だから、着ぐるみが『逃げた』か。

「着ぐるみをかぶっていた奴は、どんな服を着ていた?」

「学校指定のワイシャツ。昨日は暑かったし、腕まくりしてた。多分男の子だと思う」

「ダンボールに何が入っていたかは分かる?」これはぼくが尋ねた。

「流石にそこまでは確認しなかったなー」

 うーんと困った顔をする北見さん。

「てっきり、演劇部の誰かが遊びで着て、学校をうろついていると思いこんでたから。発表会で使う道具を持ち運んでるのかなって」

「どうして、遊んでいるだなんて考えたの?北見さんが考えていたように演劇部が着ていたならリハーサルとかで使っていた可能性もあると思うんだけど」と、ぼく。

「それがさ。話しかけたんだけどガン無視されて。いまから考えると、あんまり声をかけて欲しくなかったんだろうね。ほら、ふざけてるときに、外野に見つかると何となく気まずいじゃん」

「つーか。荷物を運ぶときに、わざわざ着ぐるみをかぶる必要なんかないだろ。北見のいうとおり、遊びの可能性が一番高い」

 と、剣はぼくに対して、もっともな意見を述べた。

「その四組の友達は、着ぐるみを見ていないのか」

「あくあは見ていないって」

「じゃあ、階段を降りる着ぐるみを見たのは、北見だけなんだな」

 念を押すように、剣は北見さんにそう尋ねた。

「まさか、りおんちゃん私の事、疑ってる?」

 北見さんは、分かりやすく口を尖らせる。口ぶりから察するに、本気で怒っているというわけではないのだろうが、フォローのために、「一応、確認したいだけだよ」とぼくは付け加えた。

「北見は、犯人に心当たりはあるか?」

「ないない。そもそも、さっき盾屋ちゃんから話聞くまで、事件だと思ってなかったし」

 北見さんは大げさに手を振ったあと、反対に剣に問い返した。

「逆にさ。りおんちゃん的に犯人候補っているの?」

 ……いないだろうな。

 そもそも、候補を絞れるほどに情報を集めていないし。

 そう思い、剣の方を見やる。すると彼女は手についた汚れを紙ナプキンで拭いながら

「……オレは、演劇部の人間が怪しいと思っている」といった。

 口ぶりから察するに、剣本人も、いまの発言は、まだ半信半疑という段階なのだろう。しかし、ここで明確な具体例を挙げたことに驚く。

「へえ。そうなんだ。盾屋ちゃんのいってたとおりなんだ」

「まあ、あくまでも仮定の段階だがな」

 北見さんの言葉に、剣は言葉尻を濁して、小さく答えた。

 そんな剣に話しかけるのは何故だか気が引けて、ぼくは間を持たせるためにコーヒーをすする。

 コーヒーは、ひどく苦かった。


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